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Thu, 28 March 2024

第84回 お散歩編: 意外に深いボビーの話

リバプール・ストリート駅近くのビショップスゲイト警察署は、1737年にシティに夜警団が組織されたときからこの場所にあります。隣接するビルの壁にはロバート・ピール卿の肖像画が描かれています。かつて同名のパブがそこにあったことの名残ですが、ここを通る度になぜこの国で警官を「ボビー」とか「ピーラー」と呼ぶのか、その理由を思い出します。彼が内務大臣のとき、ロンドン警視庁を作ったので彼の名前がその愛称となったのです。

ロバート・ピールの肖像画
ロバート・ピールの肖像画

シティには中世以来の自警団がありましたし、地方にも治安判事が指揮するコンスタブルという治安維持役がいましたので、中央に警察が作られると市民を弾圧するのでは、と警戒感が強まりました。1829年にロンドン警視庁が誕生すると、ロバート・ピールはその警戒感を緩めるため「警察と市民は同義である」と宣言し、警官の倫理規定を定めて犯罪防止のパトロールを中心に行わせました。もちろん、拳銃は不携帯。今も原則、不携帯です。

スタート地
ロンドン警視庁本部のスタート地

ロンドン警視庁本部が初めて設置されたのは、官庁街のホワイトホール・プレイス4番地。正面玄関口が狭かったので、出入りには間口の広いグレート・スコットランド・ヤード(中世にはそこにスコットランド王家の宿泊施設がありました)側の裏口が使われました。やがて裏口で待機するマスコミが警察本部を「スコットランド・ヤード」と呼ぶようになり、その呼称が社会に広まっていきました。日本の警視庁を「桜田門」と呼ぶのに似ていますね。

ヘンリー・フィールディング
ボウ・ストリート・ランナーズの生みの親、ヘンリー・フィールディング

実はロンドン警視庁設立の背景には、文学者と劇場も関係しています。英国小説の父と呼ばれるヘンリー・フィールディングは当初、先鋭的な劇作家として活躍していました。しかし、1737年の演劇検閲法で風刺的な作品が禁止され、上演許可もロンドンでは3つの劇場にのみ与えられると、彼は劇作家から小説家になることを決意、人生の終盤には治安判事に転身します。そして彼はロイヤル・オペラ・ハウス前のボウ・ストリート裁判所で勤務を開始するのです。

裁判所
ロイヤル・オペラ・ハウス前にあるボウ・ストリート裁判所

当時の劇場周辺ではスリや窃盗が急増しており、彼はボウ・ストリート・ランナーズという犯人逮捕の専門係を組織し、公金で雇い始めます。これがロンドン警視庁のモデルになりました。彼らはやがて馬上パトロールの際、赤いチョッキを着用したので小鳥の「ロビン」(胸が赤いコマドリ)と呼ばれました。ちなみに日本の刑事を「デカ」と呼ぶのは、明治時代に角袖の外套を着ていたからです(カクソデの語順を変え最初の二文字を取る)。

国鳥
ロビンは英国の国鳥と認識されている

 
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シティ公認ガイド 寅七

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『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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