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Fri, 04 October 2024

専属通訳を務めたジャーナリストが語る
演出家・蜷川幸雄が
英国演劇にもたらしたもの

舞台演出家の蜷川幸雄が今年の5月12日、永眠した。自身が芸術監督を務める彩の国さいたま芸術劇場でシェイクスピア全37作品の上演を行う「彩の国シェイクスピア・シリーズ」を手掛ける一方で、井上ひさしや村上春樹など様々な日本人作家 / 劇作家の作品も積極的に取り上げてきた蜷川は、演劇大国である英国でも多くのファンを魅了し続けてきた。蜷川幸雄が英国の演劇界に遺したものとは何なのか。長年にわたり専属通訳として蜷川の英国上演作品に携わってきたロンドン在住のジャーナリスト秋島百合子さんに、英国における蜷川幸雄について語ってもらった。
(取材・文: 本誌編集部 村上 祥子)

参考文献: 秋島百合子「蜷川幸雄とシェークスピア」(角川書店)

蜷川幸雄(写真右)と通訳を務める秋島百合子さん
1991年、「タンゴ・冬の終わりに」の制作現場にて。蜷川幸雄(写真右)と
通訳を務める秋島百合子さん(同左) / 秋島百合子さん提供

蜷川幸雄蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)略歴
1935年埼玉県生まれ。2016年5月12日死去。(財)埼玉県芸術文化振興財団芸術監督、Bunkamura シアターコクーン芸術監督などを兼任。1983年「王女メディア」のイタリア・ギリシャ公演以降、ヨーロッパ、米国など世界各国で数多くの作品を上演しており、英国では85年「NINAGAWA マクベス」以来、数多くの作品を発表。シェイクスピア作品のみならず、寺山修司作「身毒丸」や村上春樹原作「海辺のカフカ」など、日本の作家 / 劇作家の作品も演出し、日本国内外で高い評価を受けた。英国では87年に英国の演劇賞ローレンス・オリビエ賞演出家部門ノミネート(「NINAGAWA マクベス」及び「王女メディア」にて)。2002年、大英帝国勲章(CBE)の叙勲を受ける。
秋島百合子秋島百合子(あきしま・ゆりこ)略歴
1950年生まれ。青山学院大学文学部英米文学科卒。米経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」東京支局勤務後に来英、75年から78年まで、BBC で日本語放送に携わる。その後はジャーナリストとして活躍。1985 年には「この世はすべて舞台」で第1回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞優秀賞を受賞。「蜷川幸雄とシェークスピア」(角川書店)ほか著書多数。

物語と現実をつなぐ枠組み

今年の5月、英国のメディアに一人の日本人演出家の死を取り上げる記事が踊った。「ガーディアン」紙の大物劇評家、マイケル・ビリントンは「驚くべき視覚的華麗さと、東洋と西洋を融合させる力を備えた作品を手掛けた偉大な日本人演出家」と評し、その業績を称えた。1985年、スコットランドのエディンバラで「NINAGAWA マクベス」を上演。以来、昨年2015年に藤原竜也主演「ハムレット」と村上春樹原作「海辺のカフカ」をロンドンのバービカン劇場で連続上演するまで、ほぼ毎年英国で公演を行い、追っかけと自認する英国人ファンもいた蜷川幸雄は、ここ英国の演劇界でも大きな存在感を放っていた。

1985年、鮮やかに舞い散る桜の禍々しいまでの美しさがエディンバラの観客の心をわしづかみにした「NINAGAWA マクベス」、その観客席に秋島さんはいた。英語に堪能で、過去にはBBC の日本語放送を担当していた秋島さん。当時、友人が蜷川の演出補で、日本では舞台関係の通訳や制作の仕事を時折手伝っていたこともあり、次の英国公演である1986年の「王女メディア」から制作現場やプレスのインタビューなどで通訳を担当する現地スタッフとして英国における蜷川作品に携わるようになった。

