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Tue, 22 October 2024

交通網の発展と共に失われたロンドンに眠る地下鉄の廃駅

ロンドンでの移動手段に欠かせない地下鉄。現在はロンドン交通局(TfL)によって運営されており、約160年をかけて徐々に拡大してきた。しかしその一方で、役目を終えた駅や路線が数多く存在し、現在も地下深くに眠っている。今回は数ある地下鉄の廃駅の中から特に特徴のある6駅のほか、実際に廃駅を訪れるツアーなどを紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: Hidden London: Discovering the Forgotten Underground London Transport Museum by London Transport Museum and Yale University Press、www.ltmuseum.co.uk ほか

MAP 1908年に製作されたロンドンの地下鉄マップ

地下鉄の廃駅が生まれた過程をおさらい

地下鉄の誕生

世界初の地下鉄として、ロンドンで民間会社メトロポリタン・レールウェイが設立され、メトロポリタン線が1863年に誕生。第一次世界大戦までには大部分の地下鉄網が整備された。以降はさらなる路線の拡張に加え、すでに存在していた駅の改修工事も行われ、増え続ける需要に対応してきた。その過程で、現在までに少なくとも40もの地下鉄駅、地上駅が廃駅となった。

複雑極まりないネットワーク

今でこそロンドン交通局の下で統合されたネットワークを持つ地下鉄だが、建設当初は多くの鉄道会社が競合することで独自の路線を展開するシステムを取っていた。それに加え、利用率などを念頭に置いた戦略的なアプローチは皆無で、どれもが実験的な取り組みであり、悪く言えば駅が乱立している状態を生んだ。また、人口が増加し、市民の生活圏が郊外へ広がったことで、地下鉄の新たな延伸も同時に求められた結果、「一体なぜここに?」という場所に駅があったり、至近距離に複数の駅が存在するなど、交通網は複雑化する一方だった。

1910年ごろには130もの鉄道会社が存在していたが、20年代になってそれまでバラバラだったシステムが統一の方向に進み、33年に今日のロンドン交通局の前身組織となるロンドン旅客運輸局(London Passenger Transport Board)が設立。ロンドン交通局が誕生したのは2000年のことだ。

地下鉄を制する者こそ真のロンドナー

先の理由から、統合前のロンドンの地下鉄網は複雑さを極め、乗客は最新の交通情報を理解している必要があった。よって当時初めてロンドンを訪れた観光客にとって地下鉄の利用はハードルが高く、一方で生粋のロンドナーにとって地下鉄のシステムを理解できることはある種の誇りだったそうだ。

かつての栄光を紹介有名な地下鉄の廃駅6選

数あるロンドン地下鉄の廃駅の中から、現在も多くの廃墟ファンが魅了されている六つの駅を選んでみた。

本来の用途以外で大活躍 Aldwych (Strand) Station
オールドウィッチ(ストランド)駅

開業: 1907年
閉業: 1994年
Surrey Street, London WC2R 2NE

Aldwych (Strand) Stationオールドウィッチ駅の前の名称は「ストランド」だった

周辺の活気から浮いた駅

オールドウィッチ駅は、1907年にピカデリー線のホルボーン駅から発車し同駅に到着する短い路線のためにオープンした駅で、もともとはストランド駅と呼ばれていた。駅名が変更になった理由は、同駅からすぐ近くに別の鉄道会社によりストランド駅が新たにできたため。建設当初にはテムズ川を越えたウォータールー駅までの拡張が予定されていたものの実現には至らず、ホルボーン駅からストランド地区の劇場へ輸送するための短いシャトル・サービスとして運営された。客層が絞られていたために乗車率は非常に悪く、のちに運行日が特定の曜日に固定された。戦時中の防空壕として使用された後も、利用客がなかなか戻らず、何度も閉鎖の危機に見舞われながら1994年に役目を終えた。

