第203回 ユダヤ人とシティの金融商人(前編)
シティのギルド・ホール近くにオールド・ジューリーという通りがあります。古くはジューリー・ストリートと呼ばれ、13世紀の終わりまでユダヤ人の居住区でした。ユダヤ人の居住区というと当時の欧州大陸にあった高い塀に覆われた強制居住地区を思い起こしますが、ここは全く違います。英国王家に金融業を任せられ、居住の自由やシナゴーグ(ユダヤ教会堂)での礼拝も許され、この近辺に集まって生活していました。
かつてのユダヤ人居住区
ユダヤ人を連れて来たのは、1066年にイングランドを支配したウィリアム征服王といわれています。土着のサクソン人は金融業をしたことがなく、そもそもキリスト教では貸付金に対して利息の徴収が教会から禁止されていました。異教徒に対する貸付金なら利息徴収が許されるというユダヤ教を利用してウィリアム征服王はユダヤ人に金融業を任せたのです。その背景にはユダヤ人を使って王の領地拡大を進める企みがありました。
オールド・ジューリーはシティ中心部にある
高い税金を課せば、貨幣経済に慣れていないサクソン人はユダヤ人からお金を借りようとします。利息が払えなければ担保が差し押さえられます。一方、歴代の英国王はユダヤ人にさまざまな上納金や税金を課し、土地の相続を困難にさせました。ユダヤ人からすれば担保を差し押さえて入手した土地は王家に二束三文で引き渡すか、相続の際に召し取られるかのどちらかです。結果としてユダヤ人による金融業は王家の領地拡大に大きく貢献しました。
かつてシティ中心部にシナゴーグがあった
ところが13世紀になると情勢が変わります。王家は対フランスやスコットランドとの戦争で多額の資金が必要になる一方、国際的バンカーとしてイタリアのロンバルディアやフィレンツェ出身の商人が登場してきました。商人らは手形という新しい手法で王家に資金を融通します。つまり、禁止された貸付金の利息徴収とは見なされないように手形の手数料や商品売買料、両替手数料という形で懐に収め、多額の融資を行いました。
王家に金貸しするユダヤ人のイメージ
一方、ユダヤ人は自己防衛のために債権や不動産を修道院や貴族に転売したため、王家ににらまれます。ついにエドワード1世は1290年、ユダヤ人追放令を出し、キリスト教徒のロンバルディア商人に今のバンク駅近くに居住を許し、金融業を任せます。それが現在のロンバード街になりました。ところが輸出品の羊毛を担保に借金を重ねた王家はイタリア商人を窮地に追い込みます。多額の借金を踏み倒したからです。(中編に続く)
金貸しのロンバルディア商人の居住区だったロンバード・ストリート
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