世界初の公共放送サービス設立から100年目を迎えたBBCの過去・現在・未来
番組が放送されていないときにTV画面に表示されるBBCの「テスト・カードF」と呼ばれる固定画像。この少女とピエロの姿は英国TVの象徴的なイメージとして知られ、国内ではパロディーの対象になるほど
1922年10月18日、英国放送協会BBCが設立され今年でちょうど100年を迎える。世界で最初にTV放送を開始したのはBBCだとされている。この特集では、黎明期を経てラジオからテレビへ、そしてデジタル・サービスへと歩みを進めるBBCの歴史をたどる。また、公共放送局であるBBCが政府とどう向かい合ってきたかや、メディア環境が大きく変わるなか今後のBBCの行方について、英国メディアに詳しい在英ジャーナリスト、小林恭子さんにもお話を聞いた。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: www.bbc.co.uk、www.opendemocracy.net、https://pressgazette.co.uk、www.asahi.com ほか
BBCとは
1922年に民間企業「英国放送会社」(British Broadcasting Company)としてスタートした放送局。27年に「英国放送協会」(British Broadcasting Corporation)となり、現在に至るまで英国を代表する公共放送局として知られる。独立・中立・正確をモットーに、世界で最も信頼度の高いメディアの一つとされ、英国文化の発信者としては王室と並ぶ知名度を誇る。TVとラジオを通じた放送、ニュースサイトの展開に加え、ネット配信にも積極的であり、オンデマンド・サービス「BBC iPlayer」によって、各種デバイスでいつでもコンテンツを楽しめる。
2022年9月19日のエリザベス女王国葬の際、英国内の50チャンネル以上のTV局がその模様を中継。英人口の40パーセント以上にあたる約2800万人が中継を見守ったといわれるが、そのうち2000万人がBBCを選択し、視聴した。
英国の現代史と共に歩むBBCの歴史
ラジオ、TV、デジタル。ここ100年の通信技術の発展に合わせ、たくましく変化を遂げてきたBBCの姿を駆け足で紹介する。
黎明期新聞業界からの圧力
1920年代、英国では商業ラジオ局が無秩序に急増し、周波数不足が問題化しており、これを危惧した英国中央郵便局(GPO)と六つの電気通信会社が共同出資による「英国放送会社」(British Broadcasting Company)を設立。これがBBCの始まりだった。22年10月18日、政府はBBCに受信機販売と放送の事実上の独占権を与え、同年11月14日に、ロンドンのマルコーニ科学機器社にある2LO局から放送を開始する。
当時のBBCはプログラムの質低下を避けるため、広告を放送しない代わりに、リスナーから10シリングのライセンス料を取ることで運営された。一方、BBCとの競争を嫌がった新聞業界は、政府を説得しBBCが午後7時以前にニュースを報道することを禁止させた。しかも、当時のBBCは独自の報道が許されておらず、通信社からのニュースを読み上げることのみ許されていた。
ところが、1926年のゼネラル・ストライキにより国内の新聞発行が中断されたため、その間、政府はBBCによる独自のニュース報道禁止を一時的に解除。BBCはこのとき、ストライキ参加者と政府の視点をバランスよく報道し、何百万人ものリスナーに感銘を与えたという。これをきっかけに、BBCを公共企業体にすべきと放送調査委員会が政府に勧告したことから、27年、英国放送会社は英国放送協会(British Broadcasting Corporation)に生まれ変わった。
BBCのラジオ放送は英国全土に広まり、1939年の第二次世界大戦勃発時、ジョージ6世の国民に向けた演説や、VEデー当日に時の首相チャーチルのラジオ演説を行うなど、BBCラジオは時代の重要な役割を担い続けた。1973年に民間ラジオの設立が認められるまで、BBCは英国ラジオを独占した。
マンチェスターに建てられた初期のラジオ局2ZY
TVの台頭フロントランナーとして走る
1920年代後半には、世界中でTVの開発が競われていた。そんななか、スコットランドの電気技術者で発明家のジョン・ロジー・ベアード(John Logie Baird)は、史上初めてTVで動画を遠距離放送することに成功。また、世界初の完全電子式カラーTV受像管も発明した。ベアードはTV開発会社(Baird Television Development Company Ltd)を創設。1928年にはロンドンから米ニューヨークにTV信号を送る実験を行い、30年にはBBCのために初のテレビ・ドラマ「口もとの花」を制作し試験放送するなどした。
