「キャビネット」デザイナー
山中朋子さん
[ 前編 ] ロンドンでファッション・ブランド「キャビネット」のデザイナーとして活躍する山中朋子さん。以前はノルウェー人デザイナーとともに「ルベックセン・ヤマナカ」の名で活動し、美しくも細部に捻りを加えた服で国内外のファンを魅了してきた山中さんをここまで導いたのは、数々の「成り行き」だった。全2回の前編。
やまなかともこ - 神奈川県相模原市出身、ロンドン在住。ご主人の仕事の都合で渡英。チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインのテキスタイル科でニッティングを学んだ後、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートのニットウェア科で修士号を取得。その後、2002年にノルウェー人デザイナーとともに「ルベックセン・ヤマナカ」ブランドを立ち上げる。2009年には個人ブランド「キャビネット」を設立。ロンドンのリヴィングストン・スタジオのほか、アーツ & サイエンス始め日本各地のセレクト・ショップでの取り扱いあり。
www.cabinetbyty.com
Livingstone Studio
36 New End Square, London NW3 1LS
「成り行き」の連続
世俗と切り離されたような、静謐で穏やかな空気が満ちている。18世紀に建てられた馬車小屋を改装したテキスタイル・デザイン・スタジオ兼ギャラリー、リヴィングストン・スタジオは、見上げるほどに天井が高く、細長く続く白い空間には、服や陶器がひそやかに佇む。ユニット・ブランド「ルベックセン・ヤマナカ」を2002年に創立、その後個人で「キャビネット」を立ち上げ、現在に至るまでこの場所を拠点とし、デザイナーとしての日々を歩む山中さん。ロンドンでデザイナーとして活躍するようになるまでは、ひたすら「成り行き」の連続だったと、少し申し訳なさそうに笑う。
最初の「成り行き」は、渡英のきっかけ。ご主人の仕事の都合でロンドンにやって来た。日本では外資系金融会社に勤務。一見、大胆な方向転換だが、新たな一歩を踏み出したのもまた「成り行き」だった。「時間があったので、小さなころから好きだった編み物を勉強しようと、チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインでニットを学びました。そうしたら先生に『MAに進んだら』と言われて。たまたまロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)の先生に会う機会があったのでそちらのMAに行くことになったんです」。
ロンドン北部ハムステッドにあるリヴィングストン・スタジオ
そしてRCA在学中に、これまた偶然、一つの出会いが生まれた。週末にも学校にいて夜遅くまで編み物をしていることが多かった山中さんは、同様に週末の夜に学校にいる数少ない学生の一人、ヒルダさんに目を止めた。「ポートフォリオやスケッチブックを見ても、同じイメージが出てきたり、似たようなものをリサーチしていたり。2人とも、良いと思うものがいつも一緒だった。ものを誰かと一緒に作るときには、それが一番大切なことだと思うんです」。
そして学業途中に開催されたコレクションをきっかけに米ニューヨークの一流デパート「バーニーズNY」のバイヤーから声が掛かった山中さんは、ヒルダさんを誘い、初のコレクションを開催する。在学中に自らのブランドを立ち上げて、と聞くとかなりバイタリティーがあるように思えるが、実際のところは「流れに乗ったらこうなった」。バーニーズのバイヤーに会うため、仏パリを訪れた際も、就職のためのインタビューが主目的。「まずヒルダはマルタン・マルジェラの、私はソニア・リキエルの面接に行って。その後、バイヤーさんに会ったらオーダーが来たので、『じゃあ、つくるか』みたいな感じだったんです」。
「素晴らしすぎる場所」でのスタート
こうして「ルベックセン・ヤマナカ」ブランドはスタートを切った。まず取り掛かったのが活動場所となるスタジオ探し。だが、なかなか良い場所は見つからない。するとまた「成り行き」で、一本の電話が好機をもたらした。
RCAのチューターから話を聞いたと電話をかけてきたのは、このスタジオのオーナー、インガさん。ハムステッドの一等地で、国内外のデザイナーに活動の場を提供しているインガさんは、2人の作品を見、話を聞いた上で、ギャラリーやコンサルタンシーの仕事を手伝うという条件の下、破格の条件でスタジオを提供してくれた。こうして「素晴らしすぎる場所」に拠点を構えた2人は、コレクションを重ね、エージェントを介して日本での販売もスタート。順調に活動の場を広げていく。そんな順風満帆な活動に変化が訪れたのは、2009年。ヒルダさんの父が突然亡くなったという連絡がもたらされたときだった。(続く)
山中さんの作業エリアには、インスピレーションの源となる
ヴィンテージの子供服が