創刊30周年
THE BIG ISSUE(ザ・ビッグイシュー)の挑戦
そろいの赤いジャケットを着て、雑誌を片手に街角に立つ人々の姿はロンドンでは見慣れた光景だろう。この人たちが販売している雑誌がビッグイシューだ。ホームレスの人の仕事を作り、社会的自立を応援するためにロンドンで1991年に立ち上げられた。今年は同誌が誕生してちょうど30年。現在では日本を含む世界各国にも活動が広がるビッグイシューがどのように誕生したのか、また、これまでの経緯や発展、そしてコロナ禍に立ち向かう様子を紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
ビッグイシューとは? www.bigissue.com
1991年9月11日に創刊の、路上で販売されている週刊ストリート・ペーパー。販売員(Vendor)はホームレスや生活困窮者で、販売価格1部3ポンドのうち半額が販売員の収入となる。当初はロンドンのみだったが、次第に販売地域を拡大。ロンドン版のほか、英北部版「Big Issue North」、英南西部版「Big Issue South West」、ウェールズ版「Big Issue Cymru」、スコットランド版「Big Issue Scotland」などの地方版がある。現在は全国で毎週約19万5000部*を販売している(定期購読も含む)。2020年には、新型コロナウイルスの蔓延によるロックダウンで街頭での販売が制限されたことから、同年4月に専用アプリを使ったデジタル版も生まれた。
*2020年12月~2021年2月調べ
そもそもの始まりは2人の飲み友達
1990年、動物愛護などの社会活動にも力を入れる化粧品メーカー「ザ・ボディ・ショップ」の経営者の1人ゴードン・ロディック氏が米ニューヨークを訪れた際、ホームレスによるストリート・ペーパー「ストリート・ニュース」の存在を知り感動したのが始まり。もともと英国のホームレス増加に危機感を抱いていた同氏は、30年来の飲み友達で、自身もホームレスの経験があったジョン・バード氏に声を掛けた。バード氏はロンドン出身で、かつてはヘンリー・ミラーやチャールズ・ブコウスキーといった破天荒で放浪を愛する米国の作家・詩人たちに傾倒したこともある人物。さまざまな仕事を転々とした後、70年代に印刷業を始めたことから出版業も手掛けるようになっていたため、それがビッグイシューの発行へとつながった。
ただ、前例はあるものの、「ホームレスの自立と社会復帰を手助けするため、作った雑誌をホームレスに売ってもらう」という方法が斬新であることには違いなかった。ロディック氏やバード氏の周囲の人々は、この事業が成功するとは思えないと口々に言い、バード氏自身も成功する自信は全くなかったようだ。2人は路上にいるホームレスに声を掛けたり、慈善団体に協力してもらうなどして販売員を募ったが、そもそもホームレス当人になかなかこの事業の意図を理解してもらえず、あるホームレスから「お前たちに飢えや貧しさの苦しみが分かるもんか。どうせ金持ちの慈善事業だろ」と怒鳴られたこともあったという。それでも約30人の販売員が集まり、ビッグイシューは1991年9月11日に船出。
当初はロンドンのみのA3月刊誌で、内容も社会問題のみならず、著名人のインタビューなどエンターテインメントの側面も重視した総合雑誌というスタイルを取った。ホームレスがお金を得ることが第1の目的であるため、一部の人しか読まないような前衛的な誌面にするのではなく、より多くの人々に受け入れられる必要があったからだ。ビッグイシューは口コミで評判がどんどん広がり、創刊後3年を超えるころにはザ・ボディ・ショップからの援助も必要としなくなった。
ゴードン・ロディック氏(写真右)。ザ・ボディ・ショップの経営者で妻のアニータ・ロディック氏と共に
2021年4月、ロックダウンを経て販売員たちが街角に戻ったことを喜ぶジョン・バード氏
ジョン・バード John Bird
