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早稲田アカデミー 夏期講演会 in ロンドン
Sun, 09 August 2020

第22回 男なら銃には銃、爆弾には爆弾だ

北アイルランド紛争の「包括和平」がまとまったのは、1998年である。ちょうど、10年前のことだ。若い人はこの紛争を知らないかもしれない。それでも「IRA」(アイルランド共和軍)という武装組織の名前くらいは聞いたことがあると思う。

紛争の歴史自体は相当に長い。アイルランドへの帰属を望むカトリック系住民と、英国領存続を望むプロテスタント系住民が対立し、激しい抗争を繰り広げ、1970年代に最も激化した。テロの応酬、爆弾闘争、そして市街戦。福島県ほどの面積しかない北アイルランドは、まさに内戦状態だった。一般市民も含め、死者は約3700人。負傷者は3万人近くに上った。

和平は一直線には進んでいない。散発的ないざこざ、各勢力の突っ張り合いは今も続く。それでも北アイルランドには今、かつてないほどの平穏が訪れている。

「銃には銃、爆弾には爆弾。主義主張のためには暴力もいとわない。男なら当然と思っていた」

プロテスタント系の民兵組織に所属していたノエル・ラージさん(51)は、そう振り返る。貧しい労働者家庭に生まれ、義務教育を終えた1970年ごろから、工場で働きながら闘争に身を投じたという。

当時は、紛争が最も激しかった時期でもある。雇用などで激しい差別を受けていたカトリック系住民が、権利拡大を求める運動に立ち上がったのに対し、プロテスタント系住民が反発。地域は二分され、それぞれが「解放区」を作り上げた。やがて双方の居住区は「平和の壁」と呼ばれる高い塀によって分断され、交流は途絶えた。

そんな中、プロテスタント系勢力の指導者は「敵はあいつらだ」と挑発し、ラージさんも「彼は男の中の男」と崇拝していく。やがて、20代でラージさんは「敵」のカトリック系住民を射殺し、16年間服役した。

あれから、およそ40年。

ラージさんの住むベルファストは大きく変わった。真新しい建物が並び、工事用の機械が動き回る。双方の居住区を隔てる壁は残るものの、投資は増え、観光客も急増した。武装闘争が頻発していた70年代に2割を超えた北アイルランドの失業率は近年、4%にすぎない。

彼も変わった。カトリック系住民との交流団体に所属し、かつての「敵」と連絡を取り合う。若者がいざこざを起こせば、現場に走り、争いの拡大を防ぐ。

何が彼を変えたのか。

1998年に刑期を終えたラージさんは、その数年前から毎年、2週間の仮出所を認められるようになった。街に出るたび、新しい建物が目に映る。英仏間には、海峡トンネルもできた。そして「ああ、時代は変わった。テロはもう、世の中を動かす手段ではない」と実感する。

紛争が激しかったころ、北アイルランドは貧しく、経済力はイングランドの半分と言われた。その中でもカトリック系住民は雇用や生活環境で激しく差別された。例えば、公務員の大半はプロテスタント系住民。選挙では、投票数が持ち家の数に応じて分配され、1人1票の制度も保障されていなかった。そのカトリック住民が権利拡大を求めてデモを始めると、ラージさんは指導者の言葉にあおられ、彼らへの襲撃を繰り返す。襲撃は興奮を呼び起こし、やりがいも感じたという。

憎悪と暴力の連鎖。それは相手も同じだったが、結局は、若者や失業者などの貧しい住民が互いに殺傷し合っただけである。

「40年も双方は孤立し、相手を避けてきた。相手の考えも、どれだけ良い人かも知らなかった。やつらは許せない、皆殺しだと息巻く人は今もいる。和解は簡単に進まない。でも、後戻りはできないし、争いはもう、だれも望んでいないはずだ」

カトリック系居住区とラージさんの住むプロテスタント系居住区は、車で15分ほどの距離しかない。にもかかわらず、40歳を過ぎるまで、彼はそこに足を踏み入れたことがなかった。その彼の事務所は今、かつての「敵」の区域にある。

北アイルランド紛争の服役者は2万人超。住民の4人に1人は肉親に死傷者がいる。それほど激しい暴力とテロを経験した住民同士が、本当に和解できるのだろうか。

次回もこの話を続ける。

 
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高田 昌幸:北海道新聞ロンドン駐在記者。1960年、高知県生まれ。86年、北海道新聞入社。2004年、北海道警察の裏金問題を追及した報道の取材班代表として、新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。
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