第5回 「バロン」が仕切る新聞界
米ニューズ社会長マードック氏は代表的メディア王
(左は中国進出についての本、右は「サン」紙の創刊40周年記念に寄せた文章)
英「フィナンシャル・タイムズ」(FT)紙を含むFTグループを日本経済新聞社が買収するという報道が出たとき(昨年7月末)、英国メディアが真っ先に報じた懸念は「編集権の独立はどうなる?」でした。
デジタル化、グローバル化に成功した高級経済紙として名高いFTですから、その編集体制を何らかの形で変える、編集権に「介入する」という行為は、多くの日本人にとってはとっさに頭に浮かぶ事柄ではなかったように思います。私自身がそうでした。日本人からすれば、最大の関心事は「買収価格が高いか安いか」、つまり買収によって十分な経営効果を上げられるかだったと言えるでしょう。
多くの英メディア関係者が編集権の独立をめぐって大騒ぎをしたのには理由があります。
その一つは歴史的な経緯です。英国の新聞界は「メディア王(メディア・バロン)」に牛耳られてきた伝統を持っています。富裕な企業家が複数の新聞を手中にし、政治的に大きな影響力を持つ傾向があるのです。
19世紀末に大衆紙「デーリー・メール」を創刊したアルフレッド・ハームズワース氏が代表的です。ほかにも大手新聞を手に入れ、ノースクリフ卿という爵位を得ており、また第一次大戦時には海外用プロパガンダ担当として入閣しています。マックス・エイトケンことビーバーブルック卿は「デーリー・エキスプレス」など複数の新聞の所有者で、第一次大戦時には情報大臣、第二次大戦では航空機生産大臣となりました。ビーバーブルック卿は自分が持つ新聞を自己の政治目的のために使ったと言われています。1948年、ある調査会に召喚され、所有する新聞をプロパガンダのために使っていると証言しました。
現在、英国で最も著名なメディア王と言えば、オーストラリア出身で米メディア複合企業ニューズ社のルパート・マードック会長でしょう。現在は英国の大手紙「タイムズ」、「サンデー・タイムズ」、「サン」を英国法人に発行させています。マードック氏は「編集権の独立は維持する」と買収前に約束しながらも、いったん自分の手中に入れると自分あるいは親密な部下に実権を握らせることをサン、タイムズばかりか、2007年に買収した米ダウ・ジョーンズ社が発行する「ウォール・ストリート・ジャーナル」でも実行してきました。新聞市場で大きな位置を占める「マードック・プレス」を味方につければ選挙に勝てるという通説があって、政治家も無視できません。
メディア王の新顔は高級紙「インディペンデント」や夕刊紙「ロンドン・イブニング・スタンダード」を所有する、ロシア出身のレベデフ親子です。編集権には干渉しないメディア王ですが、レべデフ傘下になってから、スタンダード紙はより明るく、リベラル、前向きになったと言われています。メディア王の支配下になく、編集権の独立を明言しているのは、全国紙では「ガーディアン」とFTのみでしょう。
英メディアが編集権の独立が脅かされるのではないかと心配したほかの理由として、英国のM & Aの事例があります。買収後に新所有者が経営陣を刷新させる、社内の仕事のやり方を変更するなどが日常的に発生してきました。でも、現時点ではFTの編集権介入への懸念は杞憂だったようです。
次回はいよいよFTの歴史を紐解きます。