三味線の
可能性を切り開く
パイオニア
本條秀慈郎
HONJOH Hidejiro
坂本龍一の2017年のアルバム「async」にもゲスト出演している三味線奏者、本條秀慈郎は、伝統的な邦楽器でコンテンポラリー音楽の世界を追求する異色のミュージシャンだ。現代楽器としての三味線の可能性を若きパイオニアとして切り開き、世界的な作曲家に新作を制作してもらうことで楽器の新たな魅力を開拓すべく、グローバルに活動している。ウィグモア・ホールへの登場は2018年以来2度目となるが、今回はソロ・コンサートで単独で1時間のステージに挑む。三味線を始めたきっかけ、楽器の魅力と可能性、そして今回のプログラムについてたっぷりと語っていただいた。(インタビュー・文: 後藤菜穂子)
1984年生まれ。桐朋学園大学在学中、本條流家元本條秀太郎氏に師事し本條秀慈郎の名を許される。2016年、ACC Nakamura Kimpeiフェローシップによりニューヨークへ渡米。帰国後、自主リサイタル開催など国内の他、欧米、アジアの各地で演奏。NHK教育テレビ「日本の芸能」、テレビ朝日「題名のない音楽会」などに出演。アンサンブル・ノマド、クァルテット・エクセルシオやクレア・チェイス(フルート)、佐藤紀雄(ギター)、宮田まゆみ(笙)と共演。他ジャンルとの試みも多く、舞踊家の平山素子、デザイナーのジャン・リーロイ・ニューとも共演している。現在、桐朋学園芸術短期大学非常勤講師。
子供の頃の夢は指揮者
本條さんのご出身はどちらですか。
生まれは東京で、その後しばらく埼玉県の南浦和に住んでいたのですが、幼稚園に上がる時に父親の実家のある栃木県の宇都宮に引っ越しました。私の父は彫刻家で、主にアルミニウムを使って作品を作っています。父親も母親も音楽、特にジャズが好きで、クラシック音楽もよく聴きに行っていました。
ご自身も幼少の頃からピアノを習っていたそうですね。
母親が好きだったので僕にピアノを習わせたのですが、練習は苦手でした。ただ、ピアノ曲を聴くのは好きで、たとえば、母と一緒にベートーヴェンの「エリーゼのために」をいろいろなピアニストのCDで聴き比べるなどしていました。両親は大量のレコードやCDを持っていて、僕が中学生の頃になると父は現代音楽を聴かせてくれました。たとえばジョン・ケージやシュトックハウゼン*1、メシアン*2などです。そういった意味では、幅広い音楽を聴いていましたね。
*120世紀ドイツの前衛作曲家カールハインツ・シュトックハウゼン
*220世紀フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン
ピアノはその時も続けていましたか。
細々と続けていたのですが、うまくはなりませんでした。当時は楽譜がきちんと読めなくて、耳で聞いて覚えて弾いていたのです。中学生になるとオーケストラ曲も聴くようになり、指揮者が好きになって、トスカニーニ*3のようになりたいとか言い出しました(笑)。あと当時、坂本龍一さんのような作曲家で演奏家、指揮もされプロデュースもできる音楽家に憧れていました。それで高校進学では地元の音楽高校を受けたのですが、見事に落ちまして、しばらくピアノはトラウマになりました。
*3イタリア出身の名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ
三味線を始めたきっかけは。
高校に入ってからはバンドでギターを弾いたり、吹奏楽でチューバを吹いたり、中途半端に音楽を続けていたのですが、ある時、渋谷の小劇場「渋谷ジァン・ジァン」で三味線のコンサートを聴いてきた母に、「あなた三味線をやりなさい」と言われたのです。三味線については僕自身、何も知らなかったのですが、少なくとも地元では誰もやっていない楽器でしたし、目立つものをやりたいと思ったので、近所の津軽三味線の先生のところに通い始めました。そうしたらなんと楽譜がないじゃないですか! やったーと思いました(笑)。三味線のお稽古というのは、先生の演奏を見て覚えるわけです。そして次のお稽古で次の部分を覚えるという方法です。週1回ずつ通って、半年に一曲覚えるといったペースでした。
本格的に三味線を学ぶようになったのは大学からですか。
そうです。当時、ちょうど中学校教育に邦楽器が導入された頃で、僕は音楽の教師になろうと思ったのです。学校の先生なら吹奏楽の指揮もできるし、憧れびとにもなれるかなと思って(笑)。藝大に行きたいと思ったのですが、当時は津軽三味線専攻のコースがなかったので、ちょうど開設されたばかりの桐朋学園芸術短大の日本音楽コースに入学しました。そこで長唄三味線の奏者で、現代音楽も演奏される杵屋勝芳壽先生に師事しました。
