世界的な財政拡大
担保としての不動産価格が下がり、過大な借入をしていた住宅ローンや消費者ローンの返済が難しくなった米国の消費者が、お金を使わなくなった。これが原因で、米国は中国からの輸入を減らしたので、中国は製品の生産を抑え、原材料の輸入も減らしている。このため世界中で生産が落ち、景気の悪化がはっきりしてきた。すると世界中の消費者は一段と節約に励むようになるため、景気がより悪くなる。つまり、モノが売れないという見通しが立つ。
このため先進国政府は、財政拡大に走って景気の悪化を食い止めようとしている。景気悪化の程度が甚だしいので、ある程度は財政を拡大することはやむを得ない、というのがそうした国々のマスコミの論調でもある。この状況に対して、東南アジアの政府関係者や中央銀行などは三重の意味で怒っている。
先進国の監督責任
第一には、英米の金融監督当局や中央銀行が、行政権限などに基づいてきちんとインベストメント・バンクを監視していなかったために世界が不景気になったという、言い換えれば監督責任を果たしていないという怒りである。
この点は、先月ブラジルで開催された財務相・中央銀行総裁会議(G20)でも新興国から米国や英国当局の責任が厳しく問われ、その結果G7もG20へ、また国際通貨基金(IMF)や国際決済銀行(BIS)といった国際機関の枠組みも、欧米主導から新興国が参加するものに変えていくことが合意された。
アジア危機との比較時の怒り
第二は、90年代末のアジア通貨危機のときにタイ、韓国、インドネシアなどで自国の通貨が売られ外資が引き揚げる中で、金融機関経営が悪化し、自国の景気がどん底になったときに、IMFが資金を貸し付ける条件(コンディショナリティ)として財政の拡大をするな、と言ったことに対してである。
そのときこうした国々は、財政を拡大することができなかったために国民に耐乏を強いることになり、いくつかの政権が倒れる原因となった。しかるに英米や欧州諸国は、自分の国の金融機関経営が悪化し、景気が悪くなったときには規律なく財政拡大するのか、という無節操への怒りである。
新興国の政府には、金を借りるために、米国の経済学徒であるIMFの官僚たちによる学識だけの財政規律優先主義を受け入れざるを得なかったという気持ちが強く残っている。規律なき財政拡大は、国民の自助努力を損ない、長い目で見てその国における不採算企業の温存を招くので、するべきでないというのが当時のIMFの考え方であった。ところが今回に至って米国は規律なく財政を拡大する上に、今後為替の調整を行う選択肢まで持ち出して、すなわちドル安新興国通貨高を容認して、自国の競争力や景気回復に乗り出す可能性もある。
インフレの種
第三に、最も深刻な問題として、規律なき財政拡大はインフレの種を蒔くということだ。
共産圏の解放、グローバリゼーションの拡大、アフリカや東欧などの開発といった、世界中が先進国のように豊かになりたいという運動は、基本的には止むことはあるまい。サブプライム問題に端を発する景気の悪化は、1つの踊り場、もしくはグローバリゼーション劇場の幕間劇に過ぎない。世界中が豊かになろうとすれば当然、食料が必要だし、エネルギーも食うのだ。そうだとすれば、一次資源の価格上昇は中長期では不可避だろう。ヘッジファンドは、商品相場の二番底(価格下落が一服して再度急落した状態)での買い上がりを虎視眈々と待っている。そこへきて財政拡大である。バラまきをする日本などは語るにも足りないが(本当に情けない)、英国政府による住宅ローンの2年期限延長もモラル・ハザードを起こす害があるばかりか、財政による次世代へのインフラ作りに役立つとは到底思えない。
これから1~2年のうちに再度資源価格が高騰することは必至であろう。そうすれば、確実に世界中がインフレになる。そのとき本当に困るのは、産業競争力や資本蓄積が十分ではない、つまりバッファーが小さい東南アジア諸国なのだ。先進国ええかげんにせんか、こうした怒りを最近つくづく感じる。
(2008年12月7日脱稿)
< 前 | 次 > |
---|