勘の鋭い人がいる。さしたる情報や知識がなくとも、事の本質をずばりと見分け、言い当てる。また、勘の鈍い人もいる。難しそうな分厚い専門書を目にしていても、知識が書物のなかに留まってしまって、実生活では一向に埒が明かない。
この勘の優越を性差で見れば、一般的には、女性の方が男性よりもずっと敏である。テレビのミステリー・ドラマを夫婦一緒に見れば、女房殿は番組の半ばすぎには犯人の
目星をつけるが、旦那の方はストーリーを追うのが精一杯、洋物ならば、登場人物の顔の見分けすら覚束ない。オフィスにあっても、誰かさんと誰かさんが「怪しい」などという、この手の推察力になると、女子社員は神に等しき(?)耳目(じもく)の力を発揮する。
動物的な勘、と言われる。ことさらここで「動物的な」という形容詞を引き出したのは、今回の発言者が、「ジャングルブック」の著者として知られる人だからだ。狼に育てられた少年モーグリの物語は世界的に有名だが、インドのボンベイに生まれ育ったキップリングの見聞が色濃く反映されている。後も、彼は中国、日本、オーストラリア、ア
フリカと、世界を回って、エキゾチズムはその作品群の基調をなした。
そういうキップリングの経歴や作品世界を汲み取った上で、先の言葉を大胆に意訳すれば、次のようなことになろうか。「男の知性など、女の動物的な勘の前には、ひとたまりもない」――。なるほど、これならインドのジャングルからロンドンに殴り込みをかけるくらいのパンチ力はある。
生前のキップリングはたいへんに成功した作家で、41歳の若さでノーベル文学賞を受賞し、没してはウェストミンスター寺院のポエットコーナーに葬られるなど、殆ど国の顔と言えるほどの存在であった。だが20世紀後半になると、植民地主義に毒された白人優位主義を批判されることにもなった。
キップリングの資質が抱えたこうした影は、今回の言葉にも無縁でない気がする。一
見、女性を持ち上げ、男にはかなわぬ能力を賛仰したように見えつつ、しかし発想の根っ
このところでは、男が取り組む土俵に女を上らせないといった排他性がほの見える。女は勘のよさでは抜群だが、知性は男の特権だと、そのような時代の「常識」に胡坐(あぐら)をかいたようなところがある。
知性に基づく観察によって、おそらくキップリングはこの男女観を披瀝(ひれき)したのだろう
が、時代を超えて事の本質を見抜く勘の鋭さに欠けていたとなれば、なんだかミイラ取りがミイラになってしまったような話でもある。
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