ただ、一般的な国民はまだTVを持っておらず、BBCで36年に正式に放送が始まったものの、週5日で毎日15~16時と21~22時に限られていた。翌37年にはジョージ6世の戴冠式の模様を放送。ウィンブルドン選手権やサッカー試合も放送できるようになった。この年に英国で販売されたTVの台数は2125台。しかし、順調と思われていたTV文化の発展は中断をよぎなくされる。第二次世界大戦の影響で、40~46年6月までTV放送は完全に打ち切りとなったのだ。
やがて戦後の46年に初めてTVライセンスを導入。ラジオのライセンスと併せて年間2ポンド(現在の約70ポンド)だった。47年には本格的なTV放送が再開し、音楽の祭典「プロムス」が初めてTVで放映。53年にはエリザベス女王の戴冠式が中継され、欧州全域で2000万人が観たという。TV時代の幕開けである。55年には民放局ITVが開局するも、それを追うようにBBCの二つ目の局であるBBC2が開局。67年には初めてカラー放送を行い、音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」やSFドラマ「ドクター・フー」などが次々に始まるなど、英国の若者文化の行方を決める番組が続々と制作されていった。
BBCの初代会長を務め、同社の理念を作ったジョン・リース卿
デジタルへの移行経営も合理化へ
世界の放送分野では、1990年代から次第にデジタル技術とそれを利用した画像圧縮技術が発達し、大量のデータを送信することが可能になってきた。これに伴ってチャンネル数の飛躍的な増大や高精細な映像の提供が可能となったため、英国政府は1996年の放送法でメディア所有規制の緩和を行った。例えばTV局やローカル・ラジオ局の局数制限を廃止。こうした規制緩和以来、BBCは特に衛星放送、ケーブルTV、デジタル放送において、激化する競争に直面してきた。
こうした状況のなか、2022年5月にBBCのティム・デイヴィー会長は、TVとラジオ・チャンネルの改革を発表した。子ども向け番組と、ドラマやドキュメンタリーなどを専門とする局を従来の放送からオンラインに移行するほか、国内と海外向けで別々に展開しているニュース・チャンネルなども統合する。同会長は、今回の改革はコスト削減の一環でもあると説明するほか、「BBCは現在オンラインよりも放送に集中しすぎている」と述べ、「現代的でデジタル主導の、合理化された組織」づくりの一端を担うものだとしている。これにより、年間2億ポンド(約320億円)の削減が見込まれるほか、デジタル放送を優先したサービス提供へ再編成する。
アモル・ラジャンBBCメディア担当編集長はそれに加える形で、政府が今年1月、国民の生活救済策の一環としてTVライセンスを向こう2年間、年159ポンド(約2万5500円)に凍結することでBBCと合意したと発表した。このためBBCはいっそうの節約を迫られているとし、将来の視聴者が、デジタル技術に慣れた人がほとんどになるにもかかわらず、現在のBBCの資金は依然として、TVやラジオを通じて消費されることが多いと説明。BBCがデジタル・サービスへ軸足を移すタイミングが来たと告げた。
ロンドン中心部のポートランド・プレイスにあるBBC本社
BBCを取り巻く議論
中立・透明・独立をモットーにした報道を心掛けるBBCだが、「誰にとっても納得できる報道」がいかに難しいか。そう思わせる、これまで議論を呼んだ事象を3点紹介する。
透明性イラク大量破壊兵器に関する疑惑報道
BBCのアンドリュー・ギリガン記者は2003年5月29日にラジオの報道で、ブレア政権は「イラクは45分以内に大量破壊兵器を実戦配備できる」という情報が間違いだと知りながら、それを02年9月の政府報告書に盛り込んだとした。これに対し政府は全面的に否定し、BBCと政府の対立が深まった。
疑惑報道の情報源とされた元国防省顧問の自殺を巡る背景を調査していた独立司法委員会が発表した報告書は、報道には「根拠が認められなかった」とし、ギリガン記者及びBBCのトップ2人が辞職する事態に。約半数の国民がBBCが非難を受けるのは不公平と考えたものの、報道機関としての信頼性を問われた事件であった。
中立性英国の欧州連合離脱に関する報道
