最有力候補の兄に僅差の勝利
労働党党首にミリバンド弟が当選
労働党の総選挙敗退とゴードン・ブラウン氏の党首辞任を受けて実施された同党の党首選の結果が先月末、労働党の党大会で発表された。数カ月に及んだ選挙戦は結局、エド・ミリバンド前エネルギー・気候変動相が、「本命」と言われ続けていた実の兄、デービッド・ミリバンド前外務相を破って当選するという結末で終わりを迎えた。
エド・ミリバンド氏経歴
1969年12月24日、ロンドンで生まれる。5歳年上の兄デービッドと2人兄弟。両親は共にポーランド系ユダヤ人の移民。父親のラルフ・ミリバンド氏は第二次大戦中、ナチスの迫害を逃れてベルギーから英国に渡り、後に著名なマルクス主義の学者になった。
地元ロンドン北部で兄デービッドと同じ公立の小中学校に通い、17歳で労働党に入党。この頃、労働党左派のトニー・ベン議員トニー・ベン氏は既に議員を引退している。のインターンとして働いたこともある。
その後、やはりデービッドと同じく、オックスフォード大学の哲学・政治・経済(PPE)のコースで学び、文学士の学位を取得。更に、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学を修め、理学修士の学位を取得した。
テレビ局で短期間、記者として勤務した後、93年、労働党で影の主席財務相を務めていたハリエット・ハーマン議員のスピーチライター兼リサーチャーとして働き始める。続いて、ゴードン・ブラウン影の財務相(当時)のスピーチライター兼リサーチャーを務め、97年の総選挙で労働党が政権を獲得した後は、財務相に就任したブラウン氏の特別アドバイザーに起用された。また99年には、スコットランド議会選挙の労働党の選挙キャンペーンに参加した。
2002年より米ハーバード大学欧州研究センターに客員研究員として籍を置き、経済学などの講義を行う。帰国後の04年1月、財務省の経済アドバイザー委員会の委員長に就任。
05年5月の総選挙で下院議員に初当選。選挙区はイングランド北部ドンカスター市内のドンカスター・ノース(Doncaster North)。ブレア政権中の06年5月、内閣府の政務次官に任命される。続いて07年6月のブラウン政権誕生と同時に、内閣府相及びランカスター公領相に就任。更に08年10月の内閣改造で、エネルギー・気候変動相に任命された。
エド・ミリバンド氏の兄、
デービッド・ミリバンド氏
10年5月の総選挙で労働党が敗北し、ブラウン氏が党首の座を退く意思を表明した後、党首選への出馬を発表。最近、デジタル・チャンネル「More4」で放映されたミリバンド兄弟に関する番組では、労働党のニール・キノック元党首が、兄デービッドが弟の突然の出馬に「ひどく腹を立てていた」ことを明らかにしていた。同年9月、僅差で兄を破り、労働党党首に当選。
私生活では、パートナーである法廷弁護士のジャスティン・ソーントンさんと一緒に住んでおり、一児をもうけている(ジャスティンさんは現在、2人目の子供を妊娠中で、11月に出産予定)。ジャスティンさんとは結婚していないため、党首就任時には、保守的な右派系メディアから「伝統的な家族制度を尊重していない」として批判された。
エド・ミリバンド新党首が率いる
労働党の影の内閣メンバー(一部を除く)
労働党の党首選で 誰を第一順位としたか * |
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影の財務相 | |
アラン・ジョンソン(前内務相) | デービッド・ミリバンド |
影の外務相(影の女性・平等担当相兼任) | |
イベット・クーパー(前雇用・年金相) | エド・ボールズ |
影の内務相 | |
エド・ボールズ(前児童・学校・家族相) | エド・ボールズ |
影の教育相 | |
アンディ・バーナム(前保健相) | アンディ・バーナム |
影の保健相 | |
ジョン・ヒーリー(前住宅・都市計画担当相) | エド・ボールズ |
影の司法相 | |
サディーク・カーン(前運輸担当相) | エド・ミリバンド |
影の雇用・年金相 | |
ダグラス・アレキサンダー(前国際開発相) | デービッド・ミリバンド |
影のビジネス・改革・技術相 | |
ジョン・デナム (前コミュニティー・地方自治相) |
エド・ミリバンド |
影の国防相 | |
ジム・マーフィー(前スコットランド相) | デービッド・ミリバンド |
影の運輸相 | |
マリア・イーグル | エド・ミリバンド |
影の国際開発相 | |
ハリエット・ハーマン (前下院院内総務、前女性・平等担当相。 労働党副党首は前政権時から継続) |
棄権 |
影のコミュニティー・地方自治相 | |
キャロライン・フリント(元欧州担当相) | デービッド・ミリバンド |
影のエネルギー・気候変動相 | |
メグ・ヒリアー | デービッド・ミリバンド |
影の環境・食糧・農村問題相 | |
