第133回 ロンドン最古の地図
今から150年以上も前の地図にまつわる話です。幕末の開国直後の1861年、攘夷派の反対を無視して英国海軍の測量艦が日本沿岸の測量調査を強行しました。ところが幕府が持っていた伊能忠敬の地図を見た英国海軍はその正確さに驚き、その写しをもらうことで測量を中止。この写しは現在、英国国立公文書館に保管されています。1821年に完成した伊能の地図は当時の軍事機密でした。だって正確な地形が分かれば戦争の布陣が組めますから。
伊能忠敬の大日本沿海輿地全図
では、ロンドン最古の地図は誰が作り、どんなものだったのでしょう。シティにあるロンドン博物館には、最古のロンドン地図銅板の一部が展示されています。作者不詳、作成時期は553年~1559年、15枚の銅板で構成され、うち2枚がロンドン博物館の所蔵で、ドイツにも1枚あるものの、残りの12枚が行方不明。当時、地図作りが盛んだったフランドル地方から職人を呼び寄せて作らせたそうですが、その多くは謎に包まれたままです。
2枚のロンドン地図銅板(ロンドン博物館蔵)
当時のフランドル地方は海外貿易で栄え、欧州各地の景観図や地図の製作に力を入れていました。この最古のロンドン地図銅板にも、貿易商人が利用するため、街全体を把握できるよう鳥瞰図が彫られています。ただし原版で印刷された地図は1枚も発見されておらず、これをまねて作成したと思われる2つの有名な地図が木版の1561年「アガス・マップ」と銅板の1572年「ブラウン& ホーヘンベルフ・マップ」です。
木版のアガス・マップ
中央集権国家の時代になると、貿易商人のために作られていた地図は、国王や領主の権力誇示のため、所有地を正確に示すことに重点が置かれます。地図製作師ジョン・ラッドから技法を学んだクリストファー・サクストンは1574年、エリザベス1世の支援でイングランドとウェールズの英国最初の全国地図を完成。やがて土地の境界線が正確に示されるようになると土地そのものが売買や交換の対象になり、その経済価値が再発見されます。
銅板のブラウン&ホーヘンべルフ・マップ
このころ起きたのが「囲い込み運動」。英国の土地は養分が乏しく農耕よりも牧羊に適し、広い土地が必要です。下層民の中から能力に秀でた者は私有地を拡大して羊毛業で儲け、ジェントリという新しい階級(ジェントルマンの語源)に発展、次代の産業革命を担う立役者になります。道案内から権力誇示、土地売買、軍事機密、と地図の用途が時代とともに変わっていくなんて、携帯電話で簡単に地図を見られる今の時代では想像がつきませんね。
囲い込み運動の名残