東日本大震災という、未曽有の災禍が発生した2011年。英国という遠く離れた異国の地から、母国が復興を遂げていく過程を見守るという特異な立場に置かれた在英邦人たちは、それぞれ新しい年をどのように過ごしていくのか。林景一駐英国特命全権大使に、昨年を振り返るとともに、2012年の展望を語っていただいた。
林景一(はやし・けいいち)駐英国特命全権大使
1951年2月28日生まれ、山口県出身、京都大学法学部卒。74年に外務省入省。アイルランド大使、駐英公使などを経て、2011年2月より現職。
2011年を振り返って、印象に残ったことは何ですか。
英女王陛下に、天皇陛下からの信任状をお出しすることによって大使としての活動を公式に開始してから3週間足らずで東日本大震災が発生し、その後は震災関連の対応が活動の多くを占めました。特に印象に残っているのは、震災発生後に見られた、東北の人々の冷静な対応や我慢強さといったものが、英国人に感銘を与えたと各メディアなどで報じられたことです。自らを我慢強い国民であると自負する英国人にとって、そうした振る舞いは美徳の一つでしょう。震災を通じて、日本人がその美徳を示したことを、多くの英国人は前向きに評価していると思います。
世界における日本の存在感が希薄になっているとも一部では伝えられていますが、震災を機に世界が再び日本に目を向け出しました。震災後に空港、道路、線路などが急速に復旧していく様子を見て、世界が日本の力を改めて認識したという側面があったのではないでしょうか。今後、日本がどういった形でさらなる復興を遂げていくかが注目されていると思います。
11月にサッカーの聖地であるウェンブリー競技場で開催された東日本大震災のチャリティー・マッチには、大使館が準備段階から深く関わったと聞いています。
震災後、英国からの様々な被災者支援の形を検討そして実施して参りました。その中で、英国がサッカー発祥の地であることと、また私自身が高校、大学とサッカーをしていたこともありまして、サッカーという切り口で何か支援はできないだろうかということが頭の中にあったのです。3月末ごろには、イングランドの往年の名選手として知られるボビー・チャールトン氏に会って、何かチャリティー・マッチのようなことはできないかといったようなことを相談していました。さらにチャリティー・マッチの当日にもお越しいただいたジェレミー・ハント英文化・オリンピック・メディア・スポーツ相にもお会いする機会があり、イングランドのサッカー協会(FA)にぜひお口添えいただきたいとの話もしておりました。
その後、ウェンブリー競技場内にあるFA事務局を訪ねた際に、デービッド・バーンスタイン会長から非常に前向きな回答をいただくことができたのです。イングランドとオランダの国際試合のボックス席を提供するので、それをオークションにかけて収益金を被災地へと回してはどうかとか、6月に大使館公邸で行われた英日婦人会主催のチャリティー・バザー用にイングランド代表選手のサイン入りシャツを提供いただくといった提案と合わせて、ウェンブリー競技場のピッチを無料で使用させていただけるという話がありました。
このウェンブリー競技場使用の詳細についてさらなる相談を進める中で、被災地の高校生を呼んでウェンブリーで試合をしてもらうのがいいのではないかと考えたので、夏ごろに別件で渡英された日本サッカー協会の小倉純二会長に意見を求めたところ、高校生の選抜には日本サッカー協会が全面的に協力するとのお言葉をいただきました。そのほかにも、日本商工会議所を含む様々な団体からの協力をいただき、被災地の高校生16人に来てもらえることになったのです。チャリティー・マッチの当日、被災地の高校生の一人が、「家もなくなり、何回も引っ越しを余儀なくされて、サッカーをあきらめようとも思ったけど続けてきて良かった」と言っていたのが印象的でした。
6月には、ウェストミンスター寺院で東日本大震災のメモリアル・サービスも行われました。
昨年2月にニュージーランドで発生した大地震の追悼行事が、地震発生から1カ月後にウェストミンスター寺院で行われ、この地震で命を亡くした邦人がいらっしゃいましたので、私も式典に参加しました。その際にウェストミンスター寺院の関係者とお話をしたところ、東日本大震災のメモリアル・サービスも行いたいので協力を得たいとのお話をいただきました。同寺院は英国国教会に属していますけれども、東日本大震災の追悼行事については、厳かながら歌や音楽の演奏を交え、特定の宗派に限定せず、広く追悼の気持ちを集めるという場を用意してくれました。また当日、ウェストミンスター寺院に日本の国旗を半旗で掲げるという配慮をいただいたことにも感謝しています。
当日は、2000人近い人が来られました。それだけ多くの方々が、悔やみ、悼み、気持ちを伝えたいとのメッセージを送る機会としては、素晴らしいものだったのではないでしょうか。同時に、被災地から遠く離れた英国という場所にいて、何らかの支援をしたくとも、できることに限りがあるという環境に暮らす在英邦人にとっては、心に一つの区切りを付ける機会ともなったのではないかと思います。
海外暮らしが気軽にできる現代において、大使館はどのような役割を果たすべきと考えていますか。
私が外務省に入省した1974年ごろには、海外に出掛けるにはまだ相当の制限がありました。その少し前まではパスポートを取得するにも、貿易に関係する人でなければ難しい、といった時代です。今は、海外に在住するということがごく当たり前になっています。英国では、大使館に登録されている在留邦人だけで約6万人。パスポートの発給、戸籍の届け出の受付がロンドンだけで年間1350件。パスポートの紛失・盗難が平均毎月20件以上、身分証明・運転免許証証明の発給件数が年間6500件。犯罪に巻き込まれたり、病気・怪我といった状況への対応となる邦人援護が650件近くと、在英邦人の支援を担当する領事班の仕事が忙しくなってきています。
さらに、英国には日系企業が1300社存在し、10万人以上の雇用を生み出しています。そうした企業関係者に対する支援も大使館の仕事です。国際交流が活発な現代においても、国際社会というのは依然として国の単位で構成されている部分が多く、国が出ていかなければいけない場合が多々あるのです。例えば英国政府がビザの発給を厳しく制限するようになってきていますが、これでは在英日系企業のビジネスに差し支えるということで、日本政府から英国政府に申し入れるといった形での働き掛けを行っています。また日立製作所が英国で現在進めている高速鉄道の開発といった大きな案件だと、政府関係機関が融資することがあります。つまり、一昔前であれば大使館が手掛けていなかった仕事が急増しているのです。そうした案件には今後も積極的に取り組む必要があると考えています。
2012年を英国で迎える在英邦人の方々へ、新年のメッセージをいただけますか。
2011年は、大震災から立ち直っていく最初の年でした。2012年は復興を軌道に乗せて、新しい日本を目指していく年になるのだと思います。英国で暮らす日本人である私たちにとって大切なのは、まず、被災者のことを忘れないということです。今年の3月11日には震災1周年を迎えるので、大使館主催で追悼行事を行いたいと思っています。今年開催される関連イベントについては、大使館が運営する「Japan-UK Events Calendar」内に情報を随時アップデートすることで告知し、また閲覧できるようにする予定です。様々な活動を通して、2012年が明るい方向に向かう年にすることができたら良いと思います。
英国においては女王陛下の即位60周年というおめでたい行事が予定されており、また夏にはロンドン・オリンピック、パリンピックが開催されます。日本人選手が活躍してくれれば、被災者にとっても、在英邦人にとっても大きな励ましになるでしょうね。