ドーセットの謎多き地上絵
CERNE ABBAS GIANT
サーン・アバス・ジャイアント
地上絵と言えば南米ペルーのナスカが有名だが、英国にも神秘に満ちた地上絵が数カ所あるのをご存知だろうか。正確には、英国では丘陵に描かれているため「ヒル・フィギュア」と呼ばれるが、中でも特に有名なのが、イングランド南西部ドーセットにある「サーン・アバス・ジャイアント」(Cerne AbbasGiant、サーン・アバスの巨人)。丘陵に残された裸の男性の強大な図形は、一体誰が、何の目的で作ったのか未だ多くの謎に包まれており、現在も調査が進められている。今回は世の中に知られているポッシュな英国のイメージとはかけ離れた不思議な観光スポットを紹介しよう。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: www.visit-dorset.com, www.nationaltrust.org.uk, www.telegraph.co.uk ほか
目次
サーン・アバス・ジャイアント <CERNE ABBAS GIANT>
イングランド南西部ドーセットの小さな村、サーン・アバスに昔から存在するヒル・フィギュア(hill figure)で、サーン・ジャイアントとも呼ばれる。村の北部にある石灰岩の丘の中腹に描かれている、大きな棍棒と男性器を持つ裸の男性像は、頭から足まで180フィート(約55メートル)、肩幅45フィート(約14メートル)。ヒル・フィギュアをかたどる2フィート(約60センチ)の白亜の線は、斜面に溝が掘られ、そこにチョークが敷き詰められている。天候によって、遠くから明瞭に見えるときとそうでないときがあるようだ。
1920年から現在まで、歴史的建築物の保護を目的に設立された英機関ナショナル・トラストの管理下にある。なお、現在はナショナル・トラストの指導員とボランティアの手によって10年ごとにチョークの入れ替えが行われている。ヒル・フィギュアの近くまで丘を登ることはできるが、保存のため周りは柵に覆われており直接近付くことはできない。
サーン・アバス・ジャイアンントとは一体何なのか?
錯綜する制作年
ユーモアあふれる顔の表情に勃起した男性器という目を引く姿から、つい表面的な特徴に目を奪われがちだが、実際このヒル・フィギュアは英国の郷土・文化史を知る上で非常に重要な遺産であり、これまで長年研究の対象にされてきた。「鉄器時代に異教の偶像として作られた」、「ローマ時代のヘラクレスをイメージした」、「17世紀にオリヴァー・クロムウェルを侮辱するために作られた」など諸説唱えられてきたものの、調査のたびにそれまでの説は覆り、新たな仮説やさらなる疑問を生み、依然としてその起源は不確定なままだ。
長い間「中世ごろに作られた」といわれていたヒル・フィギュアに驚くべき発見があったのが2021年。ナショナル・トラスト、グロスターシャー大学、商業機関のアレン環境考古学が共同で資金提供し、最先端の堆積物分析調査が行われた結果、ナショナル・トラストの主任考古学者マーティン・パプワース氏は、サーン・アバス・ジャイアントはサクソン時代後期に制作されたと結論付けた。同じく作業に当たった地質考古学者のマイク・アレン氏は「多くの考古学者や歴史家は先史時代または中世後期に作られたと考えていたが実際は違った。誰もが間違っていた」と、その驚きを語っている。
ヒル・フィギュアの肘から足にかけた部分の地下1メートルほどの深部から採取したサンプル結果から、推定制作年は紀元700~1000年であることが判明した。つまり先史時代、またはローマ時代にあたる700年以前に作られたと定義するのは難しく、よってこれは後期サクソン人によって作られた可能性が高いのではないかと推測された。
だが、これで制作年が確定したわけではない。歴史的建造物の保存に携わる公共機関ヒストリック・イングランドと国の許可を得て行った過去のある調査によると、同ヒル・フィギュアについて初めて言及された史料は、1694年に教区を管理する人物による修繕の報告であった。当時ヒル・フィギュアの近くにあったサーン・アバス修道院は、最新の調査で分かった制作年の終盤に当たる987年ごろに設立。1536~41年にヘンリー8世が行った修道院解体により同修道院の大部分が破壊されたものの、生き残った文書には近くに大きいヒル・フィギュアがありながら、それについての言及は一切なかったのだ。
1891年に制作された地図にはしっかりとサーン・アバス・ジャイアントがいる
失われた数百年の調査
ヒル・フィギュアはアングロ・サクソン時代後期に作られたものの、何らかの理由で数百年の間存在が知られていなかった。ナショナル・トラストのパプワース主任考古学者は、ヒル・フィギュアは生い茂る草によって長年隠されていたものの、日光不足などで草が枯れ、再び人の目に触れるようになった結果、先の修繕工事の報告がされたのではないか、という仮説を立てた。また、ヒル・フィギュアが意図的に隠されたという根拠は見つからなかったため、このヒル・フィギュアには政治的メッセージはなく、むしろ宗教的な意味合いがあったのではないか、という新たな見解も生まれた。ヒル・フィギュアが数百年草に覆われていたという仮説は正しいのか、大掛かりな調査は今後も続く予定だ。
オリジナルは裸に棍棒ではなかった?
