英国はオイル・マネーの流入拠点に
無利子で成長するイスラム金融とは
70年代以降、急速な発展を遂げるイスラム金融は、現在、中東湾岸諸国や東南アジアなどのイスラム諸国のみならず、非イスラム圏である欧米諸国においても広がりを見せている。その中でも、多くのイスラム系移民を抱える英国は、国内のイスラム教徒に対する社会経済的な保護と、国際金融市場におけるロンドン市場の地位確立を目指し、イスラム金融をいち早く受容した。
主なイスラム金融取引の内容
- ムラバハ
売買契約(転売契約)。イスラム金融取引の7割程度を占めるとも言われる一般的な仕組み。銀行が媒介となり、商品の買い手と売り手の間に入り、商品購入を行う。この際、銀行は「手数料」を上乗せすることで、利子ではなく売却益としての利益を受ける。 - ムダラバ
パートナーシップ契約。イスラム金融の基本となる契約形態。出資者から集めた資金を事業家が投資・運用することで利潤を上げ、その見返りである配当が利益となる。 - イジャラ
賃貸借契約。一般の金融でいうリースとほぼ同じ取引で、使用料(リース料)の受取総額から製造者・販売者への支払総額を差し引いた部分、つまり手数料(コミッション)が利益となる。 - ムシャラカ
共同出資のスキーム。合併プロジェクトなどに出資し、その配当が利益となる。 - イスティスナ
銀行が先払いし、製品やプロジェクトなどの出資を行う。イスティスナ配当や売買価格の差額などが利益となる。
イスラム金融市場の割合
イスラム金融年表
1950年代 | 試験的なイスラム金融機関がパキスタンとインド亜大陸で発足 |
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1960年代 | 近代イスラム銀行の先駆けとしてエジプトとマレーシアでイスラム系銀行が発足 |
1975年 | 莫大なオイル・マネーが湾岸諸国に流入し、初のイスラム系民間銀行となるドバイ・イスラム銀行が開業 サウジアラビアの都市ジェッダに、国際金融機関となるイスラム開発銀行が開業 |
1979年 | パキスタンが、初めてイスラム金融機関を国有化 |
1983年 | マレーシアが、シャリア法に基づくマレーシア・イスラム銀行を開業 スーダンが、イスラムの教義に基づく金融制度改革を実施 |
1984年 | イランが、無利子金融システムを国家レベルで導入 |
1990年 | バーレーンに、イスラム金融機関会計監査機構(AAOIFI)が設立される |
1991年 | インドネシアで、インドネシア・ムアマラット銀行が開業 |
2000年 | この時点で、世界約200に及ぶイスラム金融機関が資本80億ドル以上、預金1000 億ドル以上、資産1600億ドル以上を保有 |
2002年 | マレーシアに、イスラム金融機関の国際基準を監督するイスラム金融サービス委員会(IFSB) が設立 |
2004年 | 英国に、シャリア法に基づく銀行が開業 |
2006年 | ドバイの主要証券取引所であるドバイ金融市場が、同市場を世界初のイスラム系取引所へと再建すると発表 |
2009年 | シンガポールがイスラム金融ハブ化に向けた金融政策を開始 インドネシアが、初めてイスラム国債(スクーク)を発行 |
2010年 | 世界におけるイスラム金融機関のシェアが1兆ドル以上に |
イスラム金融とは
イスラム金融とは、イスラム教の経典「コーラン」と規範「シャリア法」に基づく金融概念である。イスラム金融機関では、経典コーランで禁忌とされる金利の受け取りや、豚肉、アルコール、賭博、武器などに関連する事業が反宗教的行為と見なされるため、これらの取り扱いが禁止されている。またイスラム金融機関が取り扱う各商品がシャリア法に適っているか否かを見定める「シャリア適格」認定は、通常、イスラム金融機関に設置されている、イスラム学者で構成される「シャリア・ボード(評議会)」が行う。ただし、シャリア・ボードの設置方法や態様は、各国におけるイスラム金融制度・政策や金融市場の発展度合い、及び宗派やシャリア法の解釈・適用によって各国でその内容が異なるのも事実である。しかし、その利用者の宗教は問われず、また、イスラム教徒だからイスラム金融を利用しなければならないといった規則もない。
シャリア法に基づく利益システム
イスラム金融機関では、西洋型の有利子金融機関のような営利を目的としたローンなどによる金利の受け取りが認められていない。よって、利子を伴わない金融取引を可能とした商品やサービスの売買、取引仲介、リース及び出資による資金運用など、いわゆる実体を伴う取引形態が採用されている。例えば、一般的なイスラム金融取引である「ムラバハ」と呼ばれる商品売買契約は、銀行が買い手と売り手を媒介するシステム。銀行が原価よりも高い価格で転売し、その差額を利益(利子に相当)とする単純な形態である。
このことから、イスラム金融を「金利を別の形態に置き換えただけの取引に過ぎない」とする批判的な見方もある。しかし、年次成長率が約15% とも言われるイスラム金融機関は、取引当事者(買い手、売り手、金融機関)間における信用リスク低減や莫大なオイル・マネーの取り込み、また、イスラム債券の導入による国際的金融機関の市場参入などに下支えされ拡大してきた。
英国の融合政策とイスラム金融
1890年代、英バークレイズ銀行が設立したエジプト首都カイロ支店は、イスラム圏初の民間金融機関であると言われており、ここから近代イスラム金融の概念が誕生したとする説がある。これは、当時、同行の取引がシャリア法に反すると異論を唱え始めたイスラム学者の影響が、その後、反西洋概念と相まって独自の金融機関として検討され、発展したとする見方だ。それから約100年後、1991年のBCCI 事件(関連キーワード参照)を受け、欧米諸国の金融当局がイスラム金融に対する監視と締め付けを強化する中、英国はイスラム金融機関への関与を強め、既存の英金融システムに取り込み始めた。2004年、英金融サービス機構(FSA)は、西洋初となるイスラム系の銀行業務専門の「Islamic Bank of Britain」と、投資銀行業務専門の「European Islamic Investment Bank」を認可し、ロンドン市場にオイル・マネーが流入しやすい枠組みを確立した。その後も国内イスラム金融サービスにおける税制優遇の範囲を拡大するなど、西洋圏におけるイスラム金融の拠点とすべく、融合政策を展開している。
Bank of Credit & Commerce International
国際商業信用銀行(BCCI)。1972年、パキスタン人の銀行家ハッサン・アベディが、湾岸諸国の首長や有力資産家が出資したイスラム資本を基にルクセンブルクに設立。91年に英金融当局の調査により、マネー・ロンダリングや不正会計、及び武器密輸や麻薬取引への関与などが発覚し営業停止を受け経営破綻した(BCCI事件)。また、米CIAを含む諜報機関とも関連があり、アフガニスタンのイスラム聖戦士への資金融通を担っていたとされる。全世界に400店舗以上、250億ドルの資産を有していたが、破綻後、100億ドル以上の使途不明金が明らかになった。(吉田智賀子)
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