蜷川が手掛けたシェイクスピアと言うと、舞台上に巨大な仏壇を設け、その中で武士の衣装に身を包んだ登場人物たちが物語を展開する先述の「NINAGAWAマクベス」を始め、佐渡の能舞台や京都・龍安寺の石庭を舞台とするなど日本的な視覚的要素が強調された作品が複数みられる。一部からは海外向けの「ジャポネスク」であると言われたこうした演出はしかし、決してそのような意図に基づいたものではなかったと秋島さんは語る。「あのような演出は、むしろ日本人にとって分かりやすくするためのものでした。当時は海外へ持って行こうという話もなかったのですから。元々アングラ*1 出身で、日本人が西洋人の格好をしてシェイクスピアを演じることは『格好悪い』と考えていた蜷川さんが、ではどうしたらいいかという観点から生み出したのが『枠』を付けることだったのです」。ここで言う「枠」というのは、芝居の本編が始まる前に、これから日本人の役者たちがシェイクスピア劇を演じます、と芝居の中で「宣言」することで、初期の「NINAGAWAマクベス」から昨年の「ハムレット」まで、蜷川はいくつかの作品で採用している。それはこうすれば「短い足で白いタイツを履いた日本人がシェイクスピアを演じてもリアルなんじゃないか」という、日本人がシェイクスピア劇を演じるジレンマを解消する一つの方法だったというわけだ。

*1 アングラ(演劇): ヨーロッパの近代演劇を手本とした新劇に対抗する形で1960~70代に興隆した演劇のスタイル

こうして実際の芝居と現実の間にワンクッションを置く枠付けは、日本人が西洋劇を演じるための入り口としてのみ使われたわけではなかった。例えば、イラク戦争勃発直後の2003年にナショナル・シアター(NT)の大劇場オリビエで上演された「ペリクリーズ」では、現代の戦場と思しき荒地に心身に傷を負った旅役者たちが集まって「ペリクリーズ」を演じるという枠を設定した。これは特にイラク戦争を念頭に置いた演出ではなかったそうだが、離ればなれになった家族があり得ない偶然の積み重なりで再び相まみえるという幻想(ファンタジー)と、厳しい現実をつなげる架け橋の役割を果たした。

1999年の「リア王」のリハーサル風景
1999年の「リア王」のリハーサル風景。ナイジェル・ホーソーン演じるリア(写真右から2人目)と、道化役の真田広之(同右端)

数十年後に下された 「評価」

これまで蜷川は、20を優に超える英国公演を行っているが、その大多数は日本で制作されたプロダクションだ。だが中には英国の役者を使い、英国制作もしくは日本と英国で共同制作されたケースもある。1991年に上演された清水邦夫作「タンゴ・冬の終わりに」では、人気と実力を兼ね備えた英国人俳優の故アラン・リックマンを迎え、エディンバラに加え英国随一の劇場街ウェスト・エンドで長期公演を敢行。1994年の「ペール・ギュント」は英国人キャストの中に蜷川作品常連の壌晴彦(じょうはるひこ)が加わるという構成だった。そして驚くべき制作過程を経て生まれたのが、シェイクスピア演劇の本丸とも言えるロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)との共同プロジェクトである1999年の「リア王」である。出演者は一人を除き英国人、制作チームは日本という混合編成。稽古は出演者を日本に数週間滞在させて行い、日本公演の後にバービカン劇場、そしてRSC の本拠地であるストラトフォード=アポン=エイボンのロイヤル・シェイクスピア劇場でも上演するという、壮大なスケールだった。制作現場ではさぞや多くの紆余曲折があったことと思われるが、まずは唯一の日本人キャスト、真田広之が出演に至った経緯を秋島さんに聞いてみた。

「『リア王』における道化の役というのは異質な存在でしたから、始めから蜷川さんは日本人俳優にしようと思っていました。真田さんの名前を出したのは、(リアを演じる)ナイジェル・ホーソーン*2。その前年に真田さんが『ハムレット』を演じていたのを観て、『僕のフール(道化)には彼がいい』と言ったのです。それで蜷川さんとセルマ・ホルト(プロデューサー)、私の3人で真田さんのところに行って話したら、『えっ……僕……!?』って(笑)。最終的に彼に決まって、真田さんは演劇専門の発声 / 発音のベテラン・トレーナーについて発音などを猛特訓。元々、英語を話すのは上手だったけれど、演じるのはまた別でしょう? アメリカでも色々活躍されていますが、あれだけ訓練したことが役に立っているのではないでしょうか」。