裸に棍棒を持つ男性の姿はあくまでも現在見られる姿であり、過去には今はなきパーツがあったといわれている。またヒル・フィギュアそのもののイメージも、時代によって大きく異なっていたようだ。2021年の調査により、すでに否定されている説もあるものの、これまでの想像豊かな仮説は知るに値する。代表的な例を挙げてみよう。
- 1764年、英医師で牧師のウィリアム・ステュークリは、「この地域の人々はジャイアントを『ヘリス』と呼んでいた」とし、へリスがヘラクレスの昔の呼び方であるヘテスキン(Hetethkin)から来ているのではないか
- ローマ人が43年に上陸する前、同地にいたドゥロトリゲス族が崇拝していたケルト神話の神、ノドンス(Nodens)を表した。10~51年に近郊のホッド・ヒルから出土したフライパンの絵柄にデザインが似ている
- 左腕にマントもしくは動物の皮をかけ、手に切断したウサギの頭部を持っていた狩りの神を表している。ただし動物の皮がヘラクレスのシンボルであったライオンの皮であれば1の可能性が高い
- 17世紀にサーン・アバスの地主であったデンジル・ホリス卿が、当時敵対していたオリヴァー・クロムウェルを揶揄するために作らせた。ホリス卿が「英国のヘラクレス」をパロディー化した
特徴的な男性器部分については、時代によって草に覆われて輪郭がはっきりしないなどの理由で、文献やポストカードが作られた時期によりその有無が分かれる。ちなみに1890年ごろのポストカードにはへそとして扱われていた円が、1908年に整備された折に陰茎とつながったことで、現在の勃起しているような形態となった模様。2021年5月12日付「テレグラフ」紙によると、制作当初はベルト付きのズボンのようなものを履いており、男性器は17世紀ごろに意図的に追加された可能性が高いということが調査で分かった。つまり、4の17世紀は制作年ではなく、男性器が追加された時期としての可能性が高い。なお、20世紀には道徳的な観点から司教たちが1908年の整備作業時に男性器を取り除く提案をしたそうだが、結局残すことになり、その姿は現在まで続いている。
左:1764年発刊「ジェントルマンズ・マガジン」のサーン・アバス・ジャイアント
右:1842年に描かれたイラストには男性器はない
ナショナル・トラストによる手厚い保護
1920年から100年以上にわたりサーン・アバス・ジャイアントの管理を任されているナショナル・トラストによると、同団体の指導員とボランティアが、溝に詰められているチョークを全て掘り出し、新たに17トンのチョークをヒル・フィギュアの輪郭に詰め直すという大規模な作業を約10年ごとに行っている。これは遠くからでもヒル・フィギュアを鮮明に見せるためなのだという。第二次世界大戦中は、爆撃の標的にならないよう、全て覆い隠されたこともあった。
また、風雨に吹きさらしの環境にあるため、毎年5、6月には羊を放牧して雑草を食べてもらったり、夏には大規模な草刈りをしたりと、年間を通しヒル・フィギュアが美しく見えるよう定期的な手入れも行われている。
羊のフンを拾うのは人間の仕事。観光シーズン到来を前に掃除を済ませる
多数の広告に登場
インパクトのある見た目から、このヒル・フィギュアはこれまで数々のテレビCMや広告に活用されてきた。1998年、米ジーンズ・ブランドのビッグスミスがプラスチック製のジーンズを巨人に履かせ、2007年には米アニメ「シンプソン」の劇場版「ザ・シンプソンズ MOVIE」の宣伝として、大胆にもヒル・フィギュアの隣にホーマー・シンプソンを水性の塗料で描くなど、商業的に利用された。また、2013年に前立腺がんと精巣がんの意識を高めるキャンペーンとして、ナショナル・トラストはヒル・フィギュアに口ひげを付けさせるという大胆な試みを許可。さらに、サーン・アバス・ジャイアンと特定できないものの、Nintendo Switchのソフト「ポケットモンスター ソード・シールド」にも似たような景色が採用されている。
ビッグスミスのキャンペーン
ジャイアントの恩恵を受ける村
