市場の限界
経済・金融活動と政治におけるものの決め方は、前者は市場で分権的に決め、後者は民主主義のふるいにかけた後は集権的に決めるという点でそれぞれ異なっている。ソ連崩壊、サッチャー、レーガン以降、市場にできるだけ任せて、どうしても民間ではできないことを政府が行うべきだという考えが政治経済思想として力を持ってきた。金融市場の時間軸は、50年国債を売買しても、投資期間が1カ月なら1カ月に過ぎない。ここでは50年国債の価格変動に影響を与える今後50年間の金利のここ1カ月の動きを予想するのだが、50年後の経済はわからないので、10年後位の経済の姿、物価の姿はどうなるかを予想し、それを前提に中央銀行など政策当局がどう動くのかをみている。要すれば、予想は1カ月先だが、視野は10年程度というわけである。それでも10年後を超えて20年、30年後を予想することは土台難しい。50年後はいわんやである。そこまで情報がない。
政治家の構想力
一方、政治家は官僚組織を使って、あらゆる情報を得ることができる。金融市場には、人々の思いが集約されるので思わぬ種がある。そこでの50年単位での問題は、地球温暖化である。1863年に英国の物理学者ジョン・チンダルが指摘したCO2の温室効果問題が、中国やインドのエネルギー消費の増大により一段と深刻さを増している。温暖化による氷山の溶解や陸地からの水分蒸発増加は雨を増やし、海水の塩分を薄める。これにより塩分が多く、かつ重い海水が従来のように大西洋に沈みこまず、英国や北ヨーロッパに緯度以上の暖かさをもたらしているメキシコ湾流の欧州大陸への巡回が、30%程度細りつつある可能性がある。これが続けば、英国の気候はカナダの寒地のようになると言われている。植物生態は急速に変化できないので、こうした経済変化による気候変動は、50年単位では農作物に大きな影響を与える。
原油や鉄鉱石など素材原料価格が落ち着きつつある今、金融市場の投機、投資対象は穀物である。今や中国は大豆貿易量の半数近くを輸入する大輸入国である。米国の穀物商社カーギル社や欧州各社はこれを取り扱っている。温暖化問題は、今や環境問題という側面だけではない。食糧問題、そして世界の安全保障問題という二重三重の深みを持ってきている。ブレア首相、ゴア米国元副大統領の環境問題へのコミットメント、中国の沈黙、そしてロンドン市場でのCO2排出権取引、いずれもこういう文脈で何を狙ったものか、読まれるべきである。
政治家のリスクとリターン
そういう意味では、政治も金融ビジネスも時間軸は違うが、構想力が重要な点では変わらない。時間軸の長い構想力を示しながら、かつ民主主義の過程で支持を受けることは難しい。しかし、それをやらなければ政治の価値はないのだ。なぜなら、それ以外のことは市場が解決していくからである。
金融の世界では、ハイリスク・ハイリターンという。リスクを取らなければ、高い結果も期待できない。政治もそうである、歴史的にみても、戦って政権を勝ち取ったのではなく、禅譲を受けた政権は長続きしない。逆に戦い取った政権は長続きする。サッチャー、ブレアしかり、中曽根、小泉しかり。
ブラウン蔵相の構想力でブレア首相を超えるものがあるのか。地方分権? アフリカ救済? 財政規律ルール? やはり社会民主主義の新しいあり方でなくてはなるまい。経済学界のいう財政金融ルールや官民共同事業はすでにブレア政権で実現してきている。公共部門が社会的に果たすべき役割は、もともと難問で、ケインズのようなブレーンでもいなければ新しいパラダイムを開くことは容易でない。一方、安倍首相の構想力は安全保障に傾斜している。しかし今や安全保障は、ブレア首相に見るまでもなく、軍事力や経済力のみでは世界的な支持は受けられないことは明らかである。環境保全、京都議定書、憲法9条、食糧問題、日本の固有性と現実政治との折り合いをつけていく構想力があるのだろうか。日本の過疎問題なども食糧問題と結び付ける構想力こそ重要だ。北海道の重要性はそこにある。構想力も十分でなく、かつ戦い取ったのではない政権は、短命に終わる。
(2006年10月1日脱稿)
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