1946年ロンドン西部ノッティング・ヒルの貧しい家庭生まれ。5歳でホームレス、7歳で養護施設に預けられる。10歳から万引、強盗、放火などさまざまな犯罪に手を染め、少年院生活を繰り返す。1970代後半以降、印刷・出版業を手がけ成功。1991年、45歳のときにゴードン・ロディック氏とともに欧州初のストリート・ペーパー「ザ・ビッグイシュー」を創刊、編集長に。1995年にホームレスへの支援活動を評価され、名誉大英勲章第5位(MBE)を受勲した。2012年には「How to change your life in 7 steps」(「ホームレスから社長になった男の逆転法則」、徳間書店)を発表。
エネルギッシュな活躍は75歳になった今も変わらず、2015年に上院議員として政治の世界へ。ホームレスを救うのはもちろん、ホームレスを生み出してしまう現状の社会システムから変革しようと模索している。
従来とは異なる画期的な販売方法
初期のビッグイシューは、販売者が1冊10ペンスで雑誌を仕入れ、50ペンスでこれを販売、その差額が販売者のものになるシステムだった(現在は仕入れ額が1.50ポンド、販売額が3ポンド)。最初の10冊は無料で提供されるのでそれを元手にするわけだが、売れるかどうか分からない雑誌に貴重な所持金を投資するのは、販売者にとって大きな賭けでもある。「working, not begging」というキャッチフレーズの通り、販売者は「物乞いではなく、働いている」ということだ。
ビッグイシュー販売の利点は、定まった住所や連絡先がないなどの理由から、一般の仕事が探せない人でもすぐ始められることにある。年齢不問、販売経験不要、履歴書不要で、ノルマなどもない。路上での売り方や客への話し方など研修を受けて、契約書にサインをすれば販売場所をもらってスタートできる。ビッグイシュー販売で一定のお金をためて住まいを確保し、誇りをもって次のステップを踏み出すチャンスを自分で作り出すことができるのだ。
1991年以来
2016年までに
会社としてのビッグイシュー
ビッグイシューの誌面はニュース、特集、カルチャーの3本柱で構成されている。毎号、ホームレス問題はもちろん、移民・人種にまつわる人権問題や環境問題など、厳しい社会の現実に迫るルポや、それに対するキャンペーンを紹介する。その一方で、映画やコンサートなどのイベント情報もあれば、大物セレブへのインタビュー、ビッグイシュー販売員の横顔紹介など多岐に渡り、読みごたえのある記事が満載。記事執筆と編集はプロのライターや編集者だが、取材、執筆しウェブ上でブログ形式の記事を発表している販売員もいるようだ。
また、ビッグイシューは株式会社として雑誌「ビッグイシュー」を発行・販売するほか、これと別に慈善財団「Big Issue Foundation」や「Big Issue Invest」「Big Issue Shop」があり、さまざまな規模の社会支援事業に対する資金援助や支援を展開している。ビッグイシュー・ショップでは、販売者や商品の作り手をサポートするだけではなく、サステナブルな商品を販売。T シャツ、セーターなどの衣類のほか、小物やアクセサリー、食器類が並ぶ。食品もあり、写真右のコーヒーは「利益の100パーセントをホームレス減少のための事業に充てる」と明言している。
ロンドン中心部ヴォクソールにあった初期のロンドン・オフィス
コロナ禍で売り上げが激減
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大でビッグイシューは大きな打撃を受けた。「Stay Home」が呼び掛けられ英国各地では3月から、リモート・ワークの開始や外出自粛で街中から人通りが激減。繁華街やオフィス街で雑誌販売をしていた人々は、以前は1日で10~20冊、多い人は40冊ほど販売していたというが、皆この時期は10分の1にまで売り上げが落ちた。多くの販売者にとっては、雑誌販売が命をつなぐ大切な収入源。ジョン・バード氏が、「ビッグイシュー創刊以来の危機」と呼ぶ事態が発生した。そして3月半ばに完全なロックダウンとなると同時に、雑誌販売者たちにも「Stay Home」が命じられた。だが、このとき英国は自宅待機といってもそもそもステイする家もないホームレスが全国に50万人いる状況でもあった。
