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英国ニュース解説

最終更新日:2012年9月26日

泥沼化するアフガニスタン情勢

英国と国際社会が向き合うジレンマ
泥沼化するアフガニスタン情勢

いまだ出口の見えないアフガニスタン情勢に憤りを感じ始めた国際社会とアフガン政権は、これまでの軍事的解決からイスラム過激派勢力「タリバン」との和解政策へと方向転換し、問題解決の糸口を探り始めた。しかし、アフガン社会に蔓延する汚職体質は根深く、内政改革を約束するカルザイ政権の統治能力は依然として未知数のままである。


アフガニスタン情勢地図

主な各国兵力とその配置
1 Harrods米国 7万8430人
2 Harrods英国 9500人
3 Harrodsドイツ 4350人
4 Harrodsフランス 3750人
5 Harrodsイタリア 3300人
6 Harrodsカナダ 2830人
7 Harrods日本
今後5年間で最大5億ドル(約450億円)の資金援助を表明
0人
8 Harrodsロシア
ISAF(国際治安支援部隊)への後方支援、軍事輸送支援、諜報活動支援等を実施
0人
ケシの生産量
HarrodsHarrodsHarrodsHarrodsHarrods 非常に多い
HarrodsHarrodsHarrodsHarrods 多い
HarrodsHarrodsHarrods ほどほどである
HarrodsHarrods 少ない
Harrods 非常に少ない
全くない


アフガニスタンとイラクにおける多国籍軍兵士死亡数

イラク
米国 英国 その他
2003 486 53 41 580
2004 849 22 35 906
2005 846 23 28 897
2006 822 29 21 872
2007 904 47 10 961
2008 314 4 4 322
2009 149 1 0 150
2010 39 0 0 39
Total 4409 179 139 4727
アフガニスタン
米国 英国 その他
2001 12 0 0 12
2002 49 3 17 69
2003 48 0 9 57
2004 52 1 7 60
2005 99 1 31 131
2006 98 39 54 191
2007 117 42 73 232
2008 155 51 89 295
2009 317 108 96 521
2010 200 64 58 322
Total 1147 309 434 1890

Sources: Iraq Coalition Casuality Count


アフガニスタン近現代史年表

1979年 旧ソ連軍がアフガニスタンへ侵攻
1986年 旧ソ連対策として、米国がムジャーヒディーン(イスラム戦士)への支援を開始
1998年 旧ソ連軍がアフガニスタンから撤退
1994年 ムジャーヒディーン内部の派閥争いで、パシュトゥー族で形成されるタリバン勢力が台頭
1996年 タリバンが首都カブールを制圧
1999年 国連がタリバンに対し、アルカイダ指導者ビン・ラディン容疑者の引渡し要求、国際線の乗り入れ禁止、及び金融制裁を実施
2001年
1月
国連がタリバンに対し再度ビン・ラディン容疑者の引渡しを要求
10月
米軍主導の多国籍軍によるアフガニスタン侵攻が開始
12月
多国籍軍によるカブール制圧により、タリバン政権が事実上解体
同月、ハーミド・カルザイ氏が暫定行政機構議長に就任
2002年 カルザイ氏がアフガニスタン・イスラム移行政権大統領に就任
2004年 アフガニスタン・イスラム共和国カルザイ初代大統領就任
2006年 NATO軍が南部における軍事行動の統括を担当
2007年 アフガニスタンにおけるケシの生産量が過去最大を記録
2008年 タリバンのメンバー約350人が南部カンダハールの収容所から逃走
2009年
2月
米兵増派を受け、NATO加盟国20カ国が増派を決定
9月
マクリスタル元司令官が、増派がなければ多国籍軍は1年以内に敗北する旨を明言
11月
カルザイ大統領再選
12月
オバマ米大統領が米軍増派(総計10万人)、及び同軍撤退日程等を発表。同月、CIAのダブル・スパイが米軍基地で自爆テロを実行
2010年
1月
各国閣僚級「アフガニスタンに関するロンドン国際会議」開催
2月
駐留米軍等は南西部ヘルマンド州において最大規模 の軍事作戦「Operation Mushtarak」を実施
6月
主要都市カンダハールにおいて「和平ジルガ」が開催 され、アフガニスタン全土の各階層代表等約1600 名が参加。同月、ペトレイアス米中央軍司令官が ISAF兼アフガニスタン駐留米軍司令官に就任
7月
各国閣僚級「カブール国際会議」開催(予定)

