市民社会を構築し、リインベントしていく力とは
尊敬している人から声を掛けられるのは何歳になってもうれしいものだ。先日、欧州のシンクタンクが主催する朝の勉強会でクロワッサンを頬張っていると、顔見知りのロンドン・スクール・オブ・エコノミクス元学長、アンソニー・ギデンズ氏(77)が「熱心だね」と声を掛けてきた。シャツにこぼれたクロワッサンを払い落とすのも忘れて、「ええ、欧州の動きに非常に興味があるので」と直立不動で答えた。
ギデンズ氏はブレア首相(当時)のブレーンとして資本主義と社会主義の対立を超越した「第三の道」を提唱したことで知られる社会学者だ。ウクライナ危機、中国の台頭による東シナ海と南シナ海の緊張で地政学上の対立が深まる中、ジオエコノミクス(地理経済学)の世界では、米欧VS ロシア、米日VS中国の「経済戦争」が始まった。さらに、スノーデン事件で米国家安全保障局(NSA)の市民監視プログラムが暴露され、自由なインターネット空間でもバルカン化(どんどんバラバラになっていく現象)が進んでいる。
欧州連合(EU)の統合と深化プロジェクトも足踏みするが、ギデンズ氏はデジタル革命を軸にして世界の統合をさらに進めるべきだと説いている。手のひらのスマートフォンだけでトンデモナイことができる時代になった。移動しながら世界中のどことでも無料テレビ電話で話ができる。大企業や組織に属さなくてもアイデアと創造性さえあれば1人の人間が世界を動かすことができる。人々の心が前向きになれば世界は良くなり、暗くなれば悪い方向に転落していく。ギデンズ氏はトランスナショナルな(国境のない)人のつながりとイノベーションがさらに世界を飛躍させるという揺るぎない信念を持っている。
これまでの勉強会で筆者はギデンズ氏に随分、意地悪な質問をぶつけてきた。「日本は失われた20年で賃金が恐ろしく下がった。絶望して自殺した人もいる。欧州は日本の後を追いかけているのではないか」「右派政党の反移民キャンペーンは有権者の感情に訴え掛ける。ソーシャル・メディアを使ったカウンターで移民の有益性を納得させることはできるのか」など。
ギデンズ氏はよれよれのシャツを着て、ボロボロの革カバン、それに筆箱を持ち歩いている。清貧な学生がそのまま年を重ね た印象だ。しかし、その言葉には老いを感じさせない、若者たちを鼓舞する魂がこもっている。若者たちの志を刺激することが社会を変革していくエンジンになる。目の前のギデンズ氏は筆者に「欧州は未来モデルの一つだからね」と言い切った。
「実はあなたの話に非常に感銘を受け、私も小さなサークルですが、人を集めてソーシャル・メディアを使ったデータ収集と分析、社会への発信の仕方などを勉強しています。私は長い間、新聞記者をしていたので、メディアをリインベント(再発明)したいと考えています。次世代の若者たちが日本で市民社会を構築し、リインベントしていける力になりたいのです」。一気に思いの丈をぶつけた筆者に、ギデンズ氏は「安倍晋三首相は改革者だから、政府が資金を出してくれているの」と問い掛けてきた。「安倍首相の改革はトップダウンです。私は水平方向の改革を考えているので、政府から資金を出してもらうのはとても無理だと思います」。
最初は新聞記者としての取材と原稿の書き方のノウハウを伝えるだけに過ぎなかった「つぶやいたろうジャーナリズム塾」(筆者主宰の勉強会)も回を重ねるにつれ、進化してきた。間もなく最終回を迎える6期生の研究発表では、参加者の女性の方がとてもユニークなプランを発表してくださった。実用化されたら、閉鎖社会ニッポンを変えていく力のあるアイデアだ。インターネットを使ってみんなでワイワイ学んでいくうちに、いつの間にかジャーナリズムという枠組みを超え、メディアの実験室みたいになってきた。
「次から名前を『つぶやいたろうメディアラボ』にする必要が出てきたよ」と話すと、妻が「米マサチューセッツ工科大学のMI T メディアラボのパクリみたい」と笑う。早速、同ラボの伊藤穰一所長の著作を読むと、参加者の皆さんと膨らませてきたアイデアとそっくりなので驚いて腰を抜かしてしまった。
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