英国のクビ、日本のクビ
英国の金融機関で昨年来、社員が大量にクビになっている。現地の日系金融機関でも、電子メールで「これからレイオフの予定者を呼び出す」というメールが流れると、社内に緊張が走る。それから電話が鳴ると、周りの皆は電話の受け手となる社員に一斉に注目する。ボスに来いと言われたのか、その社員が上着を着て立ち上がると、その他の社員たちは目配せをしたりして、やっぱり、といった感じになってザワザワする。そして当人は、「仕事がなくなったから、3日以内に荷物をまとめて退去せよ」と言われる。英米インベストメント・バンクでは、映画のシーンのように、そのまま何も持たずに建物を退去することを命じられ、私物は後で送られるという場合もある。そうした状況では、秘密保持のために、クビを告げられた社員はパソコンを再び触ることすらできない。
ただクビの宣告を受けても、英国人の大部分はそう悲壮な顔を見せない。長らくロンドンで働いている日本人もそうだ。終身雇用がまだまだ残っている日本企業で働いていると、手に職がつかないのでクビは死活問題になるが、ジョブ・デスクリプションに書ける仕事の内容が専門分化している英米では、他の企業で同じ仕事が見つけられるという気持ちがあるからだ。
「仕事自体がなくなれば、その仕事をしていた人を辞めさせることができる」とするリダンダンシー(余剰解雇)の論理は、クビの際にもっともよく使われる理由だ。しかし終身雇用を前提としている日本の労働法では、単なるリダンダンシーでは足りず、社内の他の仕事でも使えないことを会社側が証明しないと正社員のクビはまず認められない。一方、職種が専門分化している英国では、ある社員を社内の他の仕事で使うということが考えにくいので、リダンダンシーのみでクビにできるのだ。
公的部門でもクビ
約3年前になるが、イングランド銀行でさえリストラでクビを行ったときには筆者も驚いた。日本では公務員などがクビになることは考えにくい。だがイングランド銀行では、金融システム安定のための調査(マクロ・プルーデンス)を主な仕事としていたエコノミストたちを、そうした調査は意義が小さいとして大量にクビにした。今にして思えば先見の明がなかったということになるだろうが、当時の金融市場はバブル絶頂期で、リスクばかり言っている部門は狼少年と思われたのかもしれない。レポートが急に薄くなって、分析も野心的なものが少なくなった。
今となっては、キング総裁の責任は重いと言うべきだろう。もちろんクビになったエコノミストたちは高給でインベストメント・バンクに再就職したので、彼らの顔に悲壮感はなかった。
クビのコスト
クビの論理について言えば、大陸(独仏)は解雇規制を緩和する方向にあるとはいえ、まだまだ日本型に近い。もとより英国型、日本型どちらが良いとは言い切れない。ただ、英国型では上手くいかないケースが2通りある。1つは、現在のように仕事の絶対数が減った場合、クビになると同種の仕事自体が他企業でもなくなり、失業者が増えることである。もちろん、企業のコスト調整が容易にできるため、景気の回復が早まるという利点もあるが、社会厚生の観点からは失業者の大きな痛みを伴うことになる。もう1つは、一旦その仕事自体を止め、担当者をリダンダンシーでクビにすると、再度その仕事をする場合に回復が容易でないということである。英米企業が短期の利益を追い求めているとはいっても、特に取引先企業との関係は短期的に構築できるものではない。一旦仕事自体を止めると、人間関係が切れてしまう。
日本の金融機関は、バブル崩壊期にロンドンでのビジネスを大幅に縮小した。今でも当時の関係を取り戻せたとは言えまい。どのような仕事をレイオフの対象にするかを決定するに際しては、その企業がどういう仕事で付加価値を生み続けるのかについての経営者の先見性を試すことになるのだが、その答えが出る数年後に成績表をつけ、その上で経営者の退職金を支払うべきではなかろうか。
(2009年5月24日脱稿)
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