英国の近隣国としてなじみ深いフランス。
その文化や食の神髄に触れるため、
首都パリを訪れたことのある人は多いはず。
しかし、フランスの魅力はパリだけに収まりきらない。
気軽に足を運べる今だからこそ、様々な都市や地方を訪れて、
思う存分フランスという国を味わってみたい。
今回、ご紹介するのは、フランス第二の都市、リヨン。
豊かな食文化を誇るフランスにあって「美食の町」と冠されるリヨンは、
そのほか、「絹の町」「金融の町」などの 名を持つ町でもある。
美食を楽しみ、多彩な姿を垣間見る、リヨン小旅行への誘い。
(協力: フランスニュースダイジェスト編集部)
リヨンへの行き方 | 飛行機 | ロンドンから約1時間40分 |
列車 | ロンドンからパリまでユーロスター。 その後、高速鉄道TGVに乗り換え(合計5〜6時間) |
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リヨン市公式サイト | www.lyon.fr | |
リヨン観光局 | Office du Tourisme & des Congrés du Grand Lyon Place Bellecour 69214 Lyon 地下鉄: Bellecour A・D線 TEL: +33 (0)4 72 77 69 69 www.jp.lyon-france.com |
リヨンとは……
ソーヌ川とローヌ川という2つの川と、2つの丘に抱かれるように佇むフランス第二の都市、リヨン。「美食の町」「絹の町」などと称され、オレンジ色の屋根の連なりも優美なこの都市は、その一方で古くから商業都市として栄え、フランス金融の中心地の一つとしての顔も持っている。2000年もの歴史を有し、様々な一面を見せるリヨンの特徴は、町の中心地を西から東へ段階的に移動させることで、古の面影を塗りつぶすことなく、時代の変遷をそのまま内包していること。西から東へと歩を進めれば、絵巻物を眺めるかのように、ローマ時代の遺跡からビジネス街の高層ビルに至るまで、折々の時代の景色が次々と出迎えてくれるはずだ。
ユネスコ世界文化遺産の町
風景そのものが、歴史を雄弁に物語るリヨンの町。ソーヌ川の西に位置する旧市街から中心部にあるベルクール広場、北のクロワ・ルースにかけてのエリア全体が、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
古代ローマ時代に思いを馳せる
フルヴィエールの丘
Colline de Fourvière
丘の上まではケーブル・カーで登ることが可能。頂上に立つ白亜のノートルダム(フルヴィエール)大聖堂(Basilique Notre-Dame de Fourvière)からは、世界文化遺産の町、リヨンの全貌を見渡すことができる。ローマ劇場
Théâtres Romains de Fourvière
ノートルダム大聖堂からほど近く、フランス最大級の規模を誇る古代ローマ劇場遺跡では、今でも夏季になるとコンサートや芝居が行われる。眼下に広がる、中世の面影を今に残す旧市街とのギャップが魅力的。ルネサンスの息吹を今に感じる
旧市街
Vieux Lyon
14世紀、イタリアはフィレンツェで産声を上げたルネサンス運動。その後、15〜16世紀には欧州大陸の交通の要所であったリヨンの地にイタリアの商人や文化人らが住み着くようになる。彼らが生活したルネサンス式の邸宅が立ち並ぶこのエリアでは、入り組んだ石畳の路地を練り歩くだけで気持ちも弾む。サン・ジャン大司教教会
Primatiale Saint-Jean de Lyon
フルヴィエールの丘の麓にある教会。1600年、フランス王アンリ4世がマリード・メディシスと結婚式を挙げたとされる。14世紀に作られたという、重厚かつ繊細なつくりの天文時計は必見。絹の美しさと職人の日々を垣間見る
クロワ・ルース
Croix-Rousse
リヨン随一の繁華街、プレスキルの北に位置するクロワ・ルースの丘は、絹織職人「カニュ」が集い、日々機織りに勤しんだ場所。織物のデザインをほかの職人たちに見られることなく運搬できるよう編み出したという、建物内部を通る抜け道「トラブール(Traboul)」は、第二次大戦中、レジスタンス(反ナチス)活動の場としても使われた。見学することも可能だ。リヨン織物装飾芸術博物館
