クリッペン逮捕のニュースは欧州中を駆けめぐった
事件が起きたのは、97年前の1910年。後に、英国史上最も悪名高いと言われることになる事件がロンドンで発生した。ある医師が踊り子だった妻を毒殺し、その死体をバラバラにして自宅の床下に埋めたのだ。罪に問われた医師の名は、ホーリー・クリッペン。クリッペンは、妻コーラが行方不明になったと皆に告げた後、男性に変装させた若い愛人とともに大西洋上を逃避行中に、目ざとい船長に身元確認され逮捕された。その後の裁判で、有罪が確定するまでに費やされた時間はたったの27分。クリッペンは、絞首刑を受ける直前まで無罪を訴えていたという。
この事件に着目したのが、米国の科学捜査チーム。毒殺で遺体を解体するのは珍しいという理由から、大規模な捜査を開始した。まずは7年の歳月をかけて、米カリフォルニアやプエルト・リコで暮らすコーラの子孫の行方を突き止めた。そしてロンドン王立病院の書庫に眠るコーラの遺体サンプルから取り出したミトコンドリアDNAと子孫のそれを比較したところ、コーラのものだと思われていた遺体は全くの別人のものだということが発覚したのだ。
「ミトコンドリアDNAは、母親から子へと受け継がれるもので、ほとんど変化を受けないという特徴があるのです」とはチーム・メンバーの医師の弁。そして、ミトコンドリアDNAが合致しないということは、ほとんど100%の確率で別人であることが証明されるそうだ。現在このチームはDNA鑑定の結果を基に、クリッペン医師の大赦を求めている。
絞首刑の2週間前に「私は無罪だ。いつか必ず私の無罪を証明する証拠が出てくるだろう」と書き残したというクリッペン医師。今頃は天国で安堵の息をついているだろうか。
しかし、クリッペン医師の自宅の床下で発見された死体が、コーラのものではないと分かった今でも、行方不明となった彼女の行方や、発見死体の身元は謎に包まれたままである……。
「ガーディアン」紙 "100 years on, DNA casts doubt on Crippen case"
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