いつも時代のヒーローと共にLEWIS LEATHERS
英国を代表するレザー・ジャケットのブランド「ルイス・レザーズ」(Lewis Leathers)。その名を知らなくても、「艶やかな黒革に赤い裏地の王道的な革ジャン」、といえば思い当たる方もいるのではないだろうか。かねてよりミュージシャンや若者に人気が高く、今も多くの人にとって憧れのブランドだが、その始まりは古く、19世紀末のロンドンで創業。今回の特集では、一介の紳士服店から出発した小さな店が、世界中にマニアやコレクターがいる老舗ブランドに成長するまでの、紆余曲折のストーリーを紹介する。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: www.lewisleathers.com、Lewis Leathers: Wings, Wheel and Rock'n Roll Vol.1 ほか
特徴的な赤の裏地を持ったルイス・レザーズのヴィンテージ・ジャケット。トレード・マークに羽根があるのは、かつて英国空軍の公式ジャケットを作った名残
ルイス・レザーズとは
1892年、ロンドン東部のスピタルフィールズで事業を営むアイザックス家の長男、デービッド・ルイス・アイザックス氏(David Lewis Isaacs 1876~1937年)が、父親ルイス・アイザックス氏の協力で、ロンドンの中心部124 Great Portland Streetに「D ・ルイス」の名で紳士服の店を開業。まもなく、偶然にもこの通りに当時の新興業界だった自動車メーカーが次々にショールームをオープンし始めたが、当時の車はオープン・カーがほとんどで運転には防寒具が必要だったことから、「D ・ルイス」は運転手向けのコート、手袋、ゴーグル、ヘッドギアに特化することに。それが現在のルイス・レザーズの始まりだった。
以降、バイク・レーサーのユニフォーム、第一次・二次世界大戦期には英国空軍(RAF)兵士のためのジャケット、戦後の経済復興期には若者のための革ジャンなど、時代と歩調を合わせて次々と人気アイテムを生み出していった。
現在の「D ・ルイス」は、アクセサリーの「アヴァイアキット」などと同様、1980年まで家族経営だったルイス・レザーズの自社ブランド名として使われている。19世紀末から続いた店舗は1993年に惜しくも閉店したが、その後日本への輸出など卸業で命をつなぎ、やがて幸運にも自身も同ブランドの大ファンである英国人デレク・ハリス氏(Derek Harris)がオーナーに就任。
ほかの多くのブランドのように海外に身売りすることもなく、2009年にGreat Portland Streetにほど近い33 Windmill Streetに現在の店舗を再オープンした。製品を海外で安く製造するメーカーが増えるなか、ハンドメイドの部分も含め全て国内で製造されており、今もメイド・イン・イングランドを貫いている。
革ジャン・ファンの巡礼地
ロンドンの中心地オックスフォード・サーカスの近くながら、その喧騒の届かない小道に位置するのがルイス・レザーズ本店。一度ドアを開ければ店内の両側にはびっしりとジャケットが並ぶ。数は少ないながらも特別感の漂うヴィンテージ品も置かれている。
Lewis Leathers Ltd.
33 Windmill Street, London W1T 2JP
月~土 11:00-18:00
Tel: 020 7636 4314
最寄駅: Goodge Street
www.lewisleathers.com
時代とともに変化したルイス・レザーズ
航空機や自動車の発達、ユース・カルチャーの台頭など、20世紀の歴史をなぞるかのように進化していったルイス・レザーズの歴史を、主要な時代とウェアごとに見ていこう。
1920s-1940s自動車と航空機の黎明期に進出
飛行士のためのユニフォーム
自動車の黎明期はオープン・カーがほとんどだったことから、「D・ルイス」が運転に必要な防寒具を商品化したことは先に述べた。だが同店はこれに満足することなく、1920年代には新たなビジネスへ乗り出していく。第一次世界大戦(1914~18年)によって英国の航空産業は図らずも大きな進歩を遂げたが、より高度での飛行が可能になったことで、飛行士たちに機能性の高いユニフォームが必要になったのだ。
同店は防縮加工を施した分厚いコットン製とシープスキン製を用意。ボタンの代わりに当時開発されたばかりのジッパーを使ったフライング・スーツで、英国の飛行機用ユニフォーム・ビジネスの草分けになった。左胸にはDポケットという特徴的な大きなポケットが装着されたが、これは後に「ダブルライダース」と呼ばれる革ジャンのデザインに踏襲されていく。