先生は厳しかったですか。
とても厳しかったです。そもそも、桐朋短大コースのカリキュラムが現代曲を学ぶというものだったので、現代音楽にどっぷり浸かる日々でした。毎週のように新しい現代曲の楽譜を与えられて、次の週までに勉強していかなければなりませんでした。しかもそれまで三味線で五線譜なんて見たこともなかったのに! おかげで中学や高校の頃に楽譜を読めなかったのが一気に解消されました(笑)。また、大学ではアンサンブルの授業もあって、ギターやフルートなど西洋楽器との合奏も経験できて面白かったです。
三味線は1人で指揮者もオーケストラも全部できる楽器
プロの三味線奏者へ
現代音楽を専門とするプロの三味線奏者を目指すようになったのはいつでしょうか。
大学2年の時に、今の師匠の本條秀太郎先生*4と出会いました。初めて先生のソロの演奏会を聴いた時、最初にチーンと弾いたその一音で、なるほど、三味線というのは1人で指揮者もオーケストラも全部できる楽器なのだと実感しました。それほど圧倒的な存在感で、何よりもすごく良い音でした。それで、大学と並行して先生のもとに通いの内弟子をさせていただきました。当時は先生の偉大さをそれほど分かっていなかったのですが、師事するうちにやがて本條の名をお借りして活動したいと思い、卒業後の2009年に本條秀慈郎としてリサイタルを開きました。それがプロになるスタートでした。
*4日本の民謡・端唄・俚奏楽・現代音楽の三味線の演奏者、三味線音楽の作曲家
本條さんは多くの現代作曲家に新作を依頼してきました。これまで何曲ぐらい委嘱していますか。
たぶん50曲ぐらいでしょうか。僕の音楽活動はリサイタルが主軸になりますが、三味線のための現代曲はさほど多くないですし、また西洋楽器と共演したくても曲がなかったりするので、基本は委嘱します。初めて外国の作曲家に委嘱したのは2014年でした。そうした中で、最近では作曲家が呼んでくれて「曲を書くので弾いてほしい」という依頼も来るようになりました。
昨年、ウィグモア・ホールでの藤倉大さんの個展*5で驚異的な演奏を聴かせてくれた、藤倉さんの「neo」の成立について聞かせてください。
2014年に委嘱して作曲していただいたのですが、初演したのは2年後でした。正直、当時の僕には難しすぎて弾けなかったのです。そのうえ、僕の中では藤倉大という作曲家は難解な現代曲を書くイメージだったのですが、出来上がった曲は「ヘイ、ロックだぜ」(笑)というノリの曲で、戸惑ったこともありました。でも2年間練習したら、自分の中で解決できてものすごく良い曲だと思えるようになりました――もちろん既に良い曲だったわけですけれど。純粋無垢に三味線を捉え、楽器の一番の魅力を引き出してくれる曲と言えるでしょう。今や全世界の三味線の曲の指針になっている名作です!
*5 英国を拠点に活動する日本の現代音楽作曲家。Avexシリーズの一環で、2018年にウィグモア・ホールで音楽の個展(リサイタル)を開催
そんな中、2016年には米ニューヨークに滞在されたそうですね。
はい。アジアン・カルチュラル・カウンシルという、ACC(旧ロックフェラー)財団のフェローシップで半年間滞在しました。かつて作曲家の武満徹さんや一柳慧(いちやなぎとし)さん、画家の横尾忠則さんらもこの制度で留学していました。半年間、グランド・セントラル駅の近くのアパートで過ごし、いろいろと見聞きしてインプットする日々でした。ニューヨークでは他ジャンルとのコラボにも目覚め、レディー・ガガのファッションを手がけるフィリピン人アーティスト、ジャン・リーロイ・ニュー氏とのコラボなども刺激的でした。帰ってからもダンスの平山素子さんとのコラボレーションなどを行っています。
さらに昨年は文化庁文化交流使として世界各地で演奏されました。
はい。6カ月の間に米国、ロシア、チェコ、ドイツ、英国、フランス、イタリア、トルコと回りました。ロシアではシベリアのクラスノヤルスクという地で作曲家の杉山洋一さんの三味線協奏曲を初演したり、トルコではアンカラで伝統楽器の人間国宝級の演奏家とコラボレーションしたり。さらにこれらの国々の作曲家に新作を委嘱し、去年だけで21曲もの新曲を初演しました。 どの国でも観光する暇もなく、ホテルで練習してリハーサルに行ってコンサートをしての繰り返しでしたが、大変充実した半年でした。
ウィグモア・ホールでの
ソロ・リサイタル
7月のロンドンでのリサイタル曲をご紹介ください。全て三味線のソロ曲ですね。
はい。まずキプロス出身のマリウス・ヨアンノー・エリア氏が僕のために書いてくれた「RED」という短い曲を弾きながら登場しようと考えています。続いて、浦田健次郎氏の「碧譚(へきたん)第2番」を演奏します。碧譚というのは中国の言葉で、夜の湖に月の光が入って水の奥まで浸透するという意味で、大変美しい、日本的な作品です。