メアリー・クリア | デービッド・ミリバンド |
影の文化・メディア・スポーツ相 | |
イバン・ルイス(前外務担当相) | デービッド・ミリバンド |
影の主席財務相 | |
アンジェラ・イーグル (前年金・高齢化社会担当相) |
デービッド・ミリバンド |
影の北アイルランド相 | |
ショーン・ウッドワード (前北アイルランド相) |
デービッド・ミリバンド |
影のスコットランド相 | |
アン・マッケチン (前スコットランド省政務次官) |
エド・ミリバンド |
影のウェールズ相 | |
ピーター・ヘイン(前ウェールズ相) | エド・ミリバンド |
(*) 労働党の党首選は、代替投票制(Alternative Vote)と呼ばれる投票システムを採用している。このシステムでは、有権者は、投票用紙上で、当選してほしいと思う順番を候補者の名前の横に書く。この表では、各議員が、どの候補者を第一順位(最も当選してほしい候補者)に指定したかを示している。
Source: Labour Partyほか
兄は長年の党首最有力候補
このほど行われた労働党党首選には、当選したエド・ミリバンド氏(40)の実の兄であるデービッド・ミリバンド氏(45)も立候補していたが、次点に終わった。デービッド氏は、2001年の下院議員当選以来、労働党の次期党首の最有力候補と言われ続けていた優秀な政治家であり、ブラウン政権下では、40代の若さで外務相まで務めあげた。今回の党首選では、大半の人がデービッド氏の当選を確信していたため、エド氏の選出は、大きな驚きをもって迎えられた。
この兄弟は、同じ大学の同じコースで学んだなど共通点が多いが、政界入りしてからは、デービッド氏はブレア派、エド氏はブラウン派と、異なる陣営を選んでいる。労働党の中でもデービッド氏は中道右派、一方のエド氏は左派と言われる。
兄は影の内閣への立候補断念
今回の党首選の最終結果は、エド氏がデービッド氏にわずか1.30%の得票差で勝つという接戦だった。労働党の党首選は、①下院議員・欧州議会議員 ②党員 ③労働組合など労働党の関係組織という3つのグループにそれぞれ3分の1ずつ票を割り当てるというルールになっている。このうち、①と②のみの開票ではそれぞれデービッド氏がトップであったが、労働組合からの支持が強いエド氏は、③からの票でデービッド氏を大きく引き離した。このため、エド氏は、当選したと言っても議員や党員から信任を得ているとは言い難く、指導者として党をまとめるには困難が伴うとの声が当選直後から聞かれた。
党首選の結果発表後間もなく、デービッド氏は、労働党の影の内閣の選挙に立候補せず、一般議員の立場に戻る意向を明らかにした(*)。デービッド氏は、この決定を伝える声明で、その理由に、自分が影の内閣に入れば、エド氏との「個人的確執」ばかりが取り沙汰され(たとえ確執が存在しなくても)、エド氏が新党首として党を率いる妨げになると考えたことを挙げていた。
エド氏は10月8日、新党首としての最初の大仕事として、影の内閣の任命を行い、アラン・ジョンソン前内務相を影の財務相に選んだのを始め、党首選でデービッド氏を含む自分以外の候補者を支持した議員を数多く重要ポジションに配置した。ここには、党首選で誰の支持者だったかに関わらず、一致団結して党を再建させようとするエド氏の意図が明確に示されていると解釈された。
「新しい世代」が党を率いると強調
党首選発表の3日後、労働党の党大会で行った演説でエド氏は、これまでとは違った考えと姿勢を持った「新しい世代」が今後の労働党をリードすると強調した。保守党は、デービッド氏より政治家としての経験が浅く、「小物」なエド氏を好敵手として捉えていないとも言われるが、ともあれ、13年間の政権期間中に失われた有権者の信頼を回復し、労働党を次の総選挙での政権奪取に導くという目標に向け、新党首の戦いはまだ始まったばかりである。
(*) 影の内閣の任命に関する労働党のルールは、まず同党の下院議員及び欧州議会議員による投票で影の内閣に入ることができる議員を決定し、その後、当選者の中から党首が各役職への任命を行うというものである。
Philosophy, Politics and Economics(PPE)
哲学、政治、経済を同時に学ぶことができる大学または大学院のコース。オックスフォード大学で1920年代に設置されたのが始まりで、今では英国内のみならず、世界各国の様々な大学にPPEのコースがある。エド・ミリバンド労働党党首、その兄のデービッド・ミリバンド同党議員を始め、英国の政治家にはオックスフォード大学のPPE出身者が多く、デービッド・キャメロン首相、ウィリアム・ヘイグ外務相、ピーター・マンデルソン前ビジネス・改革・技術相、エドワード・ヒース元首相などが含まれる。(猫)
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