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早稲田アカデミー 夏期講演会 in ロンドン
Sun, 09 August 2020

第130回 ロンドンの貧困地図とバーナード孤児院

ショーディッチ、スピタルフィールズ、ホワイトチャペル、バーモンジーなど、シティ東部の隣接地区は再開発が進んでおしゃれなエリアに急変貌しています。この地区を通る78番のバスは、タワー・ブリッジも渡るので観光客には人気があります。ところがこの4つの地区は19世紀後半、ロンドンの悪名高き貧民窟でした。近代社会政策の父、チャールズ・ブースが1889年に作成したロンドンの貧困地図を見ると、この地区に黒色(=最貧層)の住居が多いことが一目瞭然です。

チャールズ・ブースの「ロンドン貧困地図」
チャールズ・ブースの「ロンドン貧困地図」

ショーディッチに最貧層の黒色が多い
ショーディッチに最貧層の黒色が多い

ビクトリア時代の英国は、繁栄を謳歌する一方で貧富の差が拡大。市民の30%が貧困状態にあり、野党は社会保障が急務だと政府を攻撃します。これに「そんなはずはない」、と異を唱えたのが汽船会社の経営者チャールズ・ブース。豊かな社会が実現しているのだから、それでも貧しいのは個人の資質のせい、原因は個人にあるとブースは考えました。そこで私費を投じ多くの研究員を雇い、実地調査をして貧困地図を作成します。

7つの階層に色分けされた貧困地図で判明したのは、物売りや皮革業者という低所得者が劣悪な住環境に住んで病気が蔓延し、貧困の連鎖を生む悪循環でした。ロンドン市民の3人に一人が貧困にあえいでいることも分かり、貧困の問題が個人の責任ではなく、社会環境の問題として認識されました。ブースは社会改革運動家に転身し、政府は社会保障政策の強化に舵を切ります。こうして英国は世界に先駆けて福祉国家へと歩み始めました。

実はその20年ほど前、ロンドンの貧困と戦う一人の若い医師がいました。彼の名前はトマス・バーナード。ロンドン東部ホワイトチャペルにあるロンドン病院の医師として中国に派遣される予定でした。ところがロンドンでコレラが流行し、数千人の命が奪われ多くの孤児が発生。見かねたバーナードは医師の道を捨て、東部マイル・エンドの貧民学校の経営に従事、孤児の世話に奔走します。貧民学校には児童が殺到、バーナードはそこで事件に遭遇します。

トマス・バーナード医師
トマス・バーナード医師

バーナードが管理した旧貧民学校(現在は貧民学校博物館)
バーナードが管理した旧貧民学校(現在は貧民学校博物館)

貧民学校では質素ながら食事が与えられた
貧民学校では質素ながら食事が与えられた

11歳の少年が学校での宿泊を求めますがバーナードは満員だからと断ります。その数日後、少年は衰弱のため外で死亡。心を痛めた彼は、定員が無制限の孤児院を開設します。1867年に開設されたバーナード・ホームは孤児院を大きな収容施設にせず、子供を小グループに分けて保育士を配置する、一般家庭の住まいのような小舎制や里親制度を採用、世界の孤児院の模範になりました。

 
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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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