第149回 フィッシュ&チップスと天ぷら
第135回「チェスの駒とバイキング」ではチェスや将棋がペルシャ将棋(シャトランジ)に由来し、ペルシャ将棋は約1500年前のインドのゲーム、チャトランガから発祥したこと、また、欧州に伝わったチェスは地中海を経由した南方ルートと北海を経由した北方ルートがあることをご紹介しました。実は、チェスと同じようにフィッシュ&チップスや天ぷらもペルシャに由来し、その後世界に広まったという説があります。
中央がホスロー1世
6世紀のササン朝ペルシャはホスロー1世の治世下に最も繁栄し、シルクロードが整備され、交易や文化交流が盛んに行われました。日本の正倉院にあるペルシャのガラス工芸品はこの時代の作品ですし、各国からの説話が1000の物語として編集され、後にアラビア語に翻訳されたのは「千夜一夜物語」。さらにホスロー1世の大好物、シクバージ(シク=酢、バージ=料理の意。焼肉を酢で漬けた料理)のレシピが残されたのもこの頃です。
7世紀半ばにササン朝ペルシャはイスラム教徒に滅ぼされますが、保存の効く料理のシクバージはイベリア半島を支配したイスラム教徒のムーア人、あるいは地中海の商人を経て欧州大陸に伝わります。1年のうち長い期間肉食が禁止されていたキリスト教徒や安息日のユダヤ教徒は、肉に代わって魚に小麦粉をまぶして油で揚げて酢に漬け込みました。これがスペインやポルトガル料理のエスカベッシュ(日本でいう南蛮漬け)の原型だそうです。
ぺスカド・フリット
冷たいエスカベッシュが暖かい地域で人気なら、寒い地域では衣を付けた魚を油で揚げ、調味料をかけて食べるペスカド・フリットが広まります。16世紀ごろスペイン系ユダヤ人が英国に持ち込んだぺスカド・フリットが、英国のフィッシュ&チップスの起源になるそうです。産業革命以降、多くの労働者が英国に集まり、鉄道網が整備されると北海の白身魚とポテトの揚げ物の組み合わせが都市労働者の胃袋を満たすようになりました。
慶事・弔事で敷紙の折り方が違う
日本に天ぷらを伝えたのは16世紀のポルトガル人で、ぺスカド・フリットまたはインゲンを揚げたペイシニョス・ダ・オルタがその由来と言われています。日本では、天ぷらの油を吸わせるために使う敷紙は、敷く際に紙の折り方が慶事と弔事で異なるなど、細かな心遣いがあります。一方、英国のフィッシュ&チップスは労働者向けの新聞紙で包むのがお約束。両者の料理の起源が同じと言われながらも、包み方は日英で大きく異なるようです。
天ぷらもさかのぼればシクバージに!?
フィッシュ&チップスをどの新聞で包むかが大事