Musées des Tissus et des Arts Décoratifs de Lyon
プレスキルの一角に隣接する2つの博物館。織物博物館では、16世紀中ごろに始まったリヨンの絹織物の歴史を紐解きつつ、東洋・西洋の織物の数々を鑑賞できる。姿を変え続けるリヨンの現在を知る
パール・デュー・タワー
La Tour Part-Dieu
フランス・ルネサンス最盛期、銀行や証券取引所が設置されたリヨンは、以降、ビジネス・金融都市としての顔を持つようになる。現在も土地開発が進む東側のエリアで一際目を引くのは、フランスで9番目の高さを誇る高層ビル「パール・デュー・タワー」。リヨン市民にはその形態から「鉛筆」の愛称で呼ばれている。リヨン・コンフリュアンス
Lyon Confluence
リヨンの最も新しい一面を見るならばコンフリュアンス地区へ。元は工業地区だったこの一帯では「リヨン・コンフリュアンス」という欧州最大級の再開発計画が進められており、住宅やレジャー・文化施設などの建築が現在進行形で行われている。ボージョレ、ローヌ、ブルゴーニュといったワインの産地に囲まれ、フランス随一と言われるブレス産の鶏肉やシャロレー牛の生産地に近いリヨン。おいしい農作物が至るところで採れる、地理的に食材に恵まれた町だ。パリにミシュランの星を獲得しているレストランが密集するにもかかわらず、「美食の町」と呼ばれ続けるリヨン。その魅力に迫る。
(Text & Photo: 池地恵理/Paris Etc.)
シンプルで質の高い「母の味」
リヨンは食材に恵まれてはいるものの、庶民の料理は内臓類や淡水魚がベースとなっている。ブションと呼ばれるリヨンの大衆食堂で出てくる代表的な郷土料理は、牛の胃にパン粉を付け焼いた「タブリエ・ド・サプール」、豚の血と脂身の腸詰め「ブーダン・ノワール」、豚などの臓物を詰めたソーセージ「アンドゥイエット」、カワカマスをすりつぶし、卵やパン粉を混ぜて蒸した「クネル」、鳥レバーのムース「ガトー・ド・フォワ・ド・ヴォライユ」、フロマージュ・ブランに調味料を加えた「セルヴェル・ド・カニュ」など。決して高級な料理ではない。
19世紀末になると、社会構造の変化に伴い、ブルジョワ階級の料理人として雇われていた女性たちは、独立して働くようになった。このことに加え、産業の発展や第一次大戦の勃発により、男性たちが重労働に従事せざるを得なくなったため、この時代にレストラン業を守ったのが「メール・リヨネーズ(リヨンの母)」と呼ばれる女性たちであった。彼女たちは、家庭料理とブルジョワ料理を融合させ、シンプルで質の高い料理を作り出した。その中の一人に、メール・ブラジェがいる。1926年、タイヤ製造会社のミシュランは、車産業の発達とともに増える長距離旅行者のために、レストランの格付けを開始した。メール・ブラジェは33年、女性として初めてミシュラン3つ星を獲得。そして彼女の弟子の一人が、現在、フランス料理界の巨匠として世界に名を馳せるポール・ボキューズなのである。
時代の寵児(ちょうじ)、ポール・ボキューズ
地味だったフランス料理を開拓し、「ヌーヴェル・キュイジーヌ」と呼ばれる新しい革命を料理界にもたらしたポール・ボキューズ。彼無しで、リヨンが世界中に「美食の町」として知られるようになることは不可能であっただろう。20歳にして「ラ・メール・ブラジエ」などで見習いを始め、50年代以降、巨匠フェルナン・ポワンの下で本格的に修行を積み、57年、生家のレストラン「ポール・ボキューズ」を継ぐ。58年にミシュランの1つ星を 獲得し、61年にはフランス最優秀職 人(Meilleur Ouvrier de France:通称M.O.F.)を取得。その後、65年に獲得した3つ星を、現在に至るまで40年以上維持している。70年代にはフランス料理研究家、辻静雄から招待を受け来日。日本のフランス料理を進化させたほか、懐石料理・京料理の料理法や盛り付けに大きく影響を与えた。辻とボキューズの深い友情は日仏両方の料理業界に影響を及ぼし、辻調グループは80年にリヨン郊外にフランス校を設立している。
ボキューズは87年に国際フランス料理コンクール「ボキューズ・ドール」を、90年にフランス料理専門学校「アンスティテュ・ポール・ボキューズ」を設立。特に2年に1度リヨンで開催されているコンクールは、他に例を見ない基準を誇り、現在でも料理人が最もあこがれるコンクールの一つとされている。