*2 ナイジェル・ホーソーン: BBC ドラマ・シリーズ「Yes Minister」で人気を博し、映画、舞台で活躍。ローレンス・オリビエ賞、トニー賞の受賞経験もある実力派俳優

鳴り物入りで開幕した「リア王」だったが、当初、英国における劇評家の評価は、決して高いものとは言えなかった。「ナイジェル・ホーソーンの俳優としての資質がリアとしては優しすぎる、と。リア王と言えば、獰猛な専制君主というイメージがありますから。ナイジェルなんて打ちひしがれてしまって大変でした」。では、この蜷川版「リア王」は英国では受け入れられなかったのか。まず、観客の反応は劇評とは対照的に翌日も満席、キャンセル待ちの行列ができたほどだった。そして劇評も、先に出る日刊紙こそ厳しいものが多かったが、その後は日曜紙などで絶賛する評も出て持ち直したのだと秋島さんは言う。そしてもう一つ。「ナイジェルが蜷川さんにね、老人の病気を専門にするお医者様から手紙をたくさんもらったんですよと言いに来たんです。老人の頑固さや獰猛さといった点だけでなく、混乱し錯乱する部分まで良く出ていて良かったって」。この話を聞いて思い出したことがある。英国演劇界にあってシェイクスピア俳優の名をほしいままにする名優サイモン・ラッセル・ビールが2年前にタイトル・ロールを演じ称賛されたNTの「リア王」。この中でラッセル・ビールは、手を小刻みに震わせて激高し、哀れさを伴う混沌を纏う老齢の王を演じ、まさに認知症の要素を押し出したのである。すると間髪入れず、秋島さんもこのラッセル・ビールのリア王について言及した。

「サイモン・ラッセル・ビールも、認知症を研究してああいう役柄をつくり上げたのですよね。今でこそ『ディメンシア(認知症)』と言われるけれど、シェイクスピア の時代にはそういった言葉はなかった。けれども実際にそうした人たちは大勢いたわけで、それを取り上げたシェイクスピアはすごい、それも一つの解釈だ、と最近になって医学の専門家からの説も出たと言います。だからある意味、蜷川さんは時代を先取りしていたとも考えられる。今、蜷川さんがあの舞台を上演していたら、また評価も違っていたのではないかと思うんですよ。でも芸術とは時代、時代で受け取られ方が変わってくる。そういうものですからね」。

2つの才能が出会う

数十年にわたり、通訳という立場で蜷川の制作現場を見続けてきた秋島さん。制作過程はもちろんのこと、それ以外でも心に残る思い出があるだろう。それはもう色々ありますよ、そう笑う秋島さんに、2つのエピソードを伺った。

まずは2003年、NT で上演された「ペリクリーズ」でのこと。当時の同劇場トップである芸術監督は、過去にはRSC で芸術監督を務め、ミュージカル「レミゼラブル」の演出などでも知られるトレバー・ナン。「『ペリクリーズ』はやりにくいから俺にやらせたんだよ(笑)」と蜷川が冗談交じりに語ったという通り、英国の演劇ファンの間でも地味な存在である同作をナンの肝入りで上演することになった蜷川だったが、初日の休憩中、ナンが息せき切って蜷川のところにやって来たそうだ。「蜷川さんは本番中、客席に座らないんですよ。後ろに立ってうろうろしている。たぶん落ち着かないのでしょう。それで私も蜷川さんと一緒に立って観ていたら、トレバー・ナンが駆けつけてきて涙を流して感動しているんです。『こんなに分かりやすいペリクリーズは初めてだ』って。まだあと半分ありますよ、という感じだったですけれどね(笑)」。

