第95回 お散歩編: ビクトリア・エンバンクメント
随分、春らしくなってきました。陽だまりを求めてシティの南西、ビクトリア・エンバンクメントを歩いていたら「クレオパトラの針」という巨大な石柱に出くわしました。これは紀元前15世紀、古代エジプトの神殿に奉納されていたトトメス3世のオベリスク(記念碑)です。19世紀初頭、エジプトから仏軍を追放した際に贈与を約束されましたが、搬送や場所の問題が解決せず、ようやく約70年後の1878年、このテムズ川岸に設置されました。
ビクトリア・エンバンクメント・ガーデンズ
オベリスク 「クレオパトラの針」
もともとオベリスクは先端の四角錐が太陽光を反射し、太陽神の象徴として崇められるとともに日時計の役割もありました。柱の側面にはヒエログリフで王の栄誉が讃えられ、神殿の守護者スフィンクスが見守ります。その胸元やオベリスクの土台にはスカラベの意匠。「糞転がし」の異名を持つこの昆虫は糞から生まれ、糞玉を転がし、やがて地中に還ります。日の出と日の入りを繰り返す太陽を操り、再生や復活を司る神と同一視されていました。
オベリスクを見守るスフィンクス
オベリスクにはスカラベの意匠が
オベリスクが古代エジプトの技術と文化の賜物なら、それがそびえるここエンバンクメントも19世紀の土木技術の革新の産物です。当時のロンドンは世界の工場として発展する一方、大気や水質の汚染、コレラの発生や人口集中問題に悩まされていました。テムズは流れが穏やかなだけでなく潮の干満がありますから、流れ込んだ廃液や排水が上流域に逆流して公害を拡大させ、1858年には異臭で国会が閉鎖される事件も起きてしまいました。
そこでテムズ川の流れを速め、下水道問題をも解決したのがエンバンクメント。大きく曲がる川の外側に護岸を作り、川幅を狭めて流れを急にします。護岸の外側の埋め立て地に公園や遊歩道、幹線道路を建設。公園内の旧ヨーク・ハウス門は現在の川岸から137メートルも離れていますが、ここが当時の水際です。新道路は渋滞緩和に成功し、地下には地下鉄や電気、ガス、上水道、ロンドン最大規模の下水道を敷設。景観も改善されました。
公園内にある旧ヨーク・ハウスの水門
このとき、ロンドンに下水道網を構築したのが「下水道の父」、ジョセフ・バザルゲットです。総計1800キロメートルに及ぶ下水道を敷き、公衆衛生問題を解決。当時開発されたばかりのポートランド・セメントの品質管理を厳格化し、汚水に負けないよう作られた強靭な下水道は、今も現役です。現代の我々の生活を地下から支えているのはまさに彼の下水道であり、その地上では再生や復活の象徴「糞転がし」のスカラベが我々を見守っているのです。
「下水道の父」 バザルゲット