すべて一本勝ちで試合を終えることを信条とする、真の柔道家。シドニー五輪で金メダルを獲得し、母親の遺影を持って表彰台に立った好青年。アテネ五輪でまさかの4回戦負けを喫しながらも、翌日から声を枯らして他選手の応援に専念した日本選手団の主将。記録にも、記憶にも残る柔道家として知られた井上康生氏が、第2の人生の出発地点として選んだ場所は英国だった。エディンバラそしてロンドンで指導者としての道を歩み出した同氏に話を聞いた。
(本誌編集部: 長野 雅俊)
エディンバラという街が、だーいすきです
「我が柔道人生に悔いはなし」との言葉を残して現役生活に終止符を打ってから半年後、日本オリンピック委員会の海外研修員制度を利用して、2008年12月に渡英。スコットランドの首都エディンバラでの約1年間の暮らしを経て、今年3月にロンドンへと生活の拠点を移した。ロンドン西部チェルシー地区近郊にある道場「Budokwai」で指導を行う傍ら、9月に東京で開催された柔道の世界選手権に特別コーチとして帯同、ウクライナ、カナダ、デンマーク、スイス、イスラエルでも講師を務めるなど、世界中を飛び回っている。
スコットランドの代表選手たちが数多く所属している「エディンバラ柔道クラブ」という現地の名門クラブと、母校である東海大の柔道部との間に交流があるんですよ。私が今まで指導していただいた先生方の中にも、そういう関係をつたって現地に住んでいた経験を持つ方が多くいらしたということなどもあって、海外研修を行うにあたって、まずはエディンバラを住む場所として選びました。
中央駅から車で5、10分ぐらいの距離に位置する自宅から、週に3回ほど道場に行って指導していました。あとは語学学校に通っていましたね。現役時代に色々と海外遠征に行かせていただいていたにもかかわらず、英語が全く話せなかったので、一から勉強やり直しです。そりゃ大変でしたよ。英語ができないから勉強しているっていうのに、語学学校では全部その英語で授業するんですから(笑)。訛りも強いから聞き取りづらいですしね。
エディンバラという街が、私は大好きですね。だーいすきですね。私自身が田舎で育ったところがありますから、きっとフィーリングが合うということなのでしょう。でも2年後にはロンドンで五輪が開かれるし、現在私が指導を行わせていただいている「Budokwai」というロンドンの道場と東海大のつながりもあるということで、こちらに引越してきました。ロンドンには、大きな成功を求めている人が多いように感じますね。なんか一発を狙いに来ているというかね。
せっかくの機会なのでミュージカル観賞など色々楽しみたいのですが、子供が生まれてからはやはり移動が難しくなったのと、あと私自身があれやこれやで世界を飛び回っている状態だったんで、まだあまり観光できていません。公園、例えばハイド・パークを歩き回って楽しんでいるぐらいでしょうか。ブラブラと歩いていると、「あっ井上康生だ!」って指差されるようなこともありますよ。まあ日本にいるときよりはマシですけどねえ。この前パリに行ったときも、随分と図体の大きい現地の人が近寄ってきたと思ったら、「お前はKosei Inoueだろう」って言われて。一緒に記念写真を撮りました。
フランスで行った柔道教室にて
2年後にロンドンで開催される五輪を視野に入れながら日本人選手の強化活動に関わると同時に、ロンドン市民を始めとする世界各地の人々にも柔道の指導を行っている。少し大袈裟に言えば、ロンドン五輪に出場する日本人選手の対戦相手候補にも指導を行うことで、敵に塩を送っていることにもなる。
ロンドン五輪、もう2年後ですね。日本人選手は活躍できるか、ですか。勝負の世界って、絶対とか100%といった概念はないんですよ。あと、近道もない。私が今までの競技人生で大事にしてきたことは、過程というものをどうしていくか、ということです。4年、1年、半年といった一定のスパンで考えて、どのように上手く計画を立てていくか。そしてその期間を、全力で生きていく。大会の日になったときに俺は精一杯やったんだ、と思える状態に持っていくことが最も大事なんだと思います。
国内大会と国際大会、世界選手権と五輪の戦い方というのは、全く違います。ルールも微妙に違えば、日本人選手と外国人選手では体の構造も違いますからね。もちろん基本は一緒だとは思いますけど、戦い方は随分と変わってきますよね。だから状況に応じて戦略を立てていかなければならないんですが、そうした点も含めて、大きな目標に対していかに取り組むことができるか。そのことに集中できたら、たとえ負けても、自分に対して納得できるわけですから。
