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ニュースダイジェストの制作業務
Fri, 25 September 2020

第18回 オスカー・ワイルド

オスカー・ワイルド

これまで4回ほど「女」についての名言を取り上げてきたので、今回から男をテーマにしようと思ったのだが、どうも狙い通りに事が進まない。「woman、women」の対称となる英語は「man、men」であるが、これは同時に「人間」「人類」といった意味にもなってしまうので、男性に限って述べたものかどうか、絞ることが難しいのだ。

しかも、「Quotations(引用集)」の類を見ても、「woman」に関しては名言迷言妄言が山と連ねられているのに対し、「man」を扱ったものは、数の上でも内容面でも見劣りがする。まして「男」に限定するとなると、もう貧弱そのもので、これは男社会が続いてきたために異性に注がれる眼差しと発言が盛んだったのか、いやそもそも、神秘に色めく女なるものの豊かさに比して、男なるものは単純でつまらないということなのか、さまざまに思いあぐねてしまうのである。

さて、ここに引用したワイルドの言葉は、「man」を「人」とすべきか「男」とすべきか、やはり即座には明らかでない。しかし、ワイルドは間違いなく男の美学について述べたのだと、私は信じてやまない。

基本的人権はもとより、社会生活上の諸権利に於いて男女に差があってはならないが、身体の成り立ちが異なると同様、性格や志向には自ずと性差がある。女は子宮で考えると言った女優がいたが、なるほど女性は行動や生き方そのものが「肉体的」であり、現実的である。いかなる「夢子ちゃん」といえども、その夢は己の肉体と直結している。

男の方は、よくも悪くも永遠の少年のように、しばしば現実から遊離して、夢想に走る。現実としては、社会に揉まれ、会社に縛られ、一家眷属(けんぞく)を背負って、どこまで行ってもしがらみから離脱できぬ分、夢はひたすらに純化され、詩と昇華していく。

唯美主義者のワイルドもまた、現実社会での身の処し方としては、おそらく世俗にまみれ、上つ方の思惑や周辺からの雑音に魂の汚れる想いがしていたのだろう。「puppet=操り人形」という形容には、皮肉の眼差しが生む悲哀がある。だが、ひとたび社会の制約を離れて「書く」という行為に及べば、密やかな自由の王国に彼は羽ばたき、不死鳥のように大空を舞うのだ。「poet=詩人」という表現には、実際に詩作をするかどうかという次元を超えて、神聖な美学が不滅の金字塔のように輝いている。

男であれば、身の生業(なりわい)はともかく、せめて独りの時には「詩人」を誇れる魂の気高さがほしいものだ。

 
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