2016年のEU国民投票の後、一部の批評家は、BBCが欧州連合離脱(EU離脱)に好意的であったと示唆した。例えば、2018年、BBCは離脱派である元UKIPリーダーのナイジェル・ファラージ氏が主催する小規模なイベントに多くの放送時間を割く一方、残留派の行動を十分に報道しなかったなど。しかしYouGovによる世論調査では、EU離脱に投票した人の45パーセントが、BBCは「積極的にブレグジットに反対」していると考えていたのである。
残留派と離脱派とに真っ二つに分かれた当時の国民にとって、中立のBBCはどちら側から見ても不満を感じる存在となってしまった。「いざというときのBBC報道」というBBCの力が最も弱まった時期の一つが、ブレグジットだったといえる。
独立性BBCは国営ではないが……
BBCだけではなく、英国の主要放送局は全て公共サービス放送(Public Service Brodcasting=PSB)。PSBは、純粋に商業的な利益を得ることを目的とするのではなく、公益のために放送サービスを提供する義務があり、いずれも不偏不党のニュース番組や独自のコンテンツを持つ番組を放送する。ただし、他局が広告収入を主財源としているのに対し、BBCだけが約10年ごとに更新される、君主の勅許「王立憲章」(Royal Charter)によってその存立が成立している。
BBCは視聴世帯からTVライセンス料を徴収し、これを国内の放送活動に充てる形をとり、活動を支えるTVライセンス料の値上げ率は政府との交渉で決定する。ただし、2014年まで外務省からの助成金で運営され、政府の対外パブリック・ディプロマシー戦略の一環として捉えられていたBBCワールド・サービスのような例もある。
BBCにまつわる6個の事実
1. 女王の戴冠式でTVを購入
以前からTV放送されていたとはいえ、一般市民にとってTV受信機は高嶺の花であり、1950年代に入ってもTVはまだまだ普及していなかった。それが一気に広まったのは1953年のエリザベス女王の戴冠式。女王の姿を一目見ようと、多くの国民がTVを購入した。価格は現在の価値にすると約1800ポンド(約28万円)と、微妙な高価格だった。
2. 初めてのカラー放送は緑色
1967年7月1日にBBC1に先駆けBBC2がフル・カラー放送を開始。その年のテニス・ウィンブルドン選手権中継が最初のカラー放送だったという。TV中継を観た人々はコートのグリーンの鮮やかさに目を奪われたことだろう。ちなみに試合は男子シングルス戦で、南アのクリフ・ドリスデール選手と英国のロジャー・テーラー選手の対戦だった。
3. 核戦争になったら地下壕へ
冷戦時代、BBCには核戦争が勃発した際に地下シェルターから報道を続けるためのマニュアル本「War Book」があった。政府機関のシェルター内にスタジオを設置し、中に入るスタッフは大半が男性。Radio4の局長がBBCスタッフを率いる計画だった。ちなみに、シェルター行きのリストに名が載ったことは、妻に言ってはならないと指示されていた。
4. BBC本社にオーウェル像
作家でジャーナリストのジョージ・オーウェルは、1941~43年にBBCで東南アジア向けの宣伝番組を制作していた。現在、ロンドン中心部のBBC本社にはオーウェルの像が設置されている。背後の壁には「動物農場」の序文、「もし自由が何かを意味するならば、それは人々が聞きたくないことを伝える権利を意味する」という言葉が刻まれている。
5. ボウイの曲にダメ出し
1950~60年代後半まで、BBCは番組に出演するバンドのオーディションを行ってきた。65年11月に「デービッド・ボウイ&ザ・ロウワー・サード」というグループでテストを受けたボウイは、「特徴がない」「アマチュアっぽい音」「特に感銘を受けない」「上手くなりそうにない」とあまりにも散々な評価を受けたあげく落とされた。
6. アッテンボローも不採用に
現在はBBC自然ドキュメンタリーの顔であるデービッド・アッテンボローも、BBCから肘鉄を食らっていた。1952年にラジオ「ホーム・トーク」のプロデューサーに応募したアッテンボロー。手書きの履歴書に、切手を貼った返信用封筒まで付けたにもかかわらず、不採用となった。BBCに封筒が残っているところを見ると、不採用通知も届かなかったようだ。
世界のメディア環境が激変するなかBBCはどこへ行く
英国のメディアに詳しい小林恭子さんに、英国にとってのBBCの立ち位置やBBCの今後についてお話を伺った。
お話を伺った方
小林恭子
在英ジャーナリスト。英国をはじめとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。英国ニュースダイジェストでは毎号「英国メディアを読み解く」を執筆。
BBCのユニークな点は何だと思いますか。