私が現在指導を行わせていただくことのある海外選手たちの中には、五輪や世界選手権の舞台で日本人選手との対戦相手となる者もいるでしょう。でも私は、海外で、柔道を通じて誰かと戦う、という考え方をしたことがないですね。柔道の創始者である嘉納治五郎先生が仰る言葉に、「精力善用」「自他共栄」というものがあります。この「自他共栄」の部分において、いかにお互いが、助け合って、励まし合って、また高め合うことで支え合うか。それが大事なんです。こうした考え方は私たち柔道家が持つ哲学であって、もっと言うと宗教的な感覚なのかなとも思います。
特別コーチとして帯同した、9月に東京で開催された世界選手権では、日本は過去最高の金メダル10個という好成績を残した。一方で、判定に不満を持ったフランスからの出場選手が試合後の礼を拒否する場面が見られるなど、改めて「柔道の国際化」の難しさがうかがえた大会でもあった。
日本人は、相手のことを思いやったり、言葉を選ぶがために一歩遅れてしまう、ということがよくありますよね。それは私自身、すごく感じます。例えば私が渡英したばかりの頃、思うように言いたいことが言えないことって、やはりいっぱいありました。そういうとき、日本人だと助け合ったり、待ってくれたりするのにな、という場面でも、こっちの人は「ウォー」ってまくし立てて言い合いますからね。「相手の気持ちを思いやる」というのは、日本人の素晴らしいところではないかと改めて感じましたね。だから柔道の技術だけではなく、柔道を通じて、そういう心に関わる部分をも伝えていくことができればいいな、と思っています。どの国で大会が行われようと、柔道で使われる言葉って、「Hajime(始め)」、「Soremade(それまで)」、「Yuko(有効)」という風に、全部日本語ですよ。柔道は、日本の文化を広めていく、和の心を広めていく力を持っているはずなんです。
そりゃ、そういった心の部分を伝えるのは難しいですよ。ただ私の場合は、体を使って教えることができる。言葉で伝えても分からないことって絶対にあります。だから、柔道家にとっては、振る舞いを見せることが大切。しっかり相手に礼をする。相手に投げられてどんなに悔しい思いをしても、稽古の始めと終わりにはきちんと挨拶をする。練習で手を抜かない。どんなに相手が強かろうが弱かろうが全力でやる。それが相手に対する尊敬の念につながる。私たちは、相手がいないと強くなれない。相手がいるからこそ、自分も成長することができる。幸いなことに、私自身が世界タイトルを獲ったことのある人間です。そういった人間が、きちんと感じるべきことを感じ、やるべきことをやっているところを見せれば、これから柔道を学んでいこうとしている人たちも分かってくれると思うんです。
最強の柔道家になるだけではなく、
最高の柔道家になりたい
メダル獲得数や優勝回数などに象徴されるアスリートとしての強さと、礼儀作法や振る舞いに表れる柔道家そして人間としての素晴らしさ。この2つは、果たして両立するものなのだろうか。
私は現役時代、最強の柔道家になるだけではなく、最高の柔道家になりたいという強い思いを持っていました。強さを持つことに加えて、人間的にも恥ずかしくないようにありたいと。ではどういう人間が恥ずかしくないのか、どんな人が素晴らしいのか、となると正直分かりません。まだ学んでいる最中ですから。
でもそうしたことを考え続けるのは大事なことではないかなあと感じていますし、皆さんにも伝えていきたいと思っています。たとえ弱くても、結果的に勝つことができなくても、一生懸命生きている人は良い人生を歩んでいける。そう思うようになったのは、世界選手権、五輪大会、全日本選手権の3冠のタイトルを23歳ですべて手にした後でしょうか。
私は5歳のときから柔道を始めて、やはり柔道家であった父からずっと指導を受けていました。父は「皆がいてお前は初めて強くなれるんだよ。そしてお前が強くなったとき、皆が応援してくれるんだよ。お前はただ柔道だけをやっていればいいわけじゃないんだ。人間的にも自分を高めないといけない」と私に言い続けてくれたので、そういう言葉を頭の中では漠然とは理解していました。でも勝ちたいから、強さの方をより求めていたような気がします。徐々に父の言葉が自分の心に響き、最強だけじゃない、最高になりたいと本気で思うようになったのは、たぶん3冠獲った後です。日本の文化を世界に伝えていきたいとはっきりと思い始めたのもその頃です。
実際にロンドンに来てみると、現地の皆さんは柔道の心をよく理解しているなという印象を受けました。振る舞いを見ても、驚くほどしっかりとしている人が多い。まあ私の課題としては、もう少し英語を上達させたいですよね。さきほど体を使って教えられると言いましたが、やはり英語ができれば、伝えられることが著しく増えるはずなんです。きっとほとんどの国で指導することができますし。だから今、道場で練習の日程とか、今後の練習の方針を英語できちんと発表できるよう、家で自習しています。忙しいときもあるからさすがに毎回は準備できないですけれど、でもできるだけやっていますよ。
