8000人のランナーが英全土を走る
五輪の聖火リレーについて
いよいよ開会まで2カ月を切ったロンドン五輪。購入していたチケットが届き、胸をワクワクさせながらその日を待っている人も少なくないだろう。今回は、日々の報道などを通して、大会が間近に迫っていることを実感させてくれる聖火リレーについて取り上げる。
聖火リレーのルートに入っている英国の名所(一部)
これまでに行われた五輪の聖火リレー
開催年 | 開催都市 | 聖火ランナー の数(人) |
走行距離 (km) |
聖火リレーで通過した国・地域 |
1936 | ベルリン (ドイツ) |
3331 | 3187 | ギリシャ、ブルガリア、ユーゴスラビア、オーストリア、チェコスロバキア、 ドイツほか |
---|---|---|---|---|
1948 | ロンドン (英国) |
1416 | 3365 | ギリシャ、イタリア、スイス、 ルクセンブルク、ベルギー、英国ほか |
1952 | ヘルシンキ (フィンランド) |
3372 | 4725 | ギリシャ、デンマーク、スウェーデン、フィンランド |
1956 | メルボルン (オーストラリア) |
不明 | 4912 | ギリシャ、インド、タイ、シンガポール、インドネシア、オーストラリア |
1960 | ローマ (イタリア) |
1529 | 1863 | ギリシャ、イタリア |
1964 | 東京 (日本) |
10万1866* | 7487 | ギリシャ、トルコ、レバノン、イラン、パキスタン、インド、ビルマ、タイ、マレーシア、香港、台湾、日本 |
1968 | メキシコ・シティー (メキシコ) |
2778 | 2500 | ギリシャ、イタリア、スペイン、カナリア諸島、エルサルバドル、メキシコ |
1972 | ミュンヘン (ドイツ) |
6000 | 5532 | ギリシャ、トルコ、ブルガリア、ルーマニア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、西ドイツ |
1976 | モントリオール (カナダ) |
1214 | 775 | ギリシャ、カナダ |
1980 | モスクワ (ソ連) |
5000 | 4915 | ギリシャ、ブルガリア、ルーマニア、ソ連 |
1984 | ロサンゼルス (米国) |
3636 | 1万5000 | ギリシャ、米国 |
1988 | ソウル (韓国) |
2万899** | 1万5250 | ギリシャ、韓国 |
1992 | バルセロナ (スペイン) |
1万448 | 6307 | ギリシャ、スペイン |
1996 | アトランタ (米国) |
1万2467 | 2万6875 | ギリシャ、米国 |
2000 | シドニー (オーストラリア) |
1万3300 | 2万7000 | ギリシャ、グアム、パラオ、ミクロネシア、サモア、ニュージーランド、オーストラリアほか |
2004 | アテネ (ギリシャ) |
7700 | 7万8000以上 | ギリシャと、過去のすべての夏季オリンピック開催都市を含め、5大陸を回った。 |
2008 | 北京 (中国) |
2万1800 | 13万7000 | カザフスタン、トルコ、ロシア、英国、フランス、米国、インド、タイ、インドネシア、日本、韓国、ベトナムほか |
2012 | ロンドン (英国) |
8000 | 1万2800 | ギリシャ、英国 |
(*) 国際オリンピック委員会(IOC)のホームページによると、1964年の東京五輪のランナーの数がこのように多く記録されているのは、同大会では、1キロごとに1人の聖火ランナーと2人の控えランナー、20人の付き添いがついて聖火リレーが行われたため。
(**) 護衛も含む。
Source: International Olympic Committee(IOC)
初の聖火リレーは1936年
2012年ロンドン五輪の開幕に向けて、英国全土を巡る聖火リレーが行われている。先週末にはマン島に、更に今週初めには北アイルランドに達したが、金曜日(8日)には英国本島に戻り、今度はスコットランドを旅する予定である。
五輪の聖火の起源は、古代ギリシャのオリンピアで行われた古代オリンピックに遡さかのぼる。古代オリンピックでは、神々の世界から火を盗んで人類に与えたギリシャ神話の神プロメテウスを称え、大会期間中を通して、主神ゼウスの妻ヘラの神殿で火がともされ続けていた。五輪の競技場の一角で大会期間中、火をともし続けるというこの習慣は、1928年のアムステルダム五輪で復活し、更にナチス政権下のドイツで1936年に実施されたベルリン五輪で、初めて聖火リレーが行われた。以降、現在に至るまで、聖火リレーは、五輪に欠かせない行事として続けられている。
1日に110人が300メートルずつ走る
今回のロンドン五輪でも、伝統に則ってオリンピアのヘラ神殿跡で採火式が行われた後、聖火は、5月19日にイングランド南西の端であるランズ・エンド岬に到着した。これを、7月27日の五輪開会式までの70日間で、8000人のランナーが、8000マイル(約1万2800キロメートル)の距離を走り抜いた末、ロンドン東部ストラトフォードの五輪会場に届けることになる。一般人の聖火ランナーの多くは、ロンドン・オリンピック組織委員会(LOCOG)などが行ったコンペティションで、チャリティー活動などの功績を認められ、選ばれた人たちである。1日に走るランナーの数は110人ほどで、それぞれのランナーに割り当てられた距離は平均300メートルであるという。
聖火リレーのルートは、まさに英国の津々浦々を巡るものであり、LOCOGによると、「英国の全人口の95%の人が、居住する場所の10マイル(約16キロメートル)以内を聖火リレーが通過することになる」そうである。イングランド北部に残るローマ時代の遺跡であるハドリアヌスの壁や、同南西部の古代遺跡ストーンヘンジなど、英国の多くの名所を通過する点も興味深い。
トーチはデザイン大賞受賞
また、聖火リレーのトーチ(たいまつ)は、ロンドン東部を拠点とするデザイナーであるエドワード・バーバー氏とジェイ・オスガービー氏がデザインしたものである。素材に軽量のアルミニウム合金を使い、表面には、8000人の聖火ランナーを表現するため、8000もの穴が空けられている。そのため、長さは80センチもあるが、重さは800グラムに抑えられている。このトーチは、今年4月、ロンドンのデザイン・ミュージアムから、「2012年デザイン大賞」を受賞している。
聖火リレーが行われることの利点は、何と言っても、その経過を追う日々の報道などを通して、五輪開催に向けて人々の気持ちを高めることができる点であろう。いよいよあと7週間後に迫ったロンドン五輪。英国各地を駆け抜けてオリンピアの火を届ける聖火ランナーたちを応援しながら、開催の日を心待ちにしたい。
1936 Summer Olympics
1936年にナチス政権下のドイツ・ベルリンで開催された夏季五輪大会。ヒトラー総統は、五輪を、ナチス政権の権威を見せつけ、また古代ギリシャ人がドイツのアーリア人の先祖であることを印象付ける機会として捉えていたと言われる。聖火リレーのアイデアを考えたのは、同大会の事務局長であったカール・ディエムという人物。聖火は、1936年6月30日にオリンピアのヘラ神殿跡で行われた採火式で点火された後、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアなどを通過し、ドイツに到着した。このときのトーチは、2度の大戦でドイツの兵器を製造したクルップ社が作った。(猫山はるこ)
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