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Thu, 21 November 2024

第20回 サミット会場の数奇な過去。

福田康夫首相が駆け足で、英国を訪問した。ドイツを経由してロンドンには午前10時ごろ到着し、夕方前には次の訪問地ローマへ向かうという過密日程であり、あわただしいことこのうえない。福田首相の欧州歴訪は、7月の北海道洞爺湖サミットに向け、欧州の各首脳と顔合わせをしておくことが目的だった。確かに、サミット会場で「How do you do?」では、格好がつくまい。

今回のサミットは「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」という豪華ホテルが会場になる。建物自体はバブル期に建設され、一時は「バブルの塔」とも呼ばれた。バブル崩壊に伴う閉鎖や身売り、そして再開。かつて「エイペックス洞爺」と呼ばれたこのホテルは、幾人もの夢と恨みを飲み込んだ、数奇な歴史を持っている。

1989年11月2日。

晴れてはいたけれども、山頂のホテル建設予定地には、冷たい風が吹き抜けていた。スキー場やゴルフ場も含め、最終的には総事業費約1000億円に上るという、巨大事業の地鎮祭である。同年の暮れに日経平均は3万8000円を超えて史上最高値をつけ、4万円突破も時間の問題と言われていた。そんな時代である。

会場到着が遅れた私は、関係者から「遅かったな。ヘリコプターのオーナーを見損ねたな」と言われた。事業主である札幌の建設会社カブトデコムのオーナーA氏、それを支援する北海道拓殖銀行(1997年に経営破綻)の重役たちが、ヘリで山頂に舞い降りたのだという。

A氏は当時、北海道では立志伝中の人物だった。

工業高校を卒業後、有力建設会社に就職。24歳で独立し、5人でカブトデコムを立ち上げた。建設会社でありながら、創業時はスコップ6丁とツルハシ2丁しかなく、それでも朝から晩まで働きづめだった、とA氏はよく語った。半ば、つくられた話なのか真実だったのか、今となっては判然としないが、人の何倍も働く人物だったことは間違いない。

雲行きがおかしくなったのは、1992年からだ。バブルが崩壊し、主力銀行の拓銀が融資を絞る。間もなく、カブトの株価は暴落し、瞬く間に経営は行き詰まった。拓銀は自身の生き残りのため不良債権の解消に乗り出し、カブトの息の根を止めようと、A氏を有価証券偽造罪(手形偽造)で札幌地検に告訴した。

奇妙な出来事が続出するのは、ここからである。

拓銀は「A氏を刑事告訴はしたものの、検察は銀行内部の事件(特別背任)にもねらいをつけているのでは」と推察し、告訴を取り下げようとした。だが、検察は受け付けず、やがてA氏を逮捕する。しかし、A氏は否認を続け、「検察が苦しんでいる」との情報が伝わってきた。

そのころ、A氏の自宅マンションから盗聴器が見つかった。A氏の弁護士事務所のソファからも、同様の盗聴器が見つかった。盗聴器問題がマスコミをにぎわした数日後、今度はA氏のマンションの管理人である年配男性が屋上から転落死した。「自殺」と言われはしたが、動機は乏しいうえ、管理人の肉親は「彼の眼鏡が見つからない」と訴えた。管理人は極度の近眼で、眼鏡なしには歩けもしないのに、屋上や転落地点の植え込み周辺から眼鏡が見つからないのだ、という。

しばらくして今度は、A氏の取り調べを担当していた検察官が、検察庁舎の自室で首つり自殺した。その動機も謎のままである。

A氏は一審も二審も無罪。検察側は上告せず、1999年8月、無罪が確定した。その間に拓銀は破綻して消えた。

当時の検察の捜査については「カブトではなく、拓銀の不正融資がねらいだった」という説がある。「カブトから政界への資金流入があるとみて、それを狙った」という説もある。最近の流行語でいえば、バブル時代に区切りをつけるための「国策捜査」だったのかもしれない、という人もいる。

ホテルはその後、閉鎖や破産、身売りを経て、2002年6月から現在の形になった。ヘリで舞い降りた地鎮祭から15年。かつて「頂点」という意味を込めて「エイペックス」と名付けたホテルがサミット会場になるとは、今は米国で暮らすA氏も、さすがに想像しなかったに違いない。

 

高田 昌幸:北海道新聞ロンドン駐在記者。1960年、高知県生まれ。86年、北海道新聞入社。2004年、北海道警察の裏金問題を追及した報道の取材班代表として、新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。
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