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Sat, 24 August 2019

育自の時間。親と子を育てる英国の学校

2002年に画家の夫とともに当時7歳の息子を連れてイングランド南西部コッツウォルズ郊外に移住。現地の小学校から大学受験までを実体験した母親の目から英国教育を見つめます。


第05回 後の祭り

英国の新学年度が始まる9月、息子の第3学年への転入初日はご挨拶程度のつもりで学校へ出向いたのですが、校長先生が「お迎えは午後の3時でいいですよ」と何の書類のやり取りもなしに、そのまま現地校での初日を迎えることになりました。我が家は無謀にも自力での英国移住でしたが、よくよく考えてみたら息子に事前にアルファベットもろくに教えていませんでした。何しろビザの取得や日本の仕事の整理やらで、そこまで手が回っていなかった……というのが、正直なところです。

「子供の教育のため」とカントリーサイドを選んだにもかかわらずこの落ち度! 今でこそ笑い話で済まされていますが、当時の被害者は息子と、息子を託された小学校です。初日にお迎えに行くと、クラス担任の先生がつかつかと歩み寄ってきて「息子さん、英語が話せないのですね……」と、笑顔の中にも困惑を秘めた表情。転入願いの手紙は知り合いの英国人が代行してくれたのですが、手紙には「日本人」と書いてあっても「英語が話せない」とは書いてなかったに違いないと気が付きました。

いやいや息子どころか、私ら両親もろくに話せないことが分かったときは、後の祭。なんと息子の転入は学校創立以来、初めてのマイノリティー(少数民族)の受け入れだったのです。さらに近隣には日本人はおろか、アジアやそのほかの人種が一人もいない、純粋な英国人集落。世界有数の自動車メーカーや、当時は経済大国世界第2位という地位を誇っていた日本から来た人間が英語を全く話せないとは、私たち家族と遭遇するまで先生たちは思ってもみなかったようでした。もちろん私たちにとって大きなカルチャー・ショックでしたが、学校側にも同様だったと思います。

とはいえ、1800年代から国の政策として移民を積極的に受け入れてきた歴史のある英国。英語を話せない児童への対応は、全校生徒が100名に満たない小さな分校のような小学校でも迅速でした。校長先生は早速グロスターシャーの教育センター(日本の教育委員会と類似した組織)が運営するEMAS(エスニック・マイノリティーズ・アチーブメント・サービス)に連絡し、息子のために英語補習教師の派遣を依頼。1週間も経たないうちに、その後お世話になるEMASの派遣教師が息子との顔合わせのため来校してくれました。

EMASは英国各地の行政機関に所属しているサービス機関です。英語を母国語としない子供が学校に転入してきた際、授業についていけるよう特別英語補習授業を行います。同じ英語の補習教育として有名なESLやEFLとは違い、英国に渡るまで聞いたこともなかったEMSL。それはまさに英国流バイリンガル教育といっても過言ではない、目からウロコの教授法でした。次回はこの「英国流バイリンガル教育」について、詳しくご紹介したいと思います。

日本語が全く通じず、とっても不安そうな息子転校3日目の登校シーン
日本語が全く通じず、とっても不安そうな息子転校3日目の登校シーン

 
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小野まり小野まり NPO法人ナショナル・トラストサポートセンター代表。2002年、画家で夫の小野たくまさ氏とともに当時7歳の一人息子を連れコッツウォルズ郊外へ移住。現地の小・中・高等学校、大学受験を母親の立場として体験。教育関連の連載エッセイやナショナル・トラスト関連の著書多数。最新刊に「図説 英国ナショナル・トラスト (河出書房新社)」がある。
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