盛り上がりを欠いた英国総選挙
英国総選挙は、ブレア首相の色褪せ感を印象づけただけで、盛り上がりを欠いたまま終わった。イラク情勢が落ちついているため戦争自体の是非は問題視されなかったし、経済も好調ゆえに議論が少なかった。
しかし、本当にそれで良かったのか? 経済好調なら政権選択が起こらないというなら、二大政党制の看板が泣く。イラクは別の機会に取りあげるとして、経済については、好調をもたらしている経済構造それ自体にこそ、好調持続を阻む落とし穴があるのではないか。さらにこの問題を掘り下げると、サッチャー改革以来の悩み深い社会民主主義の問題に行きあたる。このことを今回書いてみたい。経済でも、個人の生きかたでも、ある道を選べばそこには必ず光と影があり、因果はめぐる。
英国経済の構造問題
英国経済の構造問題は、お金持ちと貧しい人の格差を拡大する仕組みが持続可能か、という問題である。英国社会では、ここ数年、金融資産や家を持てるかどうかで人々の資産格差は大きく拡大している(市場主義を尊重してきた保守党のマニフェストが、下位10%の貧しい人はこの10年でもっと貧しくなったと鋭く指摘していたのは皮肉であった)。政府はこうした不平等を意図的にすすめているわけではない。経済構造そのものに不平等を助長する仕組みが組み込まれている。
英国の主な輸出産業は、金融や法務、会計など英語による知的労働によるサービス業であり、もの作りではない。こうした国では知的労働に対する給料が単純労働に対する給料より他国以上に高くなりやすい。なぜなら、単純労働で作る製品は中国など外国から安く輸入できるので、単純労働に対する国内での需要、ひいてはそうした労働に支払われる給料が下がるからである。単純労働しかできない人は、輸入できない対人サービス業(接客など)に流れることになるが、安い給料で働く移民が多いとそうした仕事のペイはあがらず、この循環が続けば知的労働者と単純労働者の給与格差は大きくなる。それでも経済が拡大するのは、お金持ちや中産階級が金を使うからで、そのため単純労働者にも余得が出る。しかし、住宅価格や株が下がって、彼らが金を使わなくなれば、経済成長が止まるだけでなく貧しい人に大きな皺がより、それが国民全体のコスト増になる。
今回の選挙での保守党は、住宅バブルはないのか、金持ちや中間層の消費を増税で抑えて経済が持つのか、といった現在の経済の仕組み自体に内在するリスクを突かずに、医療、教育分野での税金の無駄遣い、非効率の指摘に終わっており、迫力を欠いたと思う。
移民問題の経済的意味
こうした立場で見ると、特に論戦が深まるべきであったのは、移民を制限して経済が持つのかどうかという点である。ここもとの英国経済の安定と物価安定の一因は移民による人口増加にある(グラフ参照)。労働党、保守党いずれのマニフェストでも、手に職がある移民を歓迎するが、単純労働者はそうではないとの主張しか書いておらず、単純労働をする移民が減り、単純労働者の給料が上がれば、知的労働の生産性や賃金が相対的に下がり、経済の足を引っぱるという議論はなされていない。
社会民主主義の行方
以上の考え方にたてば、貧富の差が広がっているのは、ブレア政権が自由主義的な政策をとっているからということになる。そうだとすると社会民主主義とは何なのかが問題となってくる。経済が悪くなれば、必ず労働党内部で路線対立が起きるに違いない。
対照的にドイツでは、経済不調の中で進む構造改革(労働時間延長など労働強化)のもと、大手企業によるリストラについて、政治家が、われわれはアングロサクソンではない、市場万能主義ではなく、「社会」市場主義によるべきだ、といった議論がなされるなど、経済が政治問題となっている。ドイツの抱える問題は、あまりにも強い労働者の権利、硬直化した公的機関銀行部門など25年前にサッチャー政権が直面した問題と酷似している。ドイツ社会民主党は労働市場に自由主義的な要素をどこまで広げるという問題に直面している。
サッチャー改革以来、政府が直接社会の不平等を是正しようとする政策は評判が良くない。そうした意味での社会民主主義は役割を終えたと思う。しかし、医療、教育、年金などの生活分野で、民間ではカバーできないほど大きなリスクが現実のものとなったとき(災害、バブル崩壊、年金制度の急激な悪化など)、もっとも弱い立場の人々をどこまで守るべきか、どのように予防すべきか、究極のリスクマネジャーとしての政府の役割について、その時代々々や国ごとに議論を深めることはできると思う。例えば、公立小学校の給食費が一食70ペンス程度というのは、長く続けば児童の成長に悪影響を及ぼすなど、取り返しのつかない問題になりかねない。
こうした議論において、民間では解決できない社会全体への打撃を用心深く洞察し、危機に備える慎重論者、それが装いを変えた新社会民主主義ではないか。総選挙では、そうした危機が何かについてもっと議論を深めるべきではなかったのか。世界の一流会社トップは好調なときこそ自らを疑っている、国ならそれは宰相の仕事である。
なお、ドイツの悩みは、日本で小泉首相が進める自由主義的な構造改革に対峙している最大野党、民主党にあてはまる。同党は、構造改革に対し「まだ不足」というのか、「ここまで」という線を引くのか、経済政策で対立軸を打ち出せていない。英独にくらべ人口高齢化が急速に進む日本では、早晩、外交防衛軸と経済政策軸の組み合わせにより政党再編は必至ではないか。
(2007年5月23日脱稿)
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