第253回 900歳を迎えた聖バーソロミュー教会
今年で900歳を迎えた聖バーソロミュー教会はシティで唯一のノルマン朝時代(1066~1154年)にできた教会です。中に入ればその荘厳さに圧倒され、一気に粛然とした気持ちになります。16世紀半ばの宗教改革では教会の病院部分だけ存続が許され、今もロンドン最古の病院として開業していますが、教会部分は宗教改革時の大法官リチャード・リッチに売却され、西入口から祭壇に向かう中央通路の西側身廊が無くなってしまいました。
900歳の聖バーソロミュー教会
その後、メアリー1世の時代に修道院として復活、次のエリザベス1世が英国国教会の教会として復帰させました。ロンドン大火や大疫病、世界大戦などの苦難を乗り越えて現代に至ります。南側の廊下には現代アート作家のダミアン・ハースト氏による聖人バーソロミューの黄金像があり、英画家ウィリアム・ホガースも使った1404年製作の洗礼盤も展示されています。宗教改革で大部分の洗礼盤が破壊されたのでこれは貴重なものです。
現代アートの聖人 バーソロミュー像(左)とW・ホガースが使った1404年製作の洗礼盤(右)
主祭壇の奥には聖母マリアを祭るレディ・チャペルがあります。この場所は宗教改革の際、教会との境に壁が築かれて別の建物にされました。その後、住居や鍛冶屋の作業所、印刷所などを経て、19世紀末の建築工事でレディ・チャペルの存在が判明し、発掘調査が行われました。地下に礼拝堂を作って住人が長い間、密かに守り続けていたという説もあります。教会はこの場所をすぐに買い戻し、レディ・チャペルを再建しました。
厳粛な教会内部
このレディ・チャペルには興味深いエピソードがあります。それは米国独立運動の主導者となり、英国との友好関係を築いた発明家で外交官のベンジャミン・フランクリンが、1720年代にレディ・チャペルの場所にあった印刷所で丁稚奉公をしていたことです。ベンは避雷針や住宅用ストーブなどの発明家としても有名ですが、家庭が裕福でなかったため、幼いころから兄の経営する印刷所を手伝い、印刷業から立身出世をかなえた人です。
19世紀末まで隠されていたレディ・チャペル
ベンは1720年代に聖バーソロミュー教会近くで下宿しながら、この印刷所に通いました。当時、オールド・ローマン体をもとに英国で発明されたカスロンという活字フォントが人気で、ベンもそのフォントが好きでした。印刷物がコミュニケーションの重要手段でしたから、ベンはそのフォントを使って米国で印刷物を普及させました。50年後、ベンは米国独立宣言書にその英国のフォントを使いました。米国建国の父はロンドン修行時代にレディ・チャペルの聖母マリアから印刷術のコツをこっそり習っていたのかもしれません。
米国独立宣言書の印刷フォントが英国カスロン体なのはフランクリンの指示
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