第92回 お散歩編: 「私の彼は左利き」
寅七が皆さんをロンドン橋にご案内する際、ついつい歌ってしまうのは「ロンドン橋、落ちた」だけではありません。1973年のヒット曲「私の彼は左利き」もです。と言いますのも、1722年、シティの市長がロンドン橋の渋滞緩和のために命令した「車両の左側通行規制」が地方自治体初の道路交通規則であり、これ以降、車両の左側通行が英国全土に広まったのですが、人間の利き腕と車両の左右通行には深い関係があるからです。
ロンドン橋で施行された初の車両の左側通行規制
概して右利きが多かったことに加え、当時の荷馬車が小さかったこと、さらに当時のロンドン橋の上には建物があり、とても狭かったことが馬車の左側通行規制の理由と言われています。長い鞭が後部の荷物にぶつからないよう御者が馬車の中心より右側に座ると、対向車とすれ違う際に馬車が左側を通行した方がお互いの距離感がつかみやすく、衝突事故を防げます。車両の左側通行は、当時の交通事情を踏まえた生活の知恵だったのです。
小型馬車の御者の席は右側にある
ところが欧州大陸の場合は逆です。これはその後の馬車の大型化が原因と思われます。馬が複数立てになりますと右利きの御者は馬の左側後方から鞭を打って操縦するので、自然と馬車の中心より左側に座ります。すると先述とは逆の理由で右側通行する方が安全となるのです。1794年のパリ条例で車両の右側通行が施行された後、フランス全土に適用されました。さらに大陸の覇者、ナポレオン将軍が右側通行を欧州大陸全土に強制します。
古来、軍人が攻めるときは、右利きが多いため敵陣の左側から攻め、右回りに戦闘が行われるのが通常でした。ところが意表をつく左回り戦法で戦争を勝ち抜いたのが左利きと言われるナポレオン。英国の植民地だった米国が右側通行になったのも、どうやらフランスが理由のようです。米国独立戦争ではフランスから多くの援軍を受け、複数立ての馬車が増大。1792年、ペンシルベニア条例で右側通行となり、それが全米に広まりました。
ナポレオンは左利き
一方、船は右側通行です。当然、船頭さんも割合としては右利きが多いので、舵は舟の中央より右側に据えられています。すれ違う際、お互いの舵がぶつかるのを避けるため右側通行が慣習に。やがて船舶の右側通行は国際ルールになり、飛行機も右側飛行が国際条約で定められました。ただし、鉄道は発祥地の英国に倣い左側通行の国がほとんど。なにせ最初の旅客輸送は馬車鉄道でしたから。ナポレオンは天国で「私の彼は左利き」をどんな気持ちで聴いていますかね。
船舶は右側通行が国際ルール
電車がホームに入ってくるところ。左側通行ですね