このころには、デービッドの父親と弟のマイケルがイングランド北部に新たに作った縫製工場「L・アイザック&サンズ」でユニフォームを独自生産し、1番下の弟ネイサンがロンドン郊外に新たに持った店で商品を販売、という家族経営スタイルも定着。「D・ ルイス」は株式会社になった。以降、1980年に売却されるまで同社はこの3兄弟の子孫たちによって経営されていた。
白いフライング・スーツ
チャーチル首相(当時)と語らうアレキサンダー・ヘンショー氏
この時代の同社の大ヒット商品はRAFのパイロットたちが公式に着用した白いフライング・スーツで、オーバーオールに似たデザインに加え、ひざに地図や飛行記録ノートを入れる大きなポケットがあった。英国と南アフリカ間を4日と16時間16分で往復するなど、1930年代の飛行機レースで世界記録を樹立し、当時のスーパースターだったアレキサンダー・ヘンショー氏(Alexander Henshaw)もD ・ルイスのファンで、同社のフライング・スーツやDポケットの付いたジャケットを愛用していた。
ヘンショー氏は第二次世界大戦時にはRAFのテスト・パイロットに就任し、ウィンストン・チャーチル首相(当時)と会談も行うほどのセレブだったが、戦時中には常にD ・ルイスの白いフライング・スーツを着用していたという。
一方、両大戦間には自動車の性能を競うモーター・レースも流行したため、D ・ルイスはレーシング用のジャケットやブーツ、ヘルメットの製造も行っていた。英南東部のサリーには、世界初のサーキット場ブルックランズ(Brooklands)があり、バイクや自動車のトップ・レーサーたちが白熱したレースを繰り広げていたが、D ・ルイスには好都合なことに、ブルックランズの広大な敷地内には航空関係者がテスト飛行するための飛行場も備わっていた。
そのため同社はバイク、自動車、飛行機という3ジャンルの関係者に同時に営業活動を行うことができた。また、白いフライング・スーツはレーサーたちにも好評、レースに使うレザー・ジャケットは観客たちに愛されるという具合に、ジャンルを超えた関係が築かれつつあった。
ジャケットだけではないアイテムの魅力
革のジャケットが人気のルイス・レザーズだが、ほかに多くの関連アイテムを扱っているのも魅力の一つ。D・ルイスの時代からレザー・パンツ、レザー・ブーツ、ヘルメット、手袋、スカーフも併せて開発。
1960年代のデザインを踏襲した復刻版のヘルメット
今ではバッジ、Tシャツなども加わり、自身の目指すスタイルがラインで一式そろえられるのが強みだ。ちなみに同店で現在販売されているヘルメットは、1960年代のデザインを踏襲した復刻版でハンドメイド。手袋もレーサー用からツーリング用まで各種そろう。第二次世界大戦でのVictoryを意味する、ピース・サインに当たる部分の色が異なるなどもある。
ピース・サインにあたる部分の色が異なる手袋
1940s-1960sユース・カルチャーに寄り添う
軍の放出品が人気に
第二次世界大戦後にファンが増えたのが、戦中にRAFの採用していたシープスキン・ジャケットだった。1930年代に活躍した米国のパラシュート・デザイナー、レズリー・ルロイ・アーヴィン氏(Leslie Leroy Irvin)によってデザインされたため「アーヴィン・ジャケット」とも呼ばれている。内側にムートンを使った茶色のジャケットで、D・ルイスでは戦時中にパイロットたちが着用していたものを下取りし、軍の放出品として販売した。
60~70年代にはレプリカも作られ、パンクスやスキンズなどの若者を中心に人気が高まり、パンク・バンドのセックス・ピストルズのジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)やクラッシュのトッパー・ヒードンなども愛用した。また、現在でもミリタリー・ファッションを好む根強いファンがおり、軍の放出品とレプリカ共々、ヴィンテージ品として高値で取り引きされている。
1940年代のRAFスタイルであるボンバー・ジャケットに身を包む男性たち
戦後になりようやく英国に経済復興の兆しが表れると同時に、若者の間にバイク・ブームが訪れた。戦時中は軍用車の生産に追われていた二輪車メーカーの「トライアンフ」が軽量で高性能なオフロード・バイクを発売するなどし、そのブームは10代の若者にまで広がっていった。ジャケットやブーツをはじめ、バイカーのためのあらゆるアイテムをそろえていたD・ルイスの店には、英国はおろか欧州中からバイカーたちが訪れるようになっていく。
