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英国ニュース解説

最終更新日:2012年9月26日

パレスチナ国連加盟申請と中東和平 - 欧米諸国とパレスチナ問題

これまで数多くの中東和平交渉が繰り返されてきたが、パレスチナとイスラエルの2カ国共存はいまだ実現していない。今般のパレスチナ自治政府による国連加盟申請で、依然としてパレスチナ問題が欧米諸国の外交カードであることも浮き彫りになってきた。

イスラエル・パレスチナ自治区

イスラエル・パレスチナ自治区

イスラエル・パレスチナ自治区

パレスチナ問題年表

第一次中東戦争
1915年 「フセイン・マクマホン協定」で、英国がアラブ独立支持を約束
1916年 英・仏・露「サイクス・ピコ協定」で中東分割を約束、アラブ反乱勃発
1917年 英「バルフォア宣言」で、パレスチナにおけるユダヤ人の居住地建設を支持
1918年 パレスチナが英委任統治下に
(1517年以降続いたオスマン・トルコ統治に終止符)
1936年 反シオニズム「アラブ大蜂起」が勃発
1939年 第二次大戦勃発。英「マクドナルド白書」でパレスチナ独立支持
1947年 国連総会でパレスチナ分割決議が採択
1948年 イスラエルが独立宣言、第一次中東戦争勃発
(パレスチナが分割、地図上から消滅)
 
第二・三・四次中東戦争
1956年 エジプトがスエズ運河の国有化を宣言、「第二次中東戦争」が勃発
(英・仏軍撤退)
1957年 ヤセル・アラファトが「ファタハ(パレスチナ民族解放運動)」設立
1964年 アラブ連盟が「パレスチナ解放機構(PLO)」を結成
1967年 「第三次中東戦争」が勃発
1969年 ヤセル・アラファトがPLO新議長選出
1973年 「第四次中東戦争」が勃発(第一次石油危機)
1974年 国連総会でアラファトPLO議長が「銃とオリーブの枝」演説を行う
1979年 キャンプ・デービッド合意が締結(シナイ半島がエジプトに返還される)
1987年 「インティファーダ(民衆蜂起)」が勃発、ムスリム同胞団系「ハマス」創設
1988年 「ミニ・パレスチナ国家」樹立宣言、イスラエルとの2国間共存発表
1991年 「マドリード中東和平会議」が開催(米・イスラエルの反対でPLO不参加)
1993年 「オスロ合意」署名(パレスチナ暫定自治拡大に関する原則宣言)
1995年 「オスロII」署名(パレスチナ暫定自治政府(PA)設立)
1996年 アラファトPLO議長が初代PA大統領就任
2000年 「 第二次インティファーダ(アルアクサ民衆蜂起)」が勃発
2003年 米、EU、露、国連が「ロードマップ構想」発表(パレスチナ問題の最終的解決へ)
2004年 アラファト議長逝去(アッバスPLO新議長就任、現大統領)
2005年 イスラエルがガザ地区から撤退
2006年 ハマス主導の自治政府内閣成立
2007年 ハマス・ファタハ挙国一致内閣樹立(メッカ合意)、
「アナポリス国際会議」が開催
2008年 イスラエル軍がガザ攻撃を開始
2010年 米仲介の下で、イスラエルとパレスチナの直接和平交渉が再開

国連加盟申請を巡る外交

9月30日に開かれた国連安保理審査委員会の初会合で、理事国6カ国がパレスチナ自治政府の国連加盟支持を表明した。国連加盟に必要な安保理勧告には、理事国15カ国中9カ国の賛成と、常任理事国5カ国が拒否権を行使しないことが条件となる。しかし、米国は既に拒否権行使を明言し、キャメロン英首相も「パレスチナとイスラエル双方の歩み寄りが必要」と述べ、米国に歩調を合わせた。

一方、サルコジ仏大統領は、米国による拒否権行使は中東地域の情勢悪化につながると警告し、現国連オブザーバーであるパレスチナの立場を機構から国家に格上げした上で、1年以内にイスラエルとの和平合意を目指すべきだと主張した。カダフィ政権崩壊後、いち早くリビアを訪問した英仏両国にとって、パレスチナ問題を巡るアラブ世界との対立は外交上の大損益となり、国連での拒否権行使は避けたいというのが本音だろう。

三枚舌外交とパレスチナ問題

そもそもパレスチナ問題とは何なのか。その歴史をたどってみると、帝国主義利権を優先した英政府による3つの矛盾した外交政策「三枚舌外交」が浮かび上がる。第一次大戦中、イラク南部での激しい戦局に見舞われた英国は、アラブによるオスマン帝国への反乱を促すため、1915年にメッカの太守フセインに対してアラブの独立支持を表明する「フセイン・マクマホン協定」を結ぶと、翌年には、三国協商で「サイクス・ピコ協定」を締結して秘密裏にアラブ分割を約束した。更には、英議会内におけるシオニズム(「関連キーワード」参照)支持の高まりを受け、1917年に第2男爵ロスチャイルドに当てた書簡「バルフォア宣言」で、パレスチナでのユダヤ人の居住地の建設を支持した。

折しも、欧州では反ユダヤ主義が台頭し、迫害や虐殺を逃れるユダヤ人移民がパレスチナの地に押し寄せた。一方で、対立と混乱を避けるためパレスチナを逃れるパレスチナ難民が近隣アラブ諸国で大量発生する事態となる。1947年、国連がパレスチナ分割決議を採択すると、翌年にはイスラエルが建国を宣言。これに抵抗するアラブ連合軍がパレスチナに進攻すると、混沌の時代の始まりとなる第一次中東戦争が勃発したのである。

枯れたオリーブの枝

暗礁に乗り上げたままの中東和平交渉をよそに、9月23日、アラブの民衆蜂起に背中を押されたのか、パレスチナ自治政府のアッバス議長が国連に国家としての加盟申請書を提出した。すると、27日にはイスラエル政府が東エルサレムに1100戸に及ぶユダヤ人住宅の新規建設予定を発表。抑止策とも解し得るネタニヤフ・イスラエル政権の強硬政策を欧米諸国は非難したが、イスラエル寄りの姿勢を示す米国との関係を重視する外交から転換できずにいる。

1974年、故アラファトPLO議長は、国連総会で平和の象徴であるオリーブの枝を掲げ「私の手からオリーブの枝を落とさないで下さい」と中東和平を訴え、国連オブザーバー資格を獲得した。2004年、アラファトPLO議長の死とともに地に落ちて枯れたオリーブの枝から、新たな芽を萌芽させる和平の水が再び沸き出ることはあるのか。


Zionism

ユダヤ主義、シオニズム運動。1896年、オーストリア・ハンガリーの作家テーオドール・ヘルツルが著書「ユダヤ人国家」で提唱。19世紀末、欧州におけるユダヤ人偏見や迫害、ポグロム(虐殺)に対して生まれた抵抗運動。古代ユダ王国の聖地エルサレム(シオン)におけるユダヤ人国家の再建とイスラエル文化の復興を目指し、失われた祖国イスラエルを取り戻すことを目的とした。現在では政治、民族、思想、宗教など異なる要素を含むようになり、異教徒でもユダヤ主義を提唱する個人・組織がある。特に米国内のキリスト教徒が中心の宗教右派クリスチャン・シオニストは、政治的影響力をも有する。

(吉田智賀子)

 

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