第146回 かつら職人と産業革命の時代
シティの西、ウエスト・エンドにあるアダム・ストリートには18世紀の発明家、リチャード・アークライトのブルー・プラークがあります。英北部ランカシャーの貧農の家庭に生まれたアークライトは晩年ナイト爵の称号を受け、裕福になって当地に居を構えました。しかし実はアークライトが学校に行けず床屋に奉公してかつらの技術を習い、理髪師・かつら職人として成功したことが、その後の人生を変えたことはあまり知られていません。
アダム・ストリートにあるリチャード・アークライトの自宅
リチャード・アークライト
アークライトは全国を回りかつらを作るため髪の毛を収集していましたが、1750年代に防水性のある染料を発明したことから、カラフルなかつらを販売し大ヒット。自己資金の蓄えができたことで、その染料を織物にも活用しようとします。繊維や機械業者に知遇を得たことで分かったのは、綿花が大量に輸入されても綿を糸にしなければ布は作れないということ。では糸車ではなく機械を使ってもっと効率的に綿糸を生産しよう。そう考えたアークライトは1769年に水力紡績機を発明し、その熱意はやがて綿糸工場として初めての蒸気機関の設置に結びつき、産業革命時代の幕が開きます。
アークライトの水力紡績機
ところで、当時の欧州ではそんなにかつらが流行していたのでしょうか。調べてみますと16世紀にイタリアの大富豪メディチ家のご令嬢がフランス王家に嫁ぎ、その時に付け毛を持ち込んだのが物語の始まり。英国ではエリザベス1世が天然痘を患って髪が抜け、かつらを常用します。その後フランスもルイ13世が使い始め、ふさふさしたかつらは特権階級の象徴になりました。
昔の女性のかつらは高く結い上げた
18世紀になると男性が短髪にしてかつらをかぶる習慣が広まります。洗髪する習慣のなかった英国では毛ジラミ対策として衛生的にも良く、銀白色のかつらが好まれました。そこにオレンジやバラの香りを含ませた髪粉(パウダー)を沢山かけ、髪の匂いを消していたようです。化粧室を意味するパウダー・ルームの語源は、髪粉で身支度する部屋のことです。
パブ「セブン・スターズ」に展示された法曹家のかつら
ところがアークライトが防水性の染料を発明した頃、インドから伝わったシャンプーが欧州に普及します。それで洗髪すれば清潔になるので、かつらの需要が急激に減少。1795年には髪粉税が導入され、フランス革命でかつらを着けた貴族が敵視されたことも、庶民がかつらを敬遠する理由になりました。かつらの衰退期にアークライトが紡績機の発明家に転じたとはまさに「脱帽」です。