CPE撤回の背景
4月10日、シラク仏大統領は「初期雇用契約」(CPE)制度の撤回を発表した。CPE主唱者で、後継大統領の有力候補であったドピルパン首相の威信は大きく傷ついた。
26歳以下の若者を2年以内の雇用なら通常よりも容易に解雇出来るという制度。フランスで深刻な社会問題となっている若年者の高失業率(20%以上)を下げることを目的としていた。2006年3月に法案が成立。英国の試用期間(probation、通常半年)に相当する。法案成立直後から、学生や若者を軽視しているとかえって反発を招き、仏国内の大学での抗議活動が激化、若者が暴徒化し警官隊と衝突した。各企業などでもこのCPE法廃止を求め、3月28日には国内のほとんどの交通機関がマヒするほどの影響を与えたゼネストとなった。
フランスはほぼ100%の国民が結婚前にパートナーと同棲を始める国で、フランスの友人に言わせれば、住んでみないと一生一緒に住めるかどうかわからないじゃないのということであった。しかし就職に関してはお試しは好まれなかった。想像するに、26歳以下だけを対象にしたことが要因ではないか。英国のprobationは何歳でも適用される。
英国で今秋から施行される年齢差別禁止法に従えば、CPE自体無効になろう。なぜフランスでは若年労働者のみを対象にしたのか。それは若年、特に移民や低学歴の20代から30代までの失業率が非常に高いからである。去年はそれがパリ近郊での暴動の原因になった。この高さの原因は、一旦雇用されると簡単にクビを切れない手厚い既就職者保護の法律があるため、年長者が仕事を辞めないからである。
若者の怒りは、根本原因である手厚い雇用保護を正さずに、若年労働者のみを差別する扱いで済まそうとした姿勢に対するものであったとすれば正鵠を射ている。逆に若者のみの差別への感情的な反発や、フランスの雇用制度を自由化するだけの展望のない抗議行動であったとすれば、それは対案のない議論に過ぎないと思う。
騒動を低賃金諸国から見ると
グローバライゼーションにより企業は世界レベルで競争し、雇用はどんどん東欧、中国、インドの低賃金労働を探す方向でシフトしている(工場移転、アウトソースなど)。
そうした中、国内の既就職者のみを保護することは、意味がないどころか若年失業者の増大をもたらしている。その典型例は仏独である。
しかし結局ドピルパンもフランスの学生も労働組合も、今ある高賃金を維持しつつ、失業者をその高賃金労働者が払う税金で支えている経済の構造を変えようとしているわけではない。東欧、中国、インド人から見れば、コップの中の嵐にしか見えないだろう。争議の暇があるならもっと働いたらどうだという声が聞こえてきそうだ。そう言うとフランス人は怒るかもしれないが、結局同国の経済がそれでもすぐに停滞しないのは、領域に豊かな大地を有していること、英国ほどではないが、マグレブ諸国など若者が就職するにはフランスに来るしかないという旧植民地を有しており、フランス語が非関税障壁*として機能しているためである。つまり地理的な優位性と歴史の遺産が財産である。
ドピルパンの栄光と挫折
それにしてもグローバリゼーションは、優秀な外交官であったドピルパン氏を皮肉な運命に立たせたと思う。
グローバライゼーションは大国アメリカと世界言語の英語を持つ英国に大きな利益をもたらしている。ドゴール主義に立つ同氏は、その負の側面であった英米主導のイラク戦争に国連で強く反対し、世界の喝采を浴びた。これが出世の糸口である。しかし同氏は、政治外交姿勢で大統領候補であったとしても、経済面では仏企業の構造改革に先鞭をつけることはできなかったように思われる。敵失を受けてライバルのサルコジ内相の株が上昇、さらにはサルコジ氏も結局は与党内の同じ穴のむじなと見ると国民は目を向ける先を変えた。昨年の移民2、3世の暴動や今回の件で、さしたる対案を出さなかった社会党のロワイヤル元環境相が漁夫の利を得て大統領候補として急浮上している。しかし同じ社会民主勢力のブラウン蔵相の政策を見ても、社民勢力が資本の世界運動に対案を出せているとは思えない。ベネズエラ、ボリビア、チリなどの資源国ではナショナリズムかつポピュリストの大統領が出現し、外国企業の保有する国内資源を国有化し、利益を国民の手に取り返すことを訴えて当選している。フランスでの暴動の例を見るまでもなく、議会制民主主義の土台は脆く、また成熟には程遠い。結局人間は、飯が食えないと議論もできないということか。こうしたニヒリズムこそ全体主義のつけいる余地であったことを警告する論調が増えていることに当面は安堵するが、どうであろうか。
*関税以外の方法で外国製品受け入れを制限する手段のこと。外国企業に対して不利に作用する社会全体の仕組みを指す場合がある。
(4月16日脱稿)
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