次に太棹の楽器で、高橋悠治氏の「ハムレット生死(しょうじ)」という弾き語りの曲を演奏します。これは義太夫三味線演奏家の田中悠美子さんのために書かれた曲で、いきなり「To be or not to be」というセリフで始まります。歌もあって芝居風の作品なので役者になったつもりで演じないとなりません。
次の曲を作曲したヴィジェイ・アイヤー氏は、ニューヨーク在住のインド系天才作曲家&ジャズ・ピアニストです。「Jiva」は昨年ニューヨークで初演した曲で、シンプルながらインド音楽のリズムの難しさとうまくマッチングした良い曲です。
今回は坂本龍一さんの新作を世界初演されるそうですが、坂本さんとの出会いを教えてください。
坂本さんと親しい藤倉さんが紹介してくださいました。昨年僕がニューヨークのジャパン・ソサエティで演奏した時に聴きに来てくださって、その後でご自宅にお招きいただきました。その時に三味線を弾いてみてほしいと言われ、スタジオで弾きました。その後、もう1度呼んでくださり伺ったら、なんと僕のために曲ができているのです!それを弾いてみて、レッスンもしてくださって、それがレコーディングされ、坂本さんのアルバム「async」の12曲目に収録されている「honj」になったのです。そうしたご縁で、今回のリサイタルのために新曲をお願いしたら、快く引き受けてくださいました。曲が出来上がってくるのが楽しみです。
すばらしい演奏を期待しています。ありがとうございました。
本條さんに聞く!
三味線の特徴とその魅力
三味線は何種類くらいあるのですか
大きく分けて、太棹(ふとざお)、中棹(ちゅうざお)、細棹(ほそざお)の三味線がありますが、ジャンルや流派によってさらに細やかな部分で変わってゆきます。ジャンルは義太夫の三味線(太棹)、長唄三味線(細棹)、地唄三味線(中棹)、それから津軽三味線など挙げきれないほど多岐の分野に分かれます。僕が現代音楽で使っている三味線は分類としては中棹になります。
ヴァイオリンのように古い楽器の方が良いということはあるのでしょうか
いえ、三味線は消耗品でもあるので、極端に古い楽器はあまり使用しません。江戸時代と今では、楽器の素材も違います。江戸時代の楽器で残っているものもありますが、今使おうと思っても難しいかも知れません。僕は本番用の三味線を2挺持っていますが、三味線はときどき皮が破れ、その張り替えに はやくて2週間ほど必要なので、常に2挺用意しています。また、ずっと弾いているとカンベリと言って棹も減っていくので、1挺を使い続けたら長くもちません。
三味線の糸は頻繁に張り替えるものですか
絹糸なので、すぐに切れてしまいます。多い時は1日に何回も替えることもあります。1本数十円から数百円ぐらいなので高いものではありませんが。糸の太さは違っていて、太いほうから一の糸、二の糸、三の糸と呼びます。
三味線というのは面白くて、舞台に出る直前に糸を張り替えるような楽器です。新しい方が良い音がしますが、その反面調弦は安定しません。でもそれを覚悟で音色の方を優先するが三味線です。よく舞台上で三味線の弦をいじっているところを見たことがあると思いますが、あれは演奏しながら音を調整しているのです。
三味線の魅力とは
三味線というのは縦横無尽かつ臨機応変で、とても柔軟な楽器です。コンパクトですが、ときには打楽器のような音も出せるし、サワリを使えばノイジーな共鳴音も出る、いろいろな効果音を作れる演出力のある楽器なのです。芝居の中でよく使われるのも納得できます。
HONJOH Hidejiro Shamisen Recital
Avex Recital Series 2019
2019年7月6日(土)13:00開演
チケット:£18(学生 £12)
本條秀慈郎(三味線)
プログラム
マリウス・ヨアンノー・エリア: RED
浦田健次郎: 碧譚第2番
高橋悠治: ハムレット生死
ヴィジェイ・アイヤー: Jiva
坂本龍一: 新作
藤倉大: neo
会場: Wigmore Hall
36 Wigmore Street W1U 2BP
最寄駅: Bond Street
チケットお問い合わせ先
Tel: 020 7935 2141
https://wigmore-hall.org.uk
コンサートに関する問い合わせ先
エイベックス・リサイタル・シリーズ
www.avexrecitalseries.com
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