0.002% の善意―シリア難民アラン君の死を
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銀行員のサビーンさんはシリア第2の都市アレッポで医者の夫と平穏に暮らしていた。中東の民主化運動「アラブの春」を発端に内戦が始まり、2人の幼子とともに地下室に身を隠した。食料と水を運んでくれた夫が殺害された。サビーンさんは子供を連れてトルコに逃れた。しかし難民キャンプの状況は凄まじく、子供たちは怯え、寒さと空腹に苦しんだ。英国に連れて行ってやるという仲介者にすがった。家族3人はすし詰めのボートで地中海を渡り、トラックの荷台に隠れた。悲しみと恐怖、極度の疲労の末にたどり着いたのはマンチェスターの病院の近くだった。サビーンさんは泣き崩れた。子供たちは泣くこともできなかった。(難民支援団体「レフュジー・アクション」のホームページより)
シリア内戦が始まった2011年から難民・避難民の数が激増している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、今年8月末時点で、シリアから408万9000人が国外に逃れるとともに、760万人が国内で避難生活を送っている。日本でも400人以上のシリア人が暮らしており、60人以上が難民申請をしている。だが認定されたのはわずか3人だ。
そんな中、トルコの海岸に遺体となって打ち上げられたクルド人シリア難民アラン・クルディ君(3歳)の衝撃的な写真が世界中に配信された。日本ではアラン君の遺体にモザイクをかけて、その反響を伝えた。「アイラン」と報じたメディアが多かったが、BBC放送によれば、「アイラン」はトルコ語読みで、クルド語では「アラン」というそうだ。
シリア難民の中でもシリア国籍を持たないクルド人の立場はさらに弱い。アラン君一家は親類を頼ってカナダに渡ろうとしたが、国籍がないためトルコからの出国ビザが下りなかった。「家族に未来を与えたい」と父親が家族を連れて、ギリシャへの密航を計画。3回失敗し、4回目にボートが転覆して父親だけが生き残った。
新聞やテレビで戦地の残酷な死が映しだされることはない。しかし眠るようなアラン君の静かな死は、イスラム系移民や難民を厄介者扱いしてきた欧州を激しく揺さぶった。ドイツやオーストリアはハンガリーで足止めされていた難民の受け入れを決断、欧州連合(EU)も難民受け入れ割当制の検討をし始めた。
手のひらを返したのは英国のキャメロン首相だ。アラン君の遺体がトルコの海岸に打ち上げられた2日には「難民を受け入れることがこの問題への答えではない」と頑なな姿勢を守っていた。が、写真が公開された24時間後には「あの写真を見たなら、1 人の父親として心を動かされない者はいないだろう。あんなに幼い子供がトルコの砂浜に打ち上げられた光景を見て、深く突き動かされた」と神妙な表情で語った。さらにシリア難民を「数千人」受け入れ、シリアやトルコ、ヨルダン、レバノンの難民キャンプに1億ポンド追加支援すると表明した。その直後、シリア難民の受け入れ枠は今後5年間で「2万人」と正式発表された。
キャメロン首相は移民の純増数を年間10 万人未満に抑えると公約している。ところが実際には33万人に達した。移民の増加に対して英国独立党(UKIP)が「NHS(国民医療制度)病院の待ち時間が長くなる」と偏見を撒き散らしている。アラン君の死で難民の受け入れ拡大を求める良心的な署名が42万人を超える一方で、EUから離脱した方が良いという強硬な意見も聞こえてくる。
今年ドイツにやって来る難民の数は昨年の4倍の80万人。これに対しEUが全体で受け入れる枠はシリア、イラクなどの難民計16万人。シリア難民の9割以上はトルコ、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトといった周辺国にとどまっている。しかも難民キャンプに入れるのはごくわずかなのだ。
世界には1300万人の難民がいる。英国で暮らす難民は12万6000人と推定され、英国の人口に対する割合は0.19%(英国赤十字より)。日本は昨年12月時点で2560人、全人口に対する割合は0.002% (UNHCRより)。キャメロン首相は「シリアのアサド大統領も過激派組織『イスラム国』も許してはならない。場合によっては激しい軍事力が求められる」と本格的なシリア空爆の可能性に言及した。日本は果たしてどんな立場を表明するのだろう。
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