リヨンの今
現在リヨンの料理業界で最も注目を浴びている中心人物はニコラ・ル・ベックとマチュー・ヴィアネ(M.O.F.)だ。ルベックは昨年「Lyon Confluence」と呼ばれる新開発地区に、大規模な高級ブラッスリー「リュ・ル・ベック(RUE le bec)」をオープン。ヴィアネは由緒ある「ラ・メール・ブラジエ(La Mère Brazier)」を買い取り、伝統を守りながらオリジナリティーを加えた料理を生み出している。
またリヨンでは、ここ数年日本人の料理人が、驚くほどの活躍ぶりを見せている。今年は新居剛(「オー・キャトルーズ・ フェヴリエ(Au 14 Février)」)と鷹野孝雄(「タカオ・タカノ(Takao Takano)」)が1つ星を獲得した。リヨンの日本人料理人の中で先駆者と呼ばれる石田克己(「アン・メ・フェ・ス・キル・トゥ・プレ(En mets fais ce qu'il te plait )」)に続き、辻調の卒業生である西垣明(「ルルソン・キ・ボア(L'oursin qui boit)」)や畠山智博(「トモ(Tomo)」)、そしてリヨンの郷土料理を和風化させている内村和仁(「ル・カヌ・エ・レゴン(Le Canut et Les Gones)」)、と新たな才能が次々とここリヨンで開花している。
取材協力:久保昌弘氏
辻調グループ・フランス校運営部長。フランス在住15年。故辻静雄氏、現・辻芳樹校長のもとで、フランス料理・菓子の教育に携わる。日本・フランスの食文化・食産業の相互理解と発展のため、フランス各地のビジネスフォーラムなどで、講師、アドバイザーとしても活動。
リヨン中央市場-ポール・ボキューズ
Les Halles de Lyon-Paul Bocuse
有名店が勢ぞろいするこの市場の中でも、お勧めなのが「メール・リシャール」のサン・マルスラン・チーズ、「コレット・シビリア」のトリュフ入りソーセージ、「モリース・トロイエ (M.O.F.)」のお肉。 「エルベ・モンス(M.O.F.)」のチーズ店では、フランス中のアーチザン(職人)が作り上げた最高のチーズを扱っている。パリにも支店を持つ「ジョクター」ではプラリネのタルトが有名。また秋冬にかけて季節の生ガキも欠かせない。「メール」などのバーでマコン・ワインと頂くと最高だ。ここではブルゴーニュのエスカルゴもおいしい。
102, cours Lafayette Part-Dieu 69003 Lyon
チョコレートの名店
リヨンには、日本へも進出しているショコラの名店がずらり。伝統あるベルナション家を継ぐ3代目のフィリップは、ポール・ボキューズの孫でもあり、リヨン料理界の王子様的存在である。ここの店は時代に影響されず、同じショコラを同じレシピで守り続けている。金粉を散らしたパレ・ド・オールが有名。
リヨンの南東に位置するモンブリソンにアトリエ(工房)を構え、リヨンに支店を持つフィリップ・ベルはM.O.F.のショコラ部門を獲得している名職人。キャラメル柚子など、繊細な作品を生み出している。
マカロンをショコラで包んだマカリヨンで有名なセバスチャン・ブイエはショコラ、パティシエと2つの分野で名が知られ、パティシエ業界のトップが集まるルレー・デセールの一員でもある。
Bernachon: 42 cours Franklin Roosevelt 69006 Lyon
Philippe Bel: 27, rue Tupin 69002 Lyon
Sebastien Bouillet: 15 place Croix Rousse 69004 Lyon
「Au 14 Février」
新居 剛
リヨンから400キロメートル離れたバレンタイン村から始まったレストラン 「Au 14 Février」。店名の通り、バレンタインを意識したレストランでは、パンもハートの形をしており、バラの花びらを砂糖漬けしたタルトなど、繊細で独創的な料理で有名だ。旧市街の小路にひっそり隠れた店で、14席しかないため、1カ月前から予約でほぼ満席という繁盛ぶり。2009年に独立した新居は、美食の町リヨンで同名の店をオープン。わずか2年でミシュランの1つ星を獲得した。そんな新居シェフの見るリヨンとは?