そしてもう一つが、格調高い文体で英国の生活や文化を綴ることで定評のある作家、カズオ・イシグロとのエピソードだ。2007年に出版社の社長の厚意でイシグロと会食をする機会があった秋島さんは、彼から蜷川について、「こういう名前の演出家は知っている?」と聞かれた。なんでもイシグロは演劇好きで、同時期にバービカン劇場で上演された「コリオレイナス」を鑑賞していたのだという。以前から蜷川がカズオ・イシグロのファンだったことを知っていた秋島さんは、2人を引き合わせようと思い立った。「片方だけだったらそんなことは考えなかったでしょうが、両想いだったから(笑)、それだったらと思ったのです。『コリオレイナス』の次の英国公演となった『NINAGAWA十二夜』のときでしたか。休憩時間に3人だけで会いました。その後は毎回、会っていたみたいですよ」。この2人の交流は2014年、彩の国さいたま芸術劇場の開館20周年記念に、蜷川がイシグロの著作「わたしを離さないで(Never Let Me Go)」を基にした同名の芝居の演出を手掛けるという形で花開いた。イシグロは蜷川が亡くなった際にも、日本の演劇雑誌に追悼文を寄せている。

蜷川「コリオレイナス」2007年にバービカン劇場で上演された「コリオレイナス」。舞台全体を覆う大階段が圧巻

蜷川幸雄、カズオ・イシグロ、秋島百合子2009年、蜷川、イシグロとともに写真に収まる秋島さん

シェイクスピアの「矛盾」を楽しむ

ロンドンの街には至るところに大小の劇場が点在し、 観劇文化が一般に浸透している。国内に才能あふれる演出家が星の数ほどもいるのに、日本人である蜷川がなぜここまで受け入れられ、長年にわたり愛され続けたのか。その理由の一つは、「リア王」などの稽古場で蜷川が目の当たりにした、日英の演技手法の違いにありそうだ。

「イギリス人はまるで実際にそこで物事が起こっているかのようにリアリズムで演じようとする。大きな劇場でも3、4人でぼそぼそとしゃべっていて本当にナチュラルに見える芝居ってあるじゃないですか。彼らは発声が上手だから、ぼそぼそしゃべっていてもはっきりと声が聞こえるし、それが良い芝居と考えられている。一方で、蜷川さんが言うには、日本人はどんなにナチュラルにやろうとしても様式が出てくるって。身体にしても、話し方にしても、骨の髄まで様式が入っている。どんなに日本人がナチュラルにやってもイギリス人のようにはならない。だったら逆に様式をやろうというのが彼のポイントなわけです」。

様式とリアリズム。日英の演技手法の違いを逆手に取って、日本人が演じるシェイクスピアを、そして英国人が演じる日本のプロダクションをつくろうと蜷川は考えた。「日本人が演じるシェイクスピアを演出するときは様式を生かし、歌舞伎のような技術も取り入れた。一方でイギリス人を使う場合には、基本的な枠組みは日本的な部分もかなりあるのだけれど、そこにイギリス人のリアリズムをぶち込んで衝突させた。蜷川さんは『能の舞台に泥のついた長靴を履いてどかどか上り込んでほしい』という言い方をしていましたね」。

今でこそ英国でもフィジカルな芝居が増えてきたが、まだまだ言葉や台詞を重視する傾向が強かった数十年以上も前、珠玉の言葉が散りばめられたシェイクスピア作品に様々な「型」をはめ、視覚的な演出を施したプロダクションを見せつけられた英国の観客は、「逆カルチャー・ショック」とでも言うべき衝撃を受けたことだろう。そしてもう一つ、「シェイクスピアの作品自体、必ずしもナチュラリズムを追求したものではない」という点がある。

