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早稲田アカデミー 夏期講演会 in ロンドン
Sun, 09 August 2020

第18回 神の名において。

人が他人の命を奪う。しかも、神の名において。そんなことが、許されて良いのだろうか。

英西部ブリストル市のジュリー・ニコルソンさんは、そればかりを考えていた。彼女は英国国教会ブリストル教会の牧師であり、ずっと「人を許すこと」を説いてきた。あの、テロの前までは。

地下鉄とバスが爆破され、多数の死傷者を出したロンドン同時テロから、間もなく3年になる。多くの関係者と同様、彼女もその日を忘れたことがない。

2005年7月7日。

時計の針が午前8時半に差しかかったころ、ニコルソンさんの娘、ジェニファーさんは、ロンドン中心部の地下鉄エッジウェア・ロード駅にいた。ジェニファーさんは当時24歳。恋人に携帯電話で「仕事に遅れそうなのよ!」と話したことは分かっている。

その直後だった。彼女が乗り込んだ車両は、イスラム教の「殉教」に心酔したパキスタン系英国人の30歳の男に爆破された。

「娘を殺した男を許せるだろうか?いや、許せない。そうしようとも思わない」

テロの後、ニコルソンさんはこうした自問自答を繰り返し、毎日、男の名前を口にしていたという。苦しみを忘れないために、である。

娘を亡くして以来、彼女は信者に「人の過ちを許しなさい」と説くことをやめた。頭の中でいくら教義を思い浮かべても、「許し」の感情は訪れないからだ。それどころか、「自分の子供に暴力を働いた人物を許す行為は、人間の能力を超えている」とすら思うようになってきた。

ブリストル地域の主教、マイク・ヒルさんは、ニコルソンさんの司であり、親友でもある。

「神の教えに従えば、イスラムの犯人を許すのが理想かもしれない。しかし、聖職者であっても『なぜ?』という疑問は消えません。そして、自分がどうすべきかの答えも、そう簡単に見つかるものではありません。彼女もその苦しみの中にあるのです」

地下鉄駅で突然、人生を終えたジェニファーさんは、大学で音楽を専攻し、ロンドンで音楽関係の出版社に勤めていた。

教会での葬儀で、親族は「あの子は本当に無邪気で、正直で、働き者でした。そして、家族や友人への愛にあふれていました」とその死を悼いたみ、参列者は全員、涙が途切れないほど泣いた。

時は流れ、ブリストルにも当時と同じ、さわやかな夏が近づいている。だが、長女のいなくなった一家4人は、おそらく、今も立ち直っていない。ニコルソンさんは事件後、小高い丘に建つ小さな教会を足場に、絵画や演劇などのサポート活動を続けていた。娘が好きだった芸術の世界。そこに近づくことが「娘はすぐそばにいる」と自分自身を納得させる唯一の方法だったからだ。

ロンドン同時テロでは、中心部を運行中の地下鉄3列車とバスが爆破された。死者は56人、負傷者は約700人。この大惨事は当時、英国で主要国首脳会議(G8サミット)が開催されるタイミングを狙った自爆テロで、実行犯4人は、いずれもイスラム系英国人だった。

イラク戦争が激化し、西欧とイスラムとの戦いが世界中で始まるかのような、いま思えば「錯覚」が、社会全体を覆っていた。英内務省も事件の報告書で、テロの動機について「実行犯は『世界中でイスラムが不当な扱いを受けている』と感じ、イスラムの殉教思想に傾注したため」と結論付けている。

エッジウェア・ロード駅では、テロの形跡は消えた。テロがあった同じ時刻も、駅は毎日、通勤客であふれている。「イスラムを軽んじる英国を許せない」という男が、この駅で爆弾を爆発させ、6人を殺害したことを、多くの人は忘れかけているかもしれない。

しかし、娘を失ったニコルソンさんは、おそらく違う。彼女が神の教えに従って、犯人を許し、事件を忘れる日は来るのだろうか。

「仮に、娘がケガだけで済んでいて、『お母さん、もう私は彼らを許すわ』と言えば、もしかしたら、許せるかもしれない。でもね、ジェニファーは死んでしまったのよ」

 
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高田 昌幸:北海道新聞ロンドン駐在記者。1960年、高知県生まれ。86年、北海道新聞入社。2004年、北海道警察の裏金問題を追及した報道の取材班代表として、新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。
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