2009年に行われた調査によると、ヒル・フィギュアのある村、サーン・アバスに住む女性たちは生涯で1人あたり平均3人の子どもを産み、これは出産率としては全国1位の記録だそう。ちなみにロンドンのウェストミンスター地区は平均1.16人。調査年までの40年以上にわたり同地が出産率1位をキープし続けている理由に、このヒル・フィギュアが全く関係してないとは言い切れない、と「テレグラフ」紙は書いている。また、同地では毎年4、5月に古代遺跡のある風景の中で音楽や芸術、文学イベントを通し人類そのものを祝うイベント「サーン・ジャイアント・フェスティバル」が開催されており、昨年は数々のパフォーマンスや伝統的なモリス・ダンス、トークなどが行われた。2024年は4月13日(土)〜5月5日(日)。詳細はサイトをぜひチェックしてほしい。
FESTIVAL INFO
http://cernegiantfestival.uk
www.facebook.com/CerneGiantFestival
イベントがなくとも、村にあるショップではヒル・フィギュアをイメージしたお土産が購入できる。トートバッグ、Tシャツなどバラエティー豊かなアイテムがそろっている
SHOP
The Old Saddler
1 Duck Street, Cerne Abbas, Dorchester DT2 7LA
Tel: 0130 034 1238
火、木~土 10:30-17:00 水 10:30-15:30 日 11:30-14:00
ACCESS
丘陵地帯なので車で行くほうが便利。ドーチェスターの北へ約12キロ、シャーボーン(Sherbourne)の南約16キロのA352のすぐそばにある標識が目印。ビュー・ポイントは「Cerne Giant Viewpoint」(38 Acreman Street,Cerne Abbas, Dorchester DT2 7JX)。近くに駐車場があるのでそこに駐車して見に行こう。
電車
ナショナル・レール Maiden Newton駅から約9キロ。Dorchester West駅、Dorchester South駅から約12キロ
バス
平日限定でサウス・ウエスト・コーチズ・サービスのCR5番がドーチェスターとシャーボーンを結んでいる。Cerne Abbas, New Inn下車
www.southwestcoaches.co.uk/Bus-Timetables
詳しい行き方についてはwww.nationaltrust.org.uk/cerne-giantの「How to get here」を参照
まだある
英国の見るべきヒル・フィギュア
サーン・アバス・ジャイアントのほかにも、英国には数々のヒル・フィギュアが点在する。興味深いそれらを2点紹介すると共に、こうしたユニークな風景をテーマにした近日公開のエキシビション情報をお届けしよう。
斜面に浮かぶ顔なしの人
ウィルミントンのロングマン
The Long Man of Wilmington
英南東部イースト・サセックスにあり、長さ約62メートルの人間(ロングマン)が両手にそれぞれ棒のようなものを持っているヒル・フュギュア。現在はヒストリック・イングランドの指定記念碑として保護されている。白い輪郭はサーン・アバス・ジャイアントのように石灰岩ではなく、保護のためコンクリート・ブロックでできている。
かつて地元の人から「グリーン・マン」とも呼ばれていたこのヒル・フィギュアが、いつ制作され、何を目的としているのかは現在も明確に分かっていない。先史時代やローマ時代に作られ、神の姿を表していたと長年信じられていたものの、近年の調査により16〜17世紀に作られた説がどうやら有力のようだ。
現在はオリジナルの図柄から大きく変化してきているのが特徴で、1779年に残された図では棒ではなく熊手と鎌をそれぞれ持っていた。また、1873年に修復される前は足の向きが片方は外側、もう片方は下向きと丘を下っているような姿だったそう。さらに1969年と96年の調査で、現在見えている輪郭が1873年以前のものとは異なることが判明しており、足はもっと長かったとされている。
サーン・アバス・ジャイアントは度々いたずらにあっているが、このヒル・フィギュアも例外ではない。2010年には、サーン・アバス・ジャイアントに対抗するかのように男性器が描かれたり、21年1月には何者かによってフェイス・マスクが付けられた。
