賃金と物価の関係
前回は、給与と物価水準に密接な関係があることを各国のユニット・レーバー・コスト(ULC、賃金の伸びから生産GNPの伸びを差し引いた値)と物価の累積変化を示す下の2つのグラフによって確認した。復習すると、企業の生産性が上昇したら賃金も上がるのが自然なのだが、ここで生産性の伸びを上回って賃金が上がると企業としては収益が減る、すなわち企業がもうけを株主よりも労働者により多く分配していることになる。そうすると労働者はその分豊かになるため消費を増やす可能性が高く、企業の提供するモノやサービスに対する需要が伸びるので、その分物価上昇に直接結びつくということだった。ULCと物価水準のグラフを比べると、英米が逆になっている以外では6カ国の順序はここ10年位変わらない。各国の差は何から来るのか。
バブル崩壊を引きずる日本
わかりやすいのは日本で、賃金の伸びが2004年まで唯一マイナス、物価上昇率も0%近くを横這っている。バブル崩壊後の不良債権問題による景気悪化で、企業は正社員を派遣やバイトに置き換え、実質的な賃下げを行った。これがニート、格差社会という形で政治問題となっているのはご存知の通り。ULCが大きく下がった結果、景気は一段と悪化したものの、米中の景気持続と企業自身のコストダウンによる収益回復、公的資金投入と消極的な税金投入(不良債権の償却処理で所得がなくなったことから税金を支払わずに済んだ)による銀行の立ち直り、ひいては経済の立ち直りによって、ULCも次第に下げ止まり、今年の春闘は久々の明るさで妥結した。ただし輸出依存と為替相場に影響されやすい産業体質、大きな財政赤字、構造改革の過程での地域格差問題は今後の課題として残るだろう。
今年の新卒採用戦線は超売り手市場で学生は強気な一方、フリーターからの正社員中途採用は厳しいままだ。今後、日本では最低賃金の引き上げといった問題以前に、バブル後の15年間の不況で機会を逸した人々のための職業訓練が、真っ先に政治問題となるべきと思われる。またマクロ経済政策面では財政再建が必要ながら、ULC下げ止まりを見ると金利水準が低いままで物価に問題が出ないか、よく見る必要があると考えられる。さらに東京の都心バブルは収束に向かいつつあり、ULC下げ止まりとあいまって、郊外へと地価上昇が波及していく可能性が高くなってきた。金利引き上げペースの調整が難しい問題となろう。
要すると、日本はバブル崩壊、不良債権があまりにも大きな問題となり非常に大きな財政措置や金融緩和措置を取ったため、ULCや物価の動きが世界の流れから一段下になったと考えられる。しかし注目すべきは両者の関係は維持されたということ、また賃金ほど物価は伸縮的でなく、人々は給料が下がっても生活を急には変えられないという当たり前の事実である。
物価、賃金、不動産高のスペイン
次にわかりやすいのはスペインである。スペインはULCも物価も最高値に位置している。またグラフには示していないが、不動産価格は物価のさらに上を行っている。
90年代前半のEU加盟、アスナール前政権による民営化、規制緩和、移民流入促進によってスペインには投資と移民が流れ込んだ。若年層の流入による税収増や公的機関から民間への資産売却で財政黒字となった結果スペインはEU加盟を果たし、輸出が大きく伸びて好景気となり、ULCも上昇した。賃金の安い移民の多くは、統計対象外の労働に従事しており、全体のULCの上昇はグラフ上の公式統計よりも緩やかとなるため、物価の伸びはULCほど大きなものとはなっていない。このパターンは英国と似ている。問題は加盟したEU、ユーロ圏での金利は最近まで不調のドイツ経済を念頭に欧州中央銀行(ECB)が一律決めているということだ。そしてドイツ経済に合わせると金利は低くなる。スペイン経済の好調に比して金利が非常に低い状態が長く続いたため、資金は不動産に流れ、スペインは2000年前後から空前の不動産ブームとなった(英国人のスペイン別荘保有は非常に多い)。スペインではなく、ドイツを念頭に置いたECBの低金利政策の下で、自国のインフレや不動産高騰を抑止するためにスペイン政府は緊縮財政策を取ることになる。これが財政優等生であるスペインの裏舞台である。
注意すべきは、こうした現象の起点が規制緩和と移民流入緩和にあったことで、政府の政策がマクロ経済をじわじわ大きく転換させるということだ。そしてそこで起きるゆがみは不動産バブルの可能性がある。はじけた場合の苦難は日本で実証されている。次回は英米の差の理由、仏独の問題点について考えてみよう。
(2007年3月26日脱稿)
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