ガイ・フォークス・ナイトを楽しむための6つの豆知識
花火といえば夏祭りというのが定番の日本とは異なり、英国では11月初旬が花火真っ盛りとなる。もはや冬時間に突入し、夜間は時に震えるほどの寒さを感じる時期になぜ花火大会を行うのか。そのきっかけとなった約400年前の火薬陰謀事件を中心に、現在は「ガイ・フォークス・ナイト」(Guy Fawkes Night)、「ボンファイヤー・ナイト」(Bonfire Night)として親しまれるこの花火大会について紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
1. 400年前の英国では宗教対立が深刻化
16世紀前半に、ヘンリー8世が王妃との離婚問題を契機として英国国教会を創立。しかし、その娘であるメアリー1世はカトリック以外のキリスト教徒たちを弾圧し、その王位を受け継いだエリザベス1世は再び英国国教会を軸に据える政策を展開するなど、約400年前の英国は深刻な宗教対立の最中にあった。
1603年にはジェームズ1世が即位。カトリック教徒の母と妻を持つジェームズ1世は、カトリック教徒たちを擁護する政策を打ち出すことが期待されていた。
2. 当時の権力者たちが結集する国会開会日にテロを計画
しかし期待に反して、ジェームズ1世は英国国教会の護持を宣言。極端な信仰を掲げる異教徒たちを排除する方針を打ち出した。これに反発した一部のカトリック教徒たちはテロを計画。国王や国会議員、聖職者といった権力者たちが一堂に会する11月5日の議会開会日に国会議事堂を爆破することを決めた。
共謀者らは国会議事堂の地下室の賃貸契約を結び、ここに大量の火薬を運び込んで国会の開会日を待ち続けたという。
19世紀に描かれた火薬が運び込まれた国会議事堂の地下室
3. テロ決行日の直前に届いた密告の手紙
しかし、11月5日の直前になり、当日に国会への出席を予定していた1人に手紙が届く。差出人の名前はなかったが、そこには議会開会日に爆弾が仕掛けられる可能性があるので、当日は議会に近付かないようにとの警告を発する内容が書かれていた。
この手紙がジェームズ1世の臣下へと渡り、王室にも陰謀の存在が知られることになる。一方のテロリストたちは、密告の手紙の存在を知りながらも、テロ計画を実行する決断を下した。
4. 現行犯で逮捕されたテロリストの名前とは
国会が開会する当日、テロの動きを察知したジェームズ1世によって議事堂内に多数の衛兵が送り込まれ、テロは失敗に終わる。このとき、現行犯として逮捕された唯一の男の名前がガイ・フォークス。フォークスは、当時監獄として使用されていたロンドン塔に幽閉され、拷問を受けた揚げ句に死刑宣告を受ける。
しかし、フォークスは絞首台へ続くはしごから突如飛び降り自ら命を絶った。後に遺体は四つに切断され、こういったテロ活動の抑止力としてロンドン各地で展示されたという。
5. 花火とかがり火で国家の平和を祝う
国家の平和を祝うため、事件の翌年には11月5日を祝日として定める法律が制定された(この法律は1859年に廃止)。以後、市民がガイ・フォークスをかたどった人形をこしらえて街中を引き回し、さらにはその人形をかがり火で燃やした後に花火を打ち上げて平和を祝うことが慣習化。
またこの事件をきっかけとして王室のカトリック教徒に対する不信は決定的となり、現在至るまでカトリックの信者が王位を継承することは認められていない。
6. アンチ・ヒーローの象徴となったガイ・フォークス
フォークスの名は次第に本来の意味から離れていったが、1980年代に英作家アラン・ムーアとイラストレーターのデービッド・ロイドによるグラフィック・ノベル「V フォー・ヴェンデッタ」(V for Vendetta)の出版により再び注目を浴びる。同作の舞台はファシズム国家に近い体制の英国。フォークスの仮面を着けたアナーキストの謎の人物「V」が、その非凡な才能駆使して既存の体制を崩壊させようとする物語なのだが、ここからこのマスクに反政府主義のイメージが付き、現在は世界中で反体制への抗議活動の象徴となっている。
ガイ・フォークス・ナイト関連イベント
毎年11月初旬、英国各地で大規模な花火大会が開催される。開始時間や料金などの詳細は下記サイトを参照
- Alexandra Palace
www.alexandrapalace.com - Battersea Park
www.batterseaparkfireworks.com - Wimbledon Park & Modern Park
www.merton.gov.uk - Ealing Cricket Club
https://www.ealingcc.co.uk/news/ealing-cricket-club-fireworks-display--fireworks-go-pop--2874372.html