ACCESS
The Street, Wilmington, Polegate, East Sussex BN26 5SL
車
イーストボーン(Eastbourne)の北西から約9.6キロにある。ポールゲート(Polegate)のA22との交差点の西約3キロ、ルイス(Lewes)の東約16キロ、ウィルミントン村(Wilmington)の南に位置するA27にある標識が目印
電車
ナショナル・レール Berwick駅から約4.8キロ、Polegate駅から約4キロ
バス
Cuckmere BusesとCompass TravelがBerwick〜Polegate駅を結んでいる。Thornwell Road下車
https://www.cuckmerebuses.org.uk/
https://www.compass-travel.co.uk/
今にも駆け出しそうな躍動感のある
アフィントンの白馬
Uffington White Horse
英南東部オックスフォードシャーの南西にある、まるで丘を飛び越えていきそうな、流れるようなデザインの白馬のヒル・フィギュア。右に頭を向けた馬は、体長約111メートル、高さ約40メートルで、口には特徴的なくちばしのような部分があり、調査によれば、これは時代ごとに大きく形が変わってきたことが分かっている。また、犬や虎などさまざまな動物だとも考えられていたが、11世紀ごろに馬ということで落ち着いた。鉄器〜青銅器時代後期に制作された説で有力で、これまで紹介したヒル・フィギュアのなかで最も起源がはっきりしている。世間一般には、ウィリアム1世(1066〜87年)の治世に周囲一帯が「ホワイト・ホース・ヒル」として知られるようになったという記録が残っている。
現在はナショナル・トラストの管理下にあるが、ホワイト・ホースは定期的に整備をしないとすぐ汚れて見えなくなってしまうため、以前は地元の人々が7年ごとに掃除を行なっていた。
周囲一帯には、イングランドの守護聖人である聖ゲオルギオス(聖ジョージ)が竜を退治した場所と伝えられている頂上が平らな丘「ドラゴン・ヒル」(Dragon Hill)や、巨人が歩いたかのように波状の特徴的な斜面を持つ谷「ザ・マンジャー」(The Manger)、海抜262メートルに位置し、アフィントン城(Uffington Castle)と呼ばれる鉄器時代の要塞「ヒル・フォート」(Hillfort)など、見応えのある景観が広がっている。
ACCESS
Uffington, Oxfordshire SN7 7UK
車
スウィンドン(Swindon)からオックスフォード(Oxford)へ行くA420に標識がある。アシュベリー(Ashbury)とウォンテージ(Wantage)へ行くB4507が近い。駐車場は2時間まで2ポンド、終日4ポンド。ナショナル・トラスト会員は無料。ナビにはSN7 7QJと入力。
www.nationaltrust.org.uk/white-horse-hill
電車
ナショナル・レールSwindon駅から約19キロ、Didcot駅から約24キロ
バス
周辺を走るバスはない
これまで語られることのなかった文化を表現する
Radical Landscapes
広大な斜面を大胆に使ったサーン・アバス・ジャイアントなど、ユニークな「風景」をテーマにしたエキシビションが5月からテート・リヴァプールで開催される。土地の保護と不法侵入、土地にまつわる神話など、英国の景観史を振りかえる150を超えるアートが展示される。注目はネオン管を使って同ヒル・フィギュアを作り出したジェレミー・デラーによるアート作品。春のお出かけ先として検討してみてはいかがだろうか。
2022年5月5日(木)〜9月4日(日)
£13.50
火〜日10:00-17:50
Tate Liverpool
Royal Albert Dock Liverpool, Liverpool L3 4BB
Tel: 0151 702 7400
Liverpool Central/James Street駅
www.tate.org.uk