BBCは、1922年に民間企業「英国放送会社」(British Broadcasting Company)から、27年に公共体としてのBBCになりました。1955年に民放のITVが登場するまで英国唯一のTV放送局であったため、BBCとTVが同義語だった時期が長く続きました。その間、BBCはニュースから娯楽番組まで、独占的に多くの英国の視聴者を楽しませてきました。
こうして英国を代表する放送局としてゆるぎない位置を築いてきたBBCですが、その真髄といえるのが、BBCの創設者で初代ゼネラル・マネージャーだったリース卿が定義した、BBCの目的です。それは、視聴者に「情報を与え、教育し、楽しませる」こと。これは今でもBBCの企業理念になっています。
さらに、「ニュース報道の不偏不党」も、その活動の要です。ただ、英国ではどのメディアもそうですが、ジャーナリズムの基本的立ち位置は「権力を監視する」ことですので、BBCのニュース報道でも、ジャーナリストが視聴者のために権力者を問いただす姿勢が維持されており、政治家に対して丁々発止のインタビューが行われることも頻繁にあります。
BBCの強み、そして懸念される点は。
「英国を代表する放送局」としての地位を築いたBBCは、優秀な人材を結集して優れた番組を制作し、国民的議論を喚起させる力があります。ほかの放送局とともに英国の放送・配信コンテンツの質を向上させ、維持する一端を担うとともに、番組視聴のオンデマンド・サービスを広く定着させるなど、デジタル化にも貢献しています。
最大の懸念は、メディア消費環境の激変に伴う若者層のTV離れでしょう。若い層になればなるほど、BBCのコンテンツばかりか、TVで番組を見るという行為自体から遠ざかっているのです。若者はスマートフォンなどのデバイスでユーチューブやTikTokの視聴を好みますし、視聴者全体で有料購読制のNetflix、アマゾン・プライムなどが人気を博するようになっています。BBCの活動の根幹となってきたTVライセンス料は年間159ポンド(約2万5000円)を一括徴収する形をとっていますが、「払いたくない」「払う必要がない」と思う人が増えているのです。一括徴収制ではなく、「見たい人が払う」購読制をとった場合、支払う人は激減するといわれています。そうなると、BBCは経営が成り立たなくなっていくでしょう。
ボリス・ジョンソン前政権はTVライセンス制度の見直しを進めていました。現在の制度は2028年3月まで有効ですが、同年4月からどうなるのかが注目どころですね。
BBCは今後どうなっていくと思いますか。
「今後」というのをどれぐらいのスパンで考えるかですが、現在のTVライセンス料制度が2028年3月までは続きますので、あと数年は現状維持になりますが、購読制に変えるなど抜本的な動きとなると実施には年月がかかりますので、 早急に事後策を決める必要があります。
筆者はライセンス料支持派だったのですが、4月末に発表された政府白書によると、放送局の番組を放送時に視聴する時間の割合は74パーセント(2017年)から61パーセント(20年)に減少し、今年3月時点では半分弱にまで落ちていました。逆に、有料制の動画サービスの利用は2017年の6パーセントから20年の19パーセントに増加したそうです。メディアの消費環境が大きく変わっていますので、「一括徴収」は正当化できなくなってきたと感じています。
もし一括徴収を止めて、ライセンス料制度が購読制になって収入が大幅に減れば、BBCはこれまでのようには番組制作ができなくなりますよね。
TVライセンス料を税金の一つとして徴収する形に進まざるを得ないのではないかと思っています。さまざまな価値観が存在する現在の英国社会の中で、国を一つにまとめることができるのは王室とBBCぐらいともいわれています。「世界に英国のニュースや視点を伝える」役割も持つBBCには、ぜひこれからも圧倒的なパワーを持つ存在であってほしいと筆者は願っています。
緊張感あふれるBBC1の放送スタジオで、スタッフがニュース進行を見守る
BBC100周年にまつわるエキシビション
BBC設立100周年を記念し、今年は英国各地で関連エキシビションが開催されている。英北部マンチェスターの科学産業博物館では、「100 years of the BBC in Manchester」と題し、マンチェスターにおける黎明期のBBCの姿を、来年2月まで展示紹介する。また、同ブラッドフォードの国立メディア博物館では、来年1月まで「Broadcast 100-Switched On」を開催。
ロンドン南部ダリッジのラジオ&TV博物館や、シティのロンドン博物館でもTVやラジオに関する常設展が開かれている。
マンチェスターのラジオ局2ZY内の放送スタジオ