「特に『シンベリン』のようなロマンス劇*3や『間違いの喜劇』などの喜劇は矛盾だらけじゃないですか。ここでこんな偶然が起こるなんてあり得ない。ナチュラリズムでやっていたら行き詰ってしまうわけです。例えば『シンベリン』で生き別れた兄妹が出会うときに「あら、お兄さん!」「ああ、お前!」とかリアルに演じると逆に不自然なことになってしまう。でもイギリスでは矛盾を少しでも矛盾ではなくなるようにナチュラリズムで解決しようとした。だからシリアスになる。『それじゃ笑えなくなっちゃうじゃないか!』っていうのが蜷川さん。『これはおかしいんだよ。こんな偶然続きっこないんだから』って。シェイクスピアの喜劇には結構ドタバタ要素もあるのですが、おかしいところはどんどんおかしくして、これでもかこれでもかってやったら、こちらの観客にもすごく受けて。蜷川さんが手掛ける余地がシェイクスピアにあったということかしらね」。かつては一般市民の娯楽として愛され、時には馬鹿馬鹿しくも、下世話でもあったシェイクスピアの世界の埋もれていた一面が、時代を経て、期せずして異国の演出家によって蘇ったということなのかもしれない。

*3 ロマンス劇: シェイクスピアの後期の4作品の総称。家族の別離から再会、和解までの過程を空想やスペクタクルな要素を織り込み描いていく

来年、ロンドンのバービカン劇場では、英国の観客の度肝を抜いた「NINAGAWAマクベス」が再び上演されることが決まった。スコットランドの残虐な栄枯盛衰の物語を荘厳な日本の伝統美で彩り、現在の英国人のシェイクスピア観を吹き飛ばした蜷川の桜が、30年ぶりに英国の劇場に舞う。

蜷川「ハムレット」のひな壇2015年にバービカン劇場で上映された「ハムレット」では、劇中劇のシーンにひな壇が登場した

蜷川幸雄、英国公演の軌跡


*赤は英国または日英制作作品
1985年 「NINAGAWA マクベス」 エディンバラ
1986年 「王女メディア」 エディンバラ
1987年 「NINAGAWA マクベス」 ロンドン(ナショナル・シアター、リトルトン)
王女メディア」 ロンドン(ナショナル・シアター、オリビエ)
-両作品で1987年ローレンス・オリビエ賞演出家賞ノミネート
1988年 「テンペスト」 エディンバラ
1989年 「近松心中物語」 ロンドン(ナショナル・シアター、リトルトン)
1990年 「卒塔婆小町」 エディンバラ
1991年 「Tango at the End of Winter」(タンゴ・冬の終わりに)
エディンバラ、ロンドン (ピカデリー劇場)
-アラン・リックマン主演
1992年 「テンペスト」 ロンドン(バービカン劇場)
1994年 「Peer Gynt」(ペール・ギュント)
ロンドン(バーピカン劇場)、マンチェスター
-マイケル・シーン主演
1995年 「夏の夜の夢」 プリマス、ニューカッスル
1996年 「夏の夜の夢」 ロンドン(マーメイド劇場)
1997年 「身毒丸」 ロンドン(バービカン劇場)
1998年 「ハムレット」 ロンドン(バービカン劇場)
-真田広之主演
1999年
〜2000年
「リア王」 ロンドン(バービカン劇場)、ストラトフォー ド=アポン=エイボン
-ナイジェル・ホーソーン主演
2001年 「近代能楽集」 ロンドン(バービカン劇場)
2003年 「ペリクリーズ」 ロンドン(ナショナル・シアター、オリビエ)
2004年 「ハムレット」 プリマス、ノーリッジ、プール、エディンバラ、サルフォード、
ロンドン(バービカン劇場)、ノッティンガム、バース
-マイケル・マロニー主演
2006年 「タイタス・アンドロニカス」 ストラトフォード=アポン=エイボン、プリマス
2007年 「コリオレイナス」 ロンドン(バービカン劇場)
2009年 「NINAGAWA十二夜」 ロンドン(バービカン劇場)
-歌舞伎版
2010年 「ムサシ ロンドン・NY バージョン」 ロンドン(バービカン劇場)
2012年 「シンベリン」 ロンドン(バービカン劇場)
2015年 「ハムレット」 ロンドン(バービカン劇場)
-藤原竜也主演
2015年 「海辺のカフカ」 ロンドン(バービカン劇場)
 

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