長年にわたって日本の柔道界の第一線を走り続けてきた井上氏も、現役引退後の第2の人生はまだスタートしたばかり。彼はこれから、どんな指導者になっていくのだろう。
現役時代と違うのは、当たり前だけど、自分の体を使っての戦いが終わったということですかねえ。現役時代はとにかく相手を投げたりなんだりってばかりですから。自分の体を使っての戦いがあるのとないのとの差は大きいですね。いやいや、寂寥感なんてものはないですよ。もう精一杯やったんで。
アテネ五輪後に初めて出場した国際大会で断裂した大胸筋腱のあたりが、今でも痛くて痛くて。1カ月前ぐらい前にも練習が終わった瞬間に強い痛みを覚えました。普通に生活している分には大丈夫なんですが、腕を横に開く動きが駄目ですねえ。今も動きを抑えながら、肩に負担をかけないよう気をつけているんですが、時々無理しちゃって、また痛めるっていう繰り返し。自分で言うのも変ですけど、すぐ熱くなる男なんで。ただもう現役を退いていますしね。別に誰に迷惑をかけるわけでもない、明日俺がただ一人痛いって思えばいいんだ、だったらどうでもいいやって張り切った挙句にまた痛める、という毎日です(笑)。
今後の目標ですか。自分が引退した以上、今度は最強の柔道家であり、最高の柔道家を育てることですかねえ。今、随分と簡単に言ってしまいましたけどね(笑)。あとは柔道というものは世界平和に貢献できると強く思っていますから、この世界に生まれてきた以上、そうした貢献ができたらと考えていますけど。そういう思いが芽生えたのは、東海大で指導いただいた山下泰裕先生(ロサンゼルス五輪無差別級で金メダル獲得。「史上最強の柔道家」と呼ばれる)の教えが大きいと思います。
今、世界では、様々な宗教的、政治的な問題が存在しています。日本人が持っている、相手を思いやる心が少しでも色々な人の心の中に入ることによって、状況は変わってくるのではないかなと。7月に平和活動の一環として、山下先生とパレスチナに行ってきたんですよ。本当に少人数でしたが、パレスチナとイスラエルの子供たちが一緒に柔道をしました。彼らが柔道を楽しんでいる姿を見たときに、僕らがこれからやることというのはこういうことなんだな、と感じることができたんですね。具体的に次に何をどうすべきか、というところまではまだ描くことはできないですけれど。考え続けることによって、アイデアが浮かんでくるのではないかなと思います。
身近なところにも問題はたくさんありますよね。いじめであったり、人間関係のトラブルであったり。難しいことですけど、そうした局面で見て見ぬふりをするのでなく、間に入って助ける勇気を持てるようになりたい。幼い頃の私は体が大きかったからまあそういうことがわりと簡単にできたんですね。周りの生徒たちは、この人暴れたら大変だなって思っていたんでしょう(笑)。しかも自分で言うのもまた変なんですけど、温厚で平和主義ですから。一方の山下先生の場合は逆で、とてもいじめっ子で、もう手がつけられないっていうんで、柔道を始められたみたいです。そのことによって心が変わって。今の地位にいられるのも、柔道のお陰だって先生はよく仰っています。
エディンバラ城の前で、妻の亜希さんと
元気に生まれてきてありがとうね、
と心の底から思いました
2008年1月に、タレントの東原亜希さんと結婚。渡英後の09年5月には、第1子となる女児がエディンバラで生まれた。11月には、第2子の出産を控えている。
海外出産に関しては、実は計画した部分もちょっとあるんですけどね。海外にいることによって、家族の絆がより深まる感じがしたんです。もうちょっと正直に言うと、全然誰も自分のことを知らない新しい土地だったら、新しい家族との時間をもっと平和に過ごすことができるんじゃないかって思ったんですよね。
初めての子については、妻は最初、自宅出産を試みようとしたんですよ。もちろん私も出産に立ち会いました。でも、赤ちゃんがお腹の中で寝ちゃっていたみたいで、なかなか出てこなくて。それで病院に行ったら、到着して15分後ぐらいで生まれました。
新生児って、ものすごく美しいもののように世の中では言われていますよね。でも実際のところ、生まれてすぐの赤ん坊って、そんなに美しいものじゃないですよ(笑)。しわくちゃで、まだへその緒もついていて、しかも血だらけだし。だけど、神秘的なんですよね。生まれた瞬間に子供の泣き声が聞こえてきてね。あと、初めて抱っこしたときのあの気持ち。元気に生まれてきてありがとうね、と心の底から思いました。
来年の1月には日本に帰国する予定です。日本に帰ってしまったら、子供は、英国で生まれたってことはまあ覚えてないですよねえ。だから絶対、また自分の意志で英国に戻ってきて欲しいと思います。