第35回 「言い換え」の裏には何がある?
暴風雨のような金融危機は衰えを知らず、欧米諸国で銀行への公的資金の注入が続々と行われている。
英国では13日、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)、HBOS、ロイズTSBの大手3行に対し、総額370億ポンド(約6兆4000億円)に及ぶ公的資金の注入が発表された。英国の総人口はざっと6000万人だから、乳幼児から高齢者まで含め、1人当たり日本円で約10万円に達する。たった3つの私企業を救うために、こんな巨額の公的資金を注ぎ込んでも反対デモもロクに起きないところは、さすが、紳士淑女の国と言うべきか。
ところで、公的資金とは、平たく言えば、政府が持つ現金、すなわち税金である。だから、「銀行への税金投入」と言えば良いものを、政府は「公的資金」と言い換える。この言葉は日本独特の言い回しであり、この「言い換え」こそがクセ者だ。政府は世論の反発を恐れ、「税金投入」というストレートな言い方を避ける狙いなのだが、確かに「公的資金」となると、自分は関係ないように感じてしまう。
この場合の「公的資金」に対応する言葉は欧米にはなく、英国のニュースでも「public fund」といった言葉は登場しない。たいていは「taxpayers' money」である。単に「tax」という表記も多い。政府もメディアも実にストレートだし、それが一番、現実に見合った言葉遣いだと思う。
日本では1990年代末の金融危機の際、「公的資金」という言葉が一気に広まった。当時は東京で勤務し、日本銀行の金融記者クラブをベースに仕事をしていたが、そのころ銀行救済策を練る金融庁や大蔵省(現財務省)、日本銀行の担当者が盛んに使い始めたことを覚えている。ご丁寧にも、「公的資金」の述語は「投入」であり、「資本」を主語にした文章の場合の述語は「注入」だ、と解説してくれる人までいた。
私は当時、この種の記事を書く際は「公的資金(税金)」という表記を使い、(税金)を挿入した。結構な数の新聞が、同じようなことをやっていたと思う。それが続いていれば、あるいは、端から「公的資金」を使わず、「税金」で統一されていれば、その後の10年間は少し違った姿になっていたかもしれない。
この種の言い換えは、ほかにも多数存在する。
最近、会計検査院の検査によって、日本の12道府県で補助金などが不正に使用されていた、というニュースがあった。その関連で、ある県の幹部が「私的流用はありません」と説明していたが、「私的流用」とは、要するに横領、着服のことであり、刑法の処罰対象だ。それに対し、「私的流用」は、ずいぶんと穏やかな印象がある。
役所の公金不正においては、よく役所側が「不適切」「不適正」といった言葉を使用する。公金を不正に使うには、公文書(会計書類)の偽造などが欠かせない。実態はまさに犯罪なのだが、「不適正」と言われると、なんだか、思わず納得してしまいそうだ。
「監視カメラ」と「防犯カメラ」も似たようなところがある。機器や機能、設置目的は同じだが、言葉の違いによって抵抗感が違う。当然のことながら、カメラ設置を進めたい側は「防犯」を使う。この点、単に「CCTV」(closed-circuit television)、つまり「有線テレビ」と表現する英語の方が、ずっと実態に合っている。
自衛隊のイラク行きに関しては、「派兵」ではなく、「派遣」が使われ続けた。軍隊が外国へ出て行くのだから、「派兵」に決まっていると思うが、「派兵」と表現し続けたマスコミはない。
こうした「言い換え」例では、必ず、第二次世界大戦当時の大本営発表が引き合いに出される。
南方戦線で敗北を続けているのに、大本営が敗走を「転進」と言い換え、新聞各紙はそれらの垂れ流しを続けた。実態を覆い隠す言葉を編み出し、継続的に使用する当局側。それに乗せられ、あるいは目をつむり、世間に流し込む大メディア。その構図は昔も今も変わってはいない。
メディアに身を置く立場からすれば、「公的資金」に(税金)を挿入するといった方法で、少しずつでも変えていく以外にない、と考えているのだが。