第164回 積年の恋とサラブレッド
17世紀半ばのシティには100を超える教会があり、その尖塔が天空を突き刺し、それは敬虔さと富と威信の象徴でした。でも最近のシティはすっかり高層ビルが増えて尖塔がよく見えません。すると学生時代に陸上部だったという友人が「ここでは障害物競争が出来ませんね」と言ってきました。障害物競争は英語でスティープルチェイスと呼ばれ、教会の尖塔(スティープル)をゴールにして競う乗馬競争から発祥したそうです。
多くの尖塔が描かれた「ロンドン・パノラマ」(1616年フィッセル作)
確かに尖塔がビルの陰にあるとゴールが分からなくなりますね、と笑うと競馬ファンでもあるその友人は、幕末の横浜に英国人が根岸競馬場を作って日本の近代競馬が始まったことも教えてくれました。「馬へんに太ると書くと『駄』。太った馬は乗馬用ではなく荷馬にしかなりません。乗馬用の馬には血統管理と調教が必須です。競争馬が海外に出る際はパスポートが発行されます」と持ち前の馬の知識を披露してくれました。
1872年の根岸競馬場の図
そこで思い出したのが英国近代競馬の発祥。シティ北西部のスミスフィールドは古くから家畜市場でしたが、毎週金曜日に行われる高品質な馬の販売会が大人気でした。1174年、馬の品評のために行われた競馬が世界最初の近代競馬と言われています。当時の王様、ヘンリー2世は大量の馬をフランス北西部、ノルマンディーから輸入していました。温暖な気候で良質な牧草地が広がるノルマンディー地方は、カマンベール・チーズだけでなく駿馬の名産地として知られ、馬の血統管理が厳格に行われていたのです。
スミスフィールドは英国最大の鮮肉市場
これは元はと言えば、1066年、ノルマンディーからウィリアム征服王が欧州最強の騎馬軍団を引き連れて英国を制覇したのが始まり。ウィリアムが英国王に即位すると、うまや係を高位の官職につけ、騎馬軍を軍事力の基盤に据えました。重い甲冑を着た兵士が乗っても丈夫な牡馬を育て、英国騎馬軍は天下無双、十字軍の騎士団のお手本にもなりました。
ノルマンディー軍の騎馬隊が英国を征服(バイユー・タペストリー)
ところが12世紀末に英国が参加した十字軍は、敵のアラブ種の馬のスピードについていけません。牧草地の少ない敵地では、牝馬だけを鍛えて筋肉質の軍馬に育てていました。十字軍の牡馬はアラブの牝馬の尻を追いかけるばかりだったとか。以来、アラブ種の馬は憧れの対象、英国王家の積年の恋は17世紀から18世紀にかけてアラブ種の馬を英国の馬と交配してサラブレッドを作ることで実りを迎えました。
サラブレッドはアラブ種の馬と英国の馬の交配種(ナショナル・ギャラリー)