リヨンに「トック・ブランシュ・リヨネーズ(Toques Blanches Lyonnaises)」というシェフの協会があります。私は入会していませんが、ポール・ボキューズを始めとする偉大なシェフが協会を盛り上げてきて、現在はクリストファー・マルガンが3代目の会長です。フランス国内でも最大級のシェフの協会でしょう。私はリヨンでレストランを始めて2年半経ちますが、協会の方々も食事に来てくれ、色々な人を紹介して下さいます。
10月24日に、リヨンの地方紙「プログレ」という新聞社と、トック・ブランシュ・リヨネーズが主催で「Les Trophèes de la Gastronomie et des vins 2011」という晩餐会が開催されました。今年で第4回目となりますが、今年のシェフやソムリエなどが選ばれました。当日は、ポール・ボキューズ、ミッシェル・トロワグロなどそうそうたる偉大なシェフを始め、財界の方々など総勢400名が参加し、ちょっとしたアカデミーのような表彰がありました。そこで私も 「Cuisine de monde」 という賞を頂きました。
これからの季節はクリスマスなので、色を工夫したり、カップルのお客様がお祝いできるようなものを創作していきたい、そんな風に意気込んでいます。
Au 14 Février
6,rue Mourguet 69005 Lyon
TEL: +33 (0)4 78 92 91 39
「En mets, fais ce qu'il te plaît」
石田 克己
リヨンに来たのが1993年という石田シェフは、リヨンにおける日本人シェフのパイオニアと呼ばれる。野菜も肉も良質のものを仕入れ、魚は天然もののみを使用。ワインもすべて自然派で、美食の町リヨンの中でも、人々の舌をうならせる食を提供し続ける。この町、そして料理を愛し、腕を振るう石田シェフ。彼の目に映るリヨンの町の変容とは?
昔からリヨンは美食の町と言われていますが、高級レストランの数は減少しています。ポール・ボキューズが、なぜ複数のビストロを出したか。レオン・ド・リヨンが、なぜ2つ星をやめてブラッスリーに走ったのか。昔のブルジョワの人たちと今の人とでは、楽しみ方が違ってきているのです。ガストロノミーを楽しむ人がいなくなってきているわけですよ。昔に比べて娯楽に使う金は増えたと思いますが、使う先は車、住居、家具など。それにみんなで食事に行く機会も減っていると思います。昔は週末に家族で食事を取るという習慣がありましたが、今はそれも少なくなってきている。肉屋も大きな固まりの肉を買う人が減ったと言っています。
リヨンで飲食店といえば、ブション・リヨネ(伝統的なリヨンの大衆食堂)を想像する方が多いですが、今ではほとんど本物のブションが存在しません。昔は店にカラーがありましたが、今では買ってきた物を温めている店がたくさん存在します。特に旧市街は観光客が多いので、特色のないリヨン料理ばかりになっています。
この背景には、労働時間が35時間制になったことなど、社会的な変化があるでしょう。労働時間が決められたせいで、時間の掛かる料理はなかなかできない。僕のところみたいな小さいレストランは自分で全部やるので、時間が長かろうが短かろうが、僕次第なわけです。でも大きいレストランになると、そうはいかない。だからなるべく短時間で、という風潮があります。フランス全体に言えることだと思います。
こんな変化がありながらも、なぜ僕がリヨンを好きかというと、まだまだ良い食材が近くにあるからです。ボージョレがあり、コート・ロティがあり、ブルゴーニュがあり、ブレスの鶏がある。汚染のせいで昔より少なくなりましたが、ドンブのカエルやエスカルゴ、ザリガニもあります。あとはどれだけ料理人が良い物を選ぶか、ですね。
En mets, fais ce qu'il te plaît
43,rue Chevreuil 69007 Lyon
TEL: +33 (0)4 78 72 46 58