第141回 シャチホコとガーゴイル
かつて世界一の魚市場だったオールド・ビリングスゲートの屋根の両端には一対の金色の魚の装飾があります。見るからに日本のシャチホコですが、これは両方とも口を開けています。シャチホコは通例、神社の狛犬や寺院の仁王像と同様、入口から向かって右の像が口を開け、左の像は口を閉じています。口を開けた「あ」と閉じた「ん」がサンスクリット語の阿吽(あうん)=「始めから終わり」を意味し、阿形像と吽形像から「阿吽の呼吸」が生まれました。
オールド・ビリングスゲートの魚像
シャチホコの由来は、飛鳥時代に中国から瓦と共に伝わった、雨水の排水のために屋根の端に据えた鴟尾(しび)だと言われています。もともと屋根には風神とされる、鳳凰の羽根をかたどったものが台風除けのお守りとして飾られていましたが、それが鴟(とび)の尾に似ていたことから、いつのまにか羽根から前述の鴟尾に化けたようです。その後、インドから雨を降らす海獣マカラの伝説が伝わると、それが虎と魚の合成獣である鯱(しゃち)に変わり、雨乞いと火消しの意味が加わった、災害除けのお守りとなりました。
災害除けのお守り、鴟尾
さらに中国の陰陽五行思想の影響から、口を開けた雄が南か東の方角、閉じた雌が北か西の方角に据えられたとのこと。つまり日本のシャチホコは複数の海外の思想を採り入れながら発展してきたのです。ちなみに初めてシャチホコに金箔を貼ったのは織田信長ですが、英国の屋根に金色の魚の装飾を持ってきてもピンと来ないのは、火災に強い石作りの建築が多いからでしょう。
名古屋城のシャチホコ
いやいや西欧にも水に関連して発展した屋根のお守りがありました。古い教会の屋根にあるガーゴイルです。仏語ではガルグイユといい、「ゴボゴボと音を鳴らす喉」の意味です。言い伝えによれば7世紀のフランス、セーヌ川下流の街ルーアンにはガルグイユと呼ばれるドラゴンが棲み、聖ロマヌス司教が退治し燃やしたそうです。ところが火を吹く顔の部分だけが焼け残り、それを悪魔ばらいのお守りとして教会の壁に取り付けました。
13世紀以降、教会にはゴシック様式の高層建築が流行します。ところが急勾配の屋根から大量の雨水が壁に流れ出し、しっくいや石像が浸食されてしまいました。そこで雨水の吐水口としてガーゴイルを利用したのです。最初はドラゴンの意匠が多かったものの、しだいに厄よけの怪物に姿が変わっていき、今では雨樋のカバーとしての装飾が多くなりました。このような由来を知ると、冒頭の魚の意匠は口を閉じるわけにはいきませんね。
吐水口として機能するガーゴイル
雨樋カバーとなったガーゴイル