終わったはずのアフガニスタン侵攻

本年5月末、アフガニスタン南西部のヘルマンド州に、駐留英軍兵士に紛れて迷彩服に身を包むサッカーの元イングランド代表デービッド・ベッカム選手の姿があった。イスラム過激派勢力「タリバン」の主要拠点の一つである同州で、戦闘が激化する夏を迎える前に、英軍兵士は同選手との束の間の余暇を楽しんだ。  

2001年10月のアフガニスタン侵攻は、同年末、米軍によるタリバンの制圧とカルザイ暫定政府の成立と共に終焉したはずだった。しかし08年7月、米軍当局は、「イラクのアルカイダにリクルートされた外国人戦闘員が、アフガニスタンへ流れている」とし治安の悪化を示唆。そして本年5月、駐留アフガニスタン米軍兵力(9万4000人)が、遂に駐留イラク米軍兵力(9万2000人)を上回り、オバマ米大統領は、「イラク戦争が終焉しつつある中、我々はアフガニスタンに向かっている」と述べた。

カルザイ政権とタリバンの復活

アフガニスタン情勢悪化の背景には、カルザイ政権の国家統治機能の欠如がある。昨年11月、再選を果たしたカルザイ大統領は、自身の就任演説で「まず汚職の対策を推し進める」とし、ガバナンス改革等を誓約した。しかし、これまで繰り広げられてきた政界有力者の不法行為は、アフガン社会全体に汚職体質を蔓延させた。また、一向に改善されない失業率と貧困は、国民とタリバンの距離を縮めさせ、更にはタリバンの復活を許すに至った。  

現在、アフガニスタンにいるタリバン兵士の数は約2万から3万人とも言われるが、アルカイダ的なイスラム原理主義を提唱する者はごく一部の指導者レベルであり、多くの兵士は、むしろ経済的理由や反米感情等により加わったとされる。  

また、ヘロインの原料となるケシ栽培が盛んなアフガニスタンでは、犯罪組織化した「タリバン」と「農民」の間の癒着も問題の一つとなっている。農作物に比して収益が高く、生産が容易であるケシ栽培をタリバンは援護し、その収益で武器を調達し、新たな兵士を雇い、その家族を養う。農民は「タリバン」の保護下でケシを栽培し、飢えをしのぐという一種の社会システムが確立しているという。

泥沼化するアフガン情勢と国際社会

6月末にカナダで開催されたG8サミットにおいても、アフガニスタン支援は主要議題の一つだった。その半面、キャメロン英首相が「(次期選挙開催予定の)15年まで英軍がアフガニスタンに駐留することは出来ない」と明言するなど、兵力の疲弊を懸念し自国兵士の早期撤退を望む各国首脳の意向も見え隠れした。キャメロン首相は、英軍の撤退日程については言及を避けたが、11年7月の米軍撤退開始の時期と並行させる可能性が高い。

当の米軍は、同月、オバマ政権のアフガン政策を侮辱したとして、マクリスタル駐留米軍司令官が更迭される事態が発生。オバマ米大統領は、今般の司令官交代によるアフガン政策への影響や変化はない旨を強調しているが、軍事的解決に限界を感じ始めた国際社会は、タリバンとの「和解と再統合」に向けて、慎重な姿勢を取り始めた。

Taliban

タリバン。語源は、アラビア語で「学生」を意味する「ターリブ」。1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻以降継続していた内戦の中で生まれた学生運動を起源とし、イスラム教の神学校「マドラサ」に通う生徒たちを中心にして94年に発足した。当初はパキスタンの諜報機関「ISI」、サウジアラビア、米国等から資金・軍事面で支援を受けていたとされる。96年〜2001年、タリバン政権は、音楽を始めとする娯楽禁止や女性の教育禁止等、過激主義に基づく政策を実施。01年3月、バーミヤン遺跡爆破は、国際社会によるタリバン非難を高める結果となった。

(吉田智賀子)

 

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