第132回 チェシャー・チーズとチェシャ猫
ロンドンの歴史パブといえばシティのフリート街にある「ジ・オールド・チェシャー・チーズ(Ye Olde Cheshire Cheese)」が有名です。店の看板は1666年のロンドン大火で建物が焼失し、翌年に再建されたことを示しています。この老舗には文豪チャールズ・ディケンズなど著名な作家が足繁く通い、チーズ好きのディケンズは店名にもなっているチェシャー・チーズを大いに満喫していたと言われます。
1667年再建の歴史パブ
チェシャー・チーズは英国最古のチーズの一つで、英北西部チェシャーで生産される牛の生乳を原料としたセミハード・タイプのチーズ。チェシャーは「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルの出身地でもあり、その物語に登場する「チェシャ猫」は「チェシャ猫のように笑う」という英語の慣用表現でも有名です。この語の由来は、猫がチェシャーの酪農品を喜ぶからと知った寅七は、チェシャーの中心都市チェスターに向かいました。
「チェシャ猫のように笑う」は有名な英語の慣用表現
チェスター周辺は牧場が多く空気が違いました。海沿いのチェシャーで作られるチーズは塩気が強くて濃厚。それは、海の塩やミネラルをたっぷり含んだ雨で成長した牧草を食べて育った牛の乳から作られるから、とも言われます。17世紀半ばから19世紀半ばまでロンドンのチーズ市場はチェシャー・チーズで溢れていたそうです。雨雲が低く垂れ込めた牧場や田園風景を眺めながら、ふと産業革命に思いを馳せました。
英中央部には、「イングランドの背骨」と呼ばれるペナイン山脈が走っています。偏西風の影響で山の西側ランカシャーやチェシャーには雨が多く、山を越えた東側のヨークシャーには空っ風が吹きます。羊は乾燥を好むのでヨークシャーでは羊毛が英国最大の輸出品となりました。ヨークシャー・プディングが羊の肉汁の付け合わせだったことも納得です。一方、雨の多いランカシャーやチェシャーでは牛を中心とした酪農が発達しました。
英国中央に走るペナイン山脈
また、18世紀に産業革命という転機が訪れ、ランカシャーには近港から綿花が陸揚げされました。豊富な水力を利用した紡績機で綿糸が生産開始されます。綿糸は乾燥すると切れやすいので湿気の多いランカシャーは綿工業に最適の場所でした。やがて動力が水力から蒸気機関に代わり、ランカシャーの綿工業は大発展をします。
山脈を挟んだ雨量の違い、羊と牛、毛織物業と綿工業、中世と産業革命など、思いは様々にめぐり、寅七はチェシャー・チーズを頬張りながら満面「チェシャ猫」の笑顔になりました。
パッケージにはチェシャ猫のイラスト