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Fri, 06 December 2019

木村正人の英国ニュースの行間を読め!

第20回 ウィンブルドンが生む世界最強の王者

第20回 ウィンブルドンが生む世界最強の王者

7月7日、英国にお住まいの日本人の皆様もテレビの前で歓声を上げられたのではないだろうか。2008年から4年間、ウィンブルドン・センター・コートの記者席からフェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マリーの戦いを追い続けた僕にとっても待ちに待った瞬間だった。英国人選手としては1936年のフレッド・ペリー以来77年ぶりの優勝を果たしたマリーは「この4~5年は非常に苦しく、ストレスとプレッシャーにさらされてきた。ウィンブルドンで優勝するのはとても困難なことだ。今でも優勝できたことが信じられない」と語った。それほどフェデラー、ナダル、ジョコビッチの壁は厚く、英国中の期待も繊細なマリーには重圧になっていた。

 

08年、男子シングルス決勝、日没まで続いたナダルとフェデラーの死闘は忘れられない。普通の選手ならバックハンドで返すのがやっとのボールをナダルは回りこんでフォアハンドから強烈なトップスピンを繰り出す。信じられないほど高く跳ね上がるボールをフェデラーが華麗なエア・ショットでリターンする。両雄の力は拮抗していた。薄暗がりの中で2人が打ち返すボールの音だけがセンター・コートに響いた。日没がなければこの死闘が決着したかどうかは分からない。しかし、フェデラーが最後のボールを打ち返そうとしたとき、夜の帳がセンター・コートを包み込んだ。ナダルのみなぎる若さとエネルギーも勝負の運を呼び寄せた。

 

スコットランド・ダンブレーンのスポーツ・クラブでテニス・コーチの母ジュディさんの指導を受けて育ったマリーがスペインに渡ったのは15歳のとき。1歳上のナダルに完敗し、世界を目指すにはナダルと同じようにしなければと、クレー(赤土)のコートで練習した。7日間だけ年下のジョコビッチとは11歳で初対戦して以来のライバルだ。マリーは少年時代から国際競争の波にさらされてきた。

芝のウィンブルドンではボールが滑るように低く跳ねるためリターンが難しく、サーブ・アンド・ボレーが有効な戦術になる。ジャンプして優雅にバックハンド・ボレーを決めて見せるフェデラーがウィンブルドンで最多タイの7勝を挙げられたのもこのためだ。ハード・コートの大会が主流になる中、調整が難しく、プレーの幅が求められる芝のウィンブルドンを敬遠する選手が増えている。今大会では滑って負傷する選手が相次いだが、マリーは優勝後の記者会見で「ウィンブルドンはテニスの頂点だ」と言い切った。テレビ中継に配慮して09年にセンター・コートには可動式の屋根が設けられたが、ウィンブルドンにはテニスの美しさと伝統の重み、勝負の厳しさが根付いている。

ウィンブルドンは1877年にアマチュア大会として始まり、1968年にプロ選手も加えてオープン化した。大英帝国が衰えを見せるまで英国人選手が優勝を独占していたが、海外選手が力をつけ、男子シングルスでは36年以来、女子シングルスでも77年のウェード以来、英国人選手は優勝から遠ざかっていた。

日本では、激しい自由競争で国内選手や国内企業が自国から駆逐されていく様子を「ウィンブルドン現象」と皮肉るようになった。サッチャー首相の金融ビッグバン(86年)で、ロンドンの金融街シティにある英国の金融機関が淘汰されたことでこの表現は日本で定着した。

ウィンブルドンには世界で一番優れた者だけが栄冠を手にできるという哲学が息づく。英国人選手への多少のひいきはあったとしても、英国人とそれ以外という差別はない。センター・コートはボルグ、マッケンロー、サンプラスという世界最高の勝者をたたえてきた。そして、77年という歳月を経て、マリーがウィンブルドンの歴史に名を刻んだ。4大大会8勝のレンドル氏(旧チェコスロバキア出身)をコーチに招いて、マリーは精神面の弱さを克服した。スコットランド出身のマリーはなかなか英国全体を味方につけることはできなかったが、昨年のロンドン五輪金メダルでわだかまりは溶けた。マリーは英国と一体化し、英国伝統のテニス・スタイルに世界から最高のテクニック、メンタリティーを付け加えた。

ウィンブルドンは英国の勝者ではなく、世界最強の勝者を生み出したのだ。

 
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木村正人氏木村正人(きむら・まさと)
在英国際ジャーナリスト。大阪府警キャップなど産経新聞で16年間、事件記者。元ロンドン支局長。元慶応大法科大学院非常勤講師(憲法)。2002~03年米コロンビア大東アジア研究所客員研究員。著書に「EU崩壊」「見えない世界戦争」。
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