地区のカウンシルやチャリティー団体などがホームレスの一時滞在先を何とか確保し、路上生活者たちがホテル、ベッド& ブレックファスト、鉄道駅などさまざまなタイプの滞在先へ散っていくなか、ビッグイシューが始めたのが、38.99ポンドで当面3カ月の間毎週郵送で雑誌を読者に届ける緊急販売だった。サブスクリプション制度はこれまでもあったものの、「ロックダウンのため街角で販売できない人々を助ける」とダイレクトにうたったものは初めて。4月にはデジタル版が読める専用アプリも生まれた。
また、誌面上で読者と販売員をつなぐ告知板を掲載。読者からは「ファーリントン駅前で雑誌を売っていたピエールによろしく。元気でいるといいけれど。私は2月から自宅待機になってしまい、さよならも言えませんでした。定期購読を始めたと伝えてください」など、特定の販売員に向けたメッセージが掲載され、販売員たちも、「いつも私から購入してくださっていた皆さんが、ご無事であることを祈っています。僕は元気でおります。またレスター駅でお会いできることを楽しみにしています」などの言葉を残すなどした。ロックダウンによって絶たれてしまったコミュニケーションを、シンプルな形でつなぐ場としても活用されたのだ。
2003年に大阪デビューした日本版
英国での創刊の後、ビッグイシューはオーストラリア、南アフリカ、台湾、韓国、フランス、米国など世界に広がった。「ビッグイシュー日本版」も2003年に発行。これは大阪にベースを置く市民団体「シチズンワークス」の水越洋子さんが、「ビッグイシュー・スコットランド」の代表メル・ヤングさんが書いたホームレスに関する記事を読んだことが始まりだった。記事に感動した水越さんは2002年9月、ヤングさんに会うためスコットランドに飛び、これが日本版発行につながった。当初は月刊誌で大阪のみの販売だったが、すぐに東京でも販売を開始。現在は都市周辺 地区まで販売地域が拡大している。
現在、販売員数は106人。記事は他言語版の翻訳と独自取材した記事を組み合わせて発行されており、社会問題のほか、国内外の俳優や音楽家、芸術家などへのインタビュー、健康、文化などについての記事が並ぶ。草間彌生からリリー・フランキー、ポール・マッカートニーからベネディクト・カンバーバッチまでが表紙を飾ることも。読者からは、「ホームレスに対する考えが変わった」「自分のなかの偏見に気づいた」などの声が寄せられているそう。
413号は俳優のベン・ウィショーが表紙。新作映画について語るほか、ゲイであることをカミングアウトした時期を振り返ったショート・インタビューが掲載
絵本「だるまちゃんとかみなりちゃん」が表紙の412号は、同絵本の作者で2018年に死去したかこさとしさんをフィーチャー。かこさんの親族へのインタビューだった
世界にビッグイシューの名を広めた野良猫ボブ
ロンドン北部エンジェル駅近くでビッグイシューを販売していたジェームズ・ボウエンさんは、いつも肩に茶トラの猫を乗せていた。ハイタッチもできる物おじしない賢い猫、ボブのおかげで駅前の人気者になったボウエンさんは、やがて1冊の本を書く。それは、荒れた家庭環境や人間関係から薬物依存症となり路上生活を送っていた青年が、1匹の野良猫と出会ったことから幸せをつかんでいくという、自らの体験を描いたもの。2012年発表の「A Street Cat Named Bob: And How He Saved My Life」(「ボブという名のストリート・キャット」、辰巳出版)は驚きのベストセラーとなり、ボウエンさんは作家に転身、5作のシリーズを出版した。2016年には映画化もされて、ボブ自身が出演。同名映画(「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」)は日本でもビッグイシューの知名度が上がるきっかけとなった。
ボウエンさんがボブと出会ったのは2007年。迷い込んできた野良猫がけがをしていたので世話をしたところ、ボウエンさんの元を離れなくなった。以来、ボブとボウエンさんは一心同体。映画のプロモーション時には日本へも行ったボブだが、残念ながら2020年6月に死去。推定年齢は14歳だった。今年の7月11日、1人の人間を更生させ、多くの人々に勇気と希望を与えたボブの等身大の彫像がイズリントン・グリーンに設置された。
在りし日のボブとボウエンさん
イズリントン・グリーンにあるボブの彫像