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Thu, 09 July 2020

第168回 聖ポール大聖堂と聖徳太子

布教管区の拠点だった聖ポール大聖堂
布教管区の拠点だった聖ポール大聖堂

寅七が聖ポール大聖堂をガイドするときは「聖ポール大聖堂が建てられたのは604年で、日本では聖徳太子が十七条の憲法を発布した年です」という説明で始めます。聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と日本で主張すれば、当地では「隣人愛を貴しとなす」と説かれたわけですが、当時の世の中はそんなにけんかばかりしていたのでしょうか。実は当時、両国の状況はよく似ており、外国の宗教を使って国内の融和を図ろうとしていました。

ローマ教皇グレゴリウス1世
ローマ教皇グレゴリウス1世

日本では中央集権的な律令国家を目指す天皇家と地方の豪族が争っており、英国ではゲルマン人の部族国家同士、あるいはケルト民族との国内騒乱状態にありました。両国とも、国内統一のために宗教の力を借りて人心を掌握したい政治リーダーと、政治支配者層からのトップダウン方式で勢力を拡げたい宗教リーダーの思惑が見事に一致。外国の神様を絶対神として説き、王権を絶対神に次ぐ権威にした統治体制に組み換えようと試みました。

「和を以て貴しとなす」と説いた聖徳太子
「和を以て貴しとなす」と説いた聖徳太子

日本の神道では、天皇家を祀る天津神と地元豪族の祖霊神を祀る国津神では神様が異なりますのでどちらが優位か決着がつきません。ところが外国の宗教である仏教では日本の神々は迷える衆生の一種で、それを仏の境涯に引き上げるのが仏教の役目とされます。支配者はこれを変化させ、地元の神々は遠いインドの神様が姿を変えた権現であると唱えます。そして当時の最先端の技術で寺院や仏像を作り平和な社会を印象づけました。

聖徳太子の像でもある法隆寺の釈迦三尊像
聖徳太子の像でもある法隆寺の釈迦三尊像

6世紀後半の欧州も同様で、ローマ教皇のグレゴリウス1世が教会改革を始めます。ゲルマン民族をキリスト教に改宗させる好機として偶像崇拝を許し、彼らの信じる祖霊や精霊はキリスト教聖人が姿を変えたもので権現だと教えました。さらに、キリスト教を知らずに死んだ先祖は煉獄にいるが、真摯に祈れば浄化されて天国に行けると説きます。ゲルマン人は次々とキリスト教に改宗し、ゲルマン部族国家は精神的な結束を固めました。

ロンドン司教の紋章
ロンドン司教の紋章

英国にはローマ植民時代から納税を条件に自治権が認められた都市(キウィタス)がありました。ローマ人が撤退した後、6世紀後半からローマ教皇がキウィタスに司教を派遣して司教座=カテドラル(大聖堂)を作り、布教管区の拠点にしました。604年に聖ポール大聖堂が建てられたのもロンドンに司教座があったからです。また、現代でもシティ・オブ・〇〇という名称のある自治体は歴史的にキウィタスから由来し、司教座を有するのが基本です。

 
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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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