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英国におけるベンチの役割
夫の両親が住むデヴォンに行くと、よくビーチに出掛けます。いくつもお気に入りのビーチがあるのですが、その中の一つに高い丘から下っていく海があります。初めて行ったとき、急斜面の丘の途中にベンチが置かれているのを見て、ちょっと不思議に思いました。高所恐怖症の人だったら、絶対座りたくないような場所にたった一つ、木製のベンチがポツンと置いてあったからです。試しに座ってみると景色は最高だし、何もせずにそこにいるだけで、周りの音も聞こえないほど心が静かになっていく気がしました。
こんなふうに英国では、「こんなところに?」というような場所にベンチが設置されていることがよくあります。また、公園やガーデンを訪ねれば、必ずといっていいほどベンチがあります。そして、大抵の場合には、その背もたれのあたりに、小さなメタルのプレートがはめ込まれています。ロンドンに住むようになってすぐ、私が住んでいた街には大きな公園があり、そこにあるベンチにもプレートがはめられていました。まだ英語がよく分からない私には、そこに書かれていることが何か理解できませんでした。
数カ月経ったころ、ホームステイ先の隣に住んでいた80代の女性が亡くなられました。2週間ほどして、ホスト・マザーが近所に住む友人たちみんなでその女性のために公園にベンチを寄付することにしたと教えてくれました。そのとき、ホスト・マザーが、英国の公園やガーデンのベンチのプレートに刻まれているのは、たいてい故人となった方の名前で、プレートには、その人にあてたメッセージや、その人となりを表した言葉などを家族や友人が記しているのだと教えてくれました。こうしたベンチは「メモリアル・ベンチ」と呼ばれ、英国全土で見掛けることができます。
ベンチといえば、ほかにも思い出が。車で1時間ほどの場所にあるウェルズという街で、「Happy to chat bench」というベンチを見掛けたことがありました。その背に張られた札には「誰かが『ハロー』って話し掛けてもよければ、ぜひここに座ってください」というメッセージが書かれていました。つまり、このベンチに座っているのは「お話ししましょう」「誰かと話したいです」という気持ちをもった方の可能性が高いというわけです。BBCのニュースによれば、このアイデアはカーディフ出身の女性によってもたらされたもの。孤独な人々が誰かとコミュニケーションを取れる機会になると、今では世界中にこのアイデアが広がっているそうです。このように、英国のベンチは「座る」だけではない、さまざまな役割があるのですね。