1950年代の半ば、奇しくも米国では革ジャンに身を包んだエルヴィス・プレスリーが「ハートブレイク・ホテル」を大ヒットさせ、ロックン・ロールが世界中の若者を熱狂させ始めていた。音楽とファッションが結び付いたこの流行にいち早く反応したD・ルイスは、1955年にアメリカン・スタイルを意識した革ジャン「ハイウェイ・パトロール」、そして大ヒット商品となる「♯384ブロンクス」という革ジャンの名品を生み出した。後者は1960年代にロッカーズたちがこぞって着用したことで、D・ルイスは新しい時代に移行していく。
1930年代ごろから続いていた茶系のジャケットの時代に別れを告げ、黒の牛革に赤い裏地という、シャープなイメージへと変身。同時に、新しいブランドも立ち上げられた。それが現在英国製レザー・ジャケットの代名詞ともなっている「ルイス・レザーズ」だ。すでに「アヴィアキット」(AVIAKIT)というヘルメットや手袋などのアクセサリー用ブランドも持っていたD・ルイスだが、10代の若者をターゲットにし、老舗のイメージを払拭することで黄金時代を迎える。
バッジでカスタマイズ
労働者階級の若者たちにバイク・カルチャーが普及していくと同時に、公道でスピードを競うバイク集団が形成されるようになった。ルイス・レザーズに身を包んだ集団は、革ジャンを黒いキャンバスに見立て、スタッズやピンバッジ、刺しゅうバッジなどで自分らしさを表現。
ちなみに、英国のバイカーたちは米国のバイカーに比べ革ジャンをカスタマイズする傾向が強く、大量のスタッズやバッジで非常に重くなるほか、ピンの穴から雨が侵入することも多いという。
カフェ・レーサーとエース・カフェ
目的を決めずに走り、街道沿いのカフェで紅茶を飲んだらまた皆で走り出す姿から、そうしたバイカーの集団は「カフェ・レーサー」(後にロッカーズ)と呼ばれるようになった。1960年当時ロンドンのカフェで唯一24時間営業だったロンドン北西部の「エース・カフェ」には、そんなバイクに乗る若者たちが毎夜のように集まった。ジュークボックスにお金を入れ、1 曲演奏される間にカフェの周囲をどれだけ速く走れるかを競うなどの暴走行為も行われたという。
エース・カフェは今も経営されており、今年創立85年を迎えた。9月には昔を偲ぶ年配バイカーたちが集合しイベントを盛り上げた。
https://london.acecafe.com
1970s-2020s再出発とコラボレーション
日本との深いかかわり
1970年代に台頭したパンク・ロックのマスト・アイテムとしてルイス・レザーズは世界中に広まった。しかし、80年代に入るとパンク・ブームが過ぎ去り、それに伴いルイス・レザーズの売り上げも激減。その空白を埋めるかのように安価な輸入品が海外から入り込み、わざわざ高価で本格的なルイス・レザーズを手に入れようとする若者もいなくなった。
日本のロック・バンド、ギター・ウルフとのコラボレーションで作られた「メンフィス」。
1980~90年代前半はルイス・レザーズにとっての初めての低迷期となった。そんな状態を打破しようと立ち上がったのが、現在のルイス・レザーズの代表でもあるデレク・ハリス氏。暗中模索の中、1960~70年代に発売されたジャケットの復刻版として、新しくジャケットを作り出した。新しい顧客獲得に向け動き出すうちに、日本の存在も浮上してきた。
英国らしさが満載の、伝統的な1着「ライトニング」
1990年代に入ってからの日本では古着やモノづくりといった観点からルイス・レザーズに注目しており、2001年にはコム・デ・ギャルソンのデザイナー、ジュンヤ・ワタナベとコラボレーションの契約が成立。日本向けのルイス・レザーズがギャルソンから販売された。2005年には、東京に「ルイス・レザーズ・ジャパン」が設立。現在では、ギター・ウルフをはじめとした現役ロック・バンドのメンバーから、アーティスト、お笑い界のスターまでもが広く愛用するレザー・ブランドとして、日本でも高く評価されている。
こじんまりとした店内にはジャケットからバッグ、ベルトなどの小物までがそろい、何でも答えてくれるスタッフも常在
ヴィンテージのルイス・レザーズを探す
古着専門、革ジャン専門のオンライン・ショップでも購入できるが、ヴィンテージ・ショップや週末に開催されるマーケットなどのほか、ミリタリーに特化した古着ショップなどでも手に入る。また、郊外に行けばカーブーツ・セールで状態の良いブーツやジャケットに出くわすことも。
手入れ法と修理法
革ジャンはドライ・クリーニングできず、家庭用の洗剤も使えない。革は水で濡らすと縮むので雨にも注意すること。専門家に聞くか、革専門のクリーニング店に依頼するのが安全だが、ルイス・レザーズでは専用クリーニング・キットを販売している。