第52回 ハムステッド・ヒースの秘密の花園
ロンドンのハムステッド・ヒースは金融特区のシティより一回り大きい3.2平方キロメートルもある広大な公園。1989年からシティの管理下に置かれています。原生林あり、野生の動植物あり、水泳可能な池まであって、ロンドンっ子に人気のスポット。その西端のウェスト・ヒースには秘密の花園、パーゴラ & ヒル・ガーデンがあります。ここはかつて英国石鹸会社リーバ・ブラザーズ(現在、ユニリーバ)の創業者、ウィリアム・リーバの自宅でした。
広大なハムステッド・ヒースの入口にはシティの紋章
汗まみれの労働者が石鹸で身体を洗い流す習慣が普及したのは産業革命のころ。泡立ちの良い植物油製の石鹸を包装した小箱が飛ぶように売れました。リーバはこの成功により、1904年、美術商ジョージ・フィッシャー(統計学者、ロナルド・フィッシャーの父親)から大きな家を購入します。職住の環境改善を説く彼は、付近の地下鉄の敷設現場から大量の土を盛ってレンガ造りの空中回廊を作り、延々と続くパーゴラ(緑廊)を築きました。
250メートルも続く回廊のパーゴラから四季折々の花を眺める
1925年に彼が亡くなると、海運業を営むアンドリュー・ウィアー(インヴァフォース男爵)の手に移り、彼の死後には国に寄付されてインヴァフォース・ハウス病院になります。その後、21世紀に建物部分が売却され、庭園をシティが管理するようになりました。石鹸や海運で築かれた財産は泡沫(ほうまつ)や蒸気になって消えることなく、美しい庭園として無料で市民に開放されています。広がる緑を眼下に望む秘密の花園でのピクニックは最高です。
インヴァフォース・ハウスは石鹸のバブルで生まれた豪邸
一方、ハムステッド・ヒースの北端に位置するのが、奴隷制廃止に貢献した主席判事、マンスフィールド伯爵の邸宅だったカーン・ウッド・ハウス。2013年の映画「ベル-ある伯爵令嬢の恋-」の主人公である黒人女性が育てられた場所です。20世紀に入り、相続税問題で土地が分割される危機がありましたが、これを救ったのがギネス・ビール創業者の曾孫、エドワード・ギネス。美術品収蔵の場所として購入し、死後は国に全部寄付。ビールの泡として消えずにイングリッシュ・ヘリテージが運営する白亜の美術館、ケンウッド・ハウスになりました。
白亜の館、ケンウッド・ハウスの左手には春を告げるマグノリア
ケンウッド・ハウスの西庭には春から初夏にかけてシャクナゲが見事に咲きます。ベンチに腰掛けても良し、芝生でも良し、これまた最高の花園です。かつて19世紀の経済学者、カール・マルクスは貧しくて旅行に行けず、家族とハムステッド・ヒースでピクニックしたそうです。豊かな自然を後世に残すことは、あらゆる経済革命より大切かもしれません。
シャクナゲの下に潜り込めばあなたもミツバチの気分