Aldwych (Strand) Stationオールドウィッチ駅のプラットフォーム

採算は取れずとも市民のために存在

転機が訪れたのは1940年のこと。当時同駅を含む地下鉄網は一時的にウェストミンスター議会によって管理されており、オールドウィッチ駅は第二次世界大戦の爆撃から市民を守るための防空壕として、線路に板を敷いて寝泊まりができるように改修された。ロンドンの数ある防空壕の中でも環境が非常に整っており、医療サービスはもちろんのこと、図書館や住民たちによる演劇なども上演。1500人を収容できるなど、皮肉なことにかつてないほどの人々が駅を利用したという。また、未使用のトンネルも多くあったため、大英博物館に所蔵された主要な芸術品がここで保管された。

現在では避難訓練の場として使われているほか、予備の地下鉄車両を置くなどいつでも使える状態になっている。また、利用客の少なさから改修工事の予算が取れなかったことが功を奏し、内装もほとんどが当時のままのため、現在も昔ながらの面影を必要とする歴史映画やドラマのロケ地として人気がある。

幽霊の噂が絶えなかった British Museum Station
大英博物館駅

開業: 1900年
閉業: 1933年
133-136 High Holborn, London WC1V 6PX あたり

British Museum Station1913年に撮影された大英博物館駅のプラットフォーム

便利なホルボーン駅に吸収された

地下鉄セントラル線の元となっている、セントラル・ロンドン鉄道(Central London Railway)によって作られた駅で、トッテナム・コート・ロード駅とチャンスリー・レーンの間にあった。1906年、同駅から100メートルも離れていない場所にグレート・ノーザン・ピカデリー&ブロンプトン鉄道(Great Northern, Piccadilly and Brompton Railway)がホルボーン駅を開業したことで、大英博物館駅の利用率は一気に下降してしまう。当時はライバル会社同士の駅でも地下通路でつなぐことはごく普通に行われていたので、ホルボーン駅との接続計画も検討されたが、複雑な工事になることが判明し、大英博物館駅は1933年に閉鎖。列車はホルボーン駅に乗り入れすることになった。

廃駅後は軍の管理事務所として第二次世界大戦後も使われた後、駅舎は1989年に取り壊され、現在は別の建物に変わってしまっている。

エジプトの幽霊

ロンドンの地下鉄にまつわる心霊話はいくつかあるが、同駅は大英博物館から近い場所にあるだけに、展示品に関連した心霊話が開業当時からあったそう。「ミイラや神聖な遺物などの博物館の収蔵品に宿っていた霊の一部が駅に集まる」という話に尾ひれが付いて、エジプトの王女アムン・ラーのミイラ化した遺体が同駅に収蔵されているという噂が広まり、「腰布と頭飾りだけを身に着けた王女が、泣き叫びながらトンネルを降りていく」姿を見たという人が増えた。さらに大英博物館駅が閉業になると、今度はホルボーン駅に移動した、とまで話が膨れ上がったようだ。また、1935年に上映された映画「ブルドッグ・ジャック」で石棺の内部にある秘密のトンネルを通ってたどり着く場所として同駅が登場したために、噂は本当なのかと信じてしまった人々がさらに増えたらしい。

「通過駅」として知られた Brompton Road Station
ブロンプトン・ロード駅

開業: 1906年
閉業: 1934年
206 Brompton Road, London SW3 2BQ

Brompton Road Station長年のほこりが堆積しているブロンプトン・ロードの駅構内

利用客が少なすぎて有名なフレーズが誕生

ピカデリー線のサウス・ケンジントン駅とナイツブリッジ駅の間に位置するブロンプトン・ロード駅は、グレート・ノーザン・ピカデリー&ブロンプトン鉄道によって開業された。ヴィクトリア&アルバート博物館のそばであったにもかかわらず、複数の博物館に近い上にディストリクト線が乗り入れるサウス・ケンジントン駅、エレベーターからエスカレーターに整えられ近代化したナイツブリッジ駅に利用客を取られ、1934年に閉鎖した。

開業中は乗客の少なさから、一部の地下鉄が「ブロンプトン・ロードを通過」(Passing Brompton Road)というアナウンスと共に停車せず通り過ぎたため、駅構内で現在聞かれる「隙間にご注意」(Mind the Gap)と同じくらい知られたフレーズになったという。また、このフレーズはカルチャー面にまで影響を与え、駅に止まらない様子を足早に過ぎ去る人生になぞらえた喜劇が、1928年に作家ジェヴァン・ブランドン・トーマスによって作られた。

現在はウクライナの実業家が所有

駅の閉鎖後、当時の陸軍省(War Office)が駅舎、エレベーター・シャフト、通路をロンドン交通局から買い取り、王立砲兵隊の対空作戦の司令センターに改装。プラット・フォームは借りて、爆撃に耐えうる施設、掩体壕 えんたいごう として活用した。

その後、2013年に国防省(Ministry of Defence)がこの駅を5300万ポンド(当時のレートで約140億円)でウクライナの実業家、ドミトロ・フィルタシュ氏に売却。戦時中に使用された地図以外に遺物は残っておらず、古びた状態のままで引き渡された。不動産への転用が予測されているが、今現在特に動きはなく、そのまま放置されているようだ。ちなみに、ピカデリー線の東行きの電車の右側から、レンガで塞がれた同駅のプラットフォームを見ることができる。

短命ながら今日の地下鉄の形成に貢献 King William Street Station
キング・ウィリアム・ストリート駅

開業: 1890年
閉業: 1900年
16 Monument Street, London EC3R 8AJあたり

King William Street Station現在は跡地に銘板が飾られている

ロンドンで最初に成功した深層電気地下鉄だったが……

ビジネス街のシティにあり、多くの乗客が利用したキング・ウィリアム・ストリート駅は、立派な石造りの地下トンネルで作られ、中央の単線の両側にプラットフォームが乗車用、降車用と一つずつ設置されていた。狭いエリアに無理やり作られた地下鉄は、スワン・レーンとアーサー・ストリートの下を通りながらテムズ川の下を通過するために、急カーブ、急勾配となっていた上、利用客の数に対し構内が狭いのが難点だった。

1890年に世界初の深層電気地下鉄の鉄道が開通し、始発の列車には当時の皇太子で後のエドワード7世が乗車した。電気式になったことで、より早い移動、より安い運賃設定が叶い、当時主流だった蒸気機関の列車の問題の一つである臭い問題も解決するなど、世間の反応は上々だった。

しかし、いざ動かしてみると、急カーブ、急勾配のトンネルを電力モーターで進むために、余分な電力を溜めておくための石炭火力発電所が必要になることが判明。よりによって、皇太子を乗せたときに車両がトンネル内を上り切ることができず、鉄道スタッフは赤っ恥をかいたらしい。その後、新しいトンネルを作る計画が許可され、同駅を迂回する形で別ルートが完成。1900年にロンドンで最初に閉鎖された駅となった。

ロマン掻き立てられる人気の廃駅

1914年ごろまでは車両関連の備品や資材置き場と化し、線路が撤去されプラットフォームも部分的に取り壊されている。後に民間用の防空壕として活用され、役目を終えた。現在は、時を止めたかのようにカビ臭い空気がうねうねとした通路に漂い、100年以上もの前のシステム装置がそのまま残されていたりと、廃墟ファンにはたまらない仕様になっているそう。

チャーチル首相が掩体壕として使用 Down Street Station
ダウン・ストリート駅

開業: 1907年
閉業: 1932年
24 Down Street, London W1J 7AS

Down Street Stationダウン・ストリート駅の外観

駅はそもそも必要なかった

グレート・ノーザン・ピカデリー&ブロンプトン鉄道によって開業されたダウン・ストリート駅は、ロンドン中心部メイフェアのハイド・パーク・コーナー駅とグリーン・パーク駅の間にあった。ここは富裕層が住む地域で、多くの住民が地下鉄以外の手段で移動したために、ほかの地域に見られるような駅の混雑は全くなかった。その反面、それが乗車率の低下につながり、1932年に廃駅となった。

戦時内閣の拠点として活用

1938年、第二次世界大戦下の英国で、国内の主要な鉄道を運営する鉄道執行委員会(REC)が設立。任務を遂行するための安全かつロンドンの中心部に近い場所に本部を構える必要があり、地下22メートルに設備があるダウン・ストリート駅に白羽の矢が立った。

駅構内の狭いトンネルは、さまざまな部屋に改修され、スタッフ40人のための宿泊施設、バスタブ付きのバス・ルーム、トイレ、食堂などが完備され、任務は交代制で24時間休まず遂行された。40〜41年には連日のように空襲があり、当時の首相ウィンストン・チャーチルは同駅の本部を一時的な避難所として使用したという。ちなみに、配給制であったにもかかわらず、チャーチルは葉巻やシャンパンなどを楽しんでいたそうだ。

ダウン・ストリートは47年までRECの本部として機能し続け、英国の鉄道と軍隊および装備の移動を担い、その後は地下鉄内の空気を循環させるための換気口としての役割を果たした。

再開の可能性もある? York Road Station
ヨーク・ロード駅

開業: 1906年
閉業: 1932年
174 York Way, London N1 0AZ

York Road Stationコール・ドロップス・ヤードに近い場所にある

貧しい地域にあった立派な駅

ロンドン中心部の美術大学セントラル・セント・マーチンズにほど近い場所にあったヨーク・ロード駅は、グレート・ノーザン・ピカデリー&ブロンプトン鉄道の駅の一つ。20世紀初頭のこの地域は貧しいエリアとして知られていたが、そこに不釣り合いなほどに大きな駅として建てられた。近くにキングス・クロス駅があり、結局この駅はあまり使われず、1932年に閉鎖された。

再開を望む声が意外と多い

閉業後は一時印刷会社のオフィスとして使われたものの、ほかの廃駅に比べてそこまで活用されてこなかった。それにもかかわらず、再開発の激しいキングス・クロス駅近くにありながら奇跡的に原型を留めており、内部も非常に良好な保存状態にある。

過去20年ほど、駅の再開を望む声が地元の人々から挙がっている。2005年には再開が必要かどうか調査が行われ、再開で利点はあるもののコストの高さや周辺の地下鉄、バスなどの交通網ですでに需要に十分応えられていることからやはり維持は難しいという結論が出た。一方でイズリントン・カウンシルは、周辺地域の再開発の一環として、ヨーク・ロード駅を新しい交通網の一部として復活させようと、ロンドン交通局に計画の検討を要求。さらに、19年にはこの駅をホームレスや家庭内暴力などの何らかの問題を抱えている人が寝泊まりできるシェルターとして活用する案が出るなど、廃駅になった後も何かと話題が尽きない駅の一つとなっている。

使用されなくなった駅を貸し切り!?

歴史あるロンドン地下鉄を活用したユニークなサービスとして、ロンドン交通局は廃駅となった駅や旧プラットフォームをイベント・スペースとして貸し出している。廃駅や閉鎖された場所として貸し切りできるのは、オールドウィッチ駅とチャリング・クロス駅のジュビリー線の旧プラットフォームで、収容客数はそれぞれ100人とかなり大きなスペースだ。料金は公表されていないが、ブランドの製品発表会、セミナーや映画鑑賞など、一味違った体験を求めている人にはもってこいのサービス。情報誌「タイムアウト」によると、アルコールを提供するには別途ライセンスが必要だそう。
https://tfl.gov.uk/info-for/business-and-advertisers/commercial-events

廃駅以外の気になるスポット使われなくなった施設&トンネル

ロンドンには廃駅以外にも地下鉄に関連するさまざまな施設が残されており、特定のツアーに参加すれば見学も可能だ。

クラパム・サウスの地下シェルター

第二次世界大戦の間、市民は防空壕として機能していた地下鉄構内に避難していたが、夜間の移動は危険を伴う上に衛生面における問題もあり、市民からちゃんとしたシェルターが欲しいと要望の声が上がった。空襲が激しくなるにつれ、駅が爆撃されて多くの犠牲者が出たため、ロンドン市内に八つの地下シェルター(うち五つが一般開放)が建設された。地下鉄駅から直接アクセスできるクラパム・サウスの地下シェルターは1944年に市民に開かれ、8000人を収容することができ、家をなくした市民の大きな支えとなった。現在はロンドン交通博物館のツアーで訪れることができる。

地下シェルター地下シェルターへの北側の入り口

チャリング・クロス駅のジュビリー線プラットフォーム

現在ベイカールー線とノーザン線が乗り入れるチャリング・クロス駅に、1999年までジュビリー線が走っていた。現在、ジュビリー線のプラットフォームはロンドン交通博物館のツアーに参加しないと見られない。一方でスタッフは北・南行きの車両の方向転換をするためにここのプラットフォームを日常的に使用しているそう。そのため、2023年8月に運転手は全乗客を沿線上のグリーン・パーク駅で降車させなければならないところ、伝達ミスによりそのままジュビリー線のプラットフォームに進入。突如懐かしい世界に引き込まれた乗客たちは驚きつつも、束の間のタイムスリップを楽しんだらしい。

ピカデリー・サーカス駅

観光地の中心部にあり、現在も多くの乗客に利用されているピカデリー・サーカス駅は、入り組んだ地下通路が迷路のように張り巡らされている。1925〜28年にかけて大幅に近代化されたこの駅は、当時の最先端の建築技術によって数あるロンドン地下鉄の中でも優れた駅の一つといわれている。こちらもロンドン交通博物館のツアーで訪れることができ、一般公開されていない通路に入ることができる。

キングスウェイ路面電車地下鉄

ホルボーン駅近くのサウサンプトン・ローに線路がひかれたトンネルがある。ここはかつて1906〜52年の間運営されていたキングスウェイ路面電車地下鉄(Kingsway Tramway Subway)が走っていた場所で、ロンドン北部と南部をつなぐネットワークとして作られた。地上からトンネルを通じて地下へ入るという独特のシステムとなっており、地下鉄駅とは別に、ホルボーン・トラムウェイ駅、オールドウィッチ・トラムウェイ駅という別の駅に停車した。写真のトンネルは勾配があるために高度な走行スキルが求められたため、2年以上の運行経験がある運転手のみが通行できた。

キングスウェイ路面電車地下鉄の北口トンネル 写真左)キングスウェイ路面電車地下鉄の北口トンネル
写真右)入り口には交通機関の保存活動を行う慈善団体
ナショナル・トランスポート・トラストによる、
英国の交通遺産として重要な場所を表す銘板が飾られている

廃駅を公開するツアーに参加してみよう

今回紹介した廃駅やトンネルはロンドン交通博物館主催のツアーで専門ガイドの解説を聞きながら実際に歩いたり、自宅からバーチャル・ツアーに参加して駅の様子を見ることができる。実際に現地で歩く場合は38〜90ポンド、バーチャル・ツアーは20ポンド。各ツアーにより日程が異なるほか、それ以外にも秘密の場所を訪れるウォーキング・ツアーを定期的に開催している。興味のある方は事前に以下のリンクから詳細を確認してほしい。また、同博物館では、地下鉄の発展の歴史を学べる豊富な展示も楽しめる。

ウォーキング・ツアー

バーチャル・ツアー

ロンドン交通博物館
London Transport Museum

ロンドン交通博物館

10:00–18:00
年間パス £24.50
(平日14時以降のオフピークは£22.50)
時間指定の事前予約必須
Covent Garden Piazza, London WC2E 7BB
Covent Garden駅